私達の祖先は、目に映る全てのものを絵にして物語で遊び、娯楽としてきた。
世界に広がった日本の漫画やアニメが生まれた背景には、先祖のこうした遺伝子が関係しているのかもしれない。
中世の物語絵巻とは
中世の人々は、物語絵巻に魅了され、大いに楽しんできた。
文字で綴られた物語は、中国の画巻を学んで物語絵巻の形に変わり、さらに魅力を増した。
中国の画巻は主に風景画を扱ったが、日本では物語絵巻にもっぱら用いられた。
世界最古の小説とされる「源氏物語」は、鮮やかな色で描かれた絵巻物語としても表現された。
人々は物語の絵を見て想像を膨らまし、登場人物の心情を思いやったであろう。
また、子どもや若者が文字や文章を学ぶ時、絵巻物は大層役に立ったはずである。
女人の美しい着物はそれだけで目を奪うし、彼女達が何を話しているのかなど物語への関心が高まると、文字を学ぶキッカケとなるわけだ。
つまり絵巻は娯楽だけではなく、教育の手段でもあった。
そして同時に、大事なお宝でもあった。
貴族や権力者、富裕層でなければ、絵師を頼み絵巻物を作れるはずもない。
長い作品である「源氏物語」は、尚更である。
膨大な時間と人手・費用が発生したと考えば、宝となるのも当然である。
本文やコトバ書き(説明文)が、物語絵画内にある形式
物語絵巻の形式は、どんな種類があるのだろうか?
現代漫画のセリフや説明文の挿入の原点と考えられる絵巻を取り上げたい。
まずは奈良東大寺にある「華厳五十五所絵巻」である。
別名「善財童子 絵巻」とも云われ、12世紀後半の作と云われる。
仏道の覚りを求めた善財童子が、55人の師を訪ねて歩く旅を描いている。
特徴としては、絵中に短い文章を入れる四角枠がある。
経典の物語を絵巻物にした場合、主にこの形式が用いられた。
その後、絵中に文章を入れる形式は更に進化し、セリフや説明を直接書き入れた絵巻も登場する。
14世紀前半の作と云われる「尹大納言絵巻」は、その典型的な例だ。
番号がついた絵中人物のセリフを順序良く読むと、物語の進み具合がわかる形式となっており、今の漫画の吹き出しと似ている。
現代のような吹き出しの輪郭はないが、登場人物の後方や側面に幾つもの短い文が書かれている。
絵巻は、漫画の原初形だと感じられるに違いない。
次は、最も多く使われた形式を見ていきたい。
絵とコトバ書きの交互形式
「源氏物語」は、絵とコトバ書きが交互に表現される形式を取っている。
これは、多くの絵巻に見られる形式だった。
絵とコトバ書の交互表現には、以下の二つに分かれる。
1. 段落式
2. 連続式
1は、50cm~60cm程の紙面に絵を描き、コトバ書き紙面を貼り付ける形式である。
「源氏物語」を代表とする宮廷ロマンは、この段落式を用いている。
動きのない描写で人物の心情を連想させるやり方である。
2は、左へ巻物を開くと連続した絵面が次々現れる形式である。
時間や場所が移り、人物の動きや表情もイキイキ表現されている。
群衆シーンでは太ったり痩せた人物がいたり、誇張された表情なども目を引く。
この形式は「伴大納言絵巻」など伝説をテーマとする説話絵巻に多く見られている。
1の段落式絵巻を現代漫画に当てはめれば、少女漫画と似た部分がある。
一概には云えないが、少女漫画は少年漫画より動的部分が少なく、心理描写に重きを置く。
また、美しく煌びやかな服装や心情を思わせる背景を丁寧に演出する点も似ている。
一方、少年漫画に相当するのは、2の連続式絵巻だと言える。
少年漫画の多くは、登場人物の動きが連続し、僅かなセリフと擬音や擬態語で何ページも続く戦闘場面がある。
連続式絵巻を強引に広げれば、絵図は躍動感を持ち、動くアニメーションにさえ見える。
漫画とアニメの原点は、中世の絵巻物に行き着くのではないだろうか。
合戦絵巻のドラマチックとリアリズム
「伴大納言絵巻」には、警備と治安を担当する検非違使達の馬上姿が見られたが、鎌倉時代に入ると、数多くの合戦絵巻が登場する。
特に「平治物語絵巻」は群を抜いており、鎌倉時代に作られた絵巻の最高峰と云われている。
特筆すべき点として、
・幾何学構図の群衆配置が美しい
・緩急をつけた画風がメリハリを与えている
・戦闘シーンの描写が正確である
などが挙げられる。
戦場で天を焦がすほど燃え盛る炎とその下で激闘する武者達は、迫力満点だ。
江戸時代に活躍した浮世絵師・葛飾北斎の「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」の波濤に通じる臨場感さえある。
合戦絵巻の図柄、武者の動きや戦闘場面の描き方は、平安末期からの伝統と考えられ、中世から近世へ伝えられた。
京都絵師の作と思われる「平治物語絵巻」に対し、地方絵師の合戦絵巻も存在する。
「蒙古襲来絵巻」がその代表的な例だ。
これは肥後国(熊本県)の御家人・竹崎季長(たけさき すえなが)が、元寇(モンゴル帝国侵攻を退けた戦い)に参戦した時の姿を描かせたものである。
「蒙古襲来絵巻」には、モンゴル帝国軍について3つの史料的価値を見出す事が出来る。
1. 「てつはう」という破裂する火器を用いていた
2. 日本兵と比べ、軽装備だった
3. 当時の軍船を知る手掛りになった
「蒙古襲来絵巻」は、個人が後世に自らの活躍を伝えたい意図で描かれたが、当時のモンゴル帝国軍を知る貴重な史料になったのである。
終わりに
絵巻は、庶民の生業さえ題材に取り上げた。
職人歌合では、歌と優越を判定するコトバ書き、職人の絵姿が描かれた。
鎌倉時代から室町時代にかけて5作品がある。
「三十二番職人歌合」は、1494年(明応3年)後土御門天皇(103代天皇)の生母の七回忌をきっかけに作成されたと伝わっており、天皇の意図があったと推測する。
室町から戦国へ移行する混乱する時代に、朝廷は庶民が生業に勤しむ平穏を願って作成したのであろうか。
庶民の暮しや実態に全く関心はないと、このような絵巻は存在しないであろう。
1500年には、「七十一番職人歌合」も作成されている。
絵巻は、あらゆる階級の人々を網羅し平等に描いており、その世界の奥深さは驚きに値する。
宮廷の恋愛ロマンから仏道遍歴、合戦、庶民の生業と分野は幅広い。
現代の漫画が、様々な分野を包括し発展してきた姿と妙に被るのだ。
参考図書
日本の中世7「中世文化の美と力」
この記事へのコメントはありません。