日本史

成功した武家政権の2代目・北条義時・足利義詮・徳川秀忠は、地味だけど優秀だった 【鎌倉140年・室町240年・江戸260年の礎を築いた男たち】

2代目が優秀なら武家政権は安定する

徳川秀忠像(松平西福寺蔵)wiki c

画像 : 徳川秀忠像(松平西福寺蔵)wiki c

武家が政治の表舞台に立った政権としては、平安末期の平氏政権、鎌倉時代の源氏政権北条政権、室町時代の足利政権、桃山時代の豊臣政権、江戸時代の徳川政権が挙げられる。

この内、長く続いた政権は、鎌倉時代の北条政権・室町時代の足利政権・江戸時代の徳川政権の3政権だ。

この3政権には、共通項があるのをご存じだろうか。それは、どの政権も2代目が優秀であったということだ。

ただ、この3政権の2代目たち、歴史上大きな役割を果たしたにもかかわらず、実は初代・3代と比べると、歴史的評価があまり高くなく知名度が低く地味な存在なのだ。

今回は、優秀なのになぜか地味な存在の鎌倉・室町・江戸幕府の2代目、北条義時(ほうじょうよしとき)・足利義詮(あしかがよしあきら)・徳川秀忠(とくがわひでただ)を紹介しよう。

鎌倉政権を盤石にした北条義時

北条義時。承久記絵巻 巻第2 wiki c

画像 : 北条義時。承久記絵巻 巻第2 wiki c

昨年大ヒットした大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の主人公で、一躍、時の人となった北条義時。

しかし、最初の武家法である御成敗式目を制定した、子供の3代執権北条泰時と比べると、教科書ではその事績はほとんど触れられていない。

義時が執権在任時の大事件は、1221年に起きた承久の乱だ。後鳥羽上皇が発した「義時追討の院宣」で幕府は動揺するが、義時は、逆に朝廷を返り討ちにした。そして、後鳥羽上皇・順徳上皇・土御門上皇を配流、関東の一地方政権であった鎌倉幕府を全国区に押し上げた

また、北条氏のライバルである比企氏・畠山氏・和田氏などの有力御家人たちを次々に排除。鎌倉幕府と北条得宗家の政権確立を成し遂げ、幕府権力を盤石なものとした大功労者なのだ。

北条泰時。『英雄百首』歌川貞秀画 wiki c

画像 : 北条泰時。『英雄百首』歌川貞秀画 wiki c

室町幕府全盛期の礎を築いた足利義詮

画像 : 足利義詮像(『古画類聚』)wiki c

地味と言えば室町幕府2代将軍足利義詮ほど、この言葉がぴったりな人はいないだろう。余りにも地味過ぎて、教科書にはその名前すら記されていない。息子の3代将軍足利義満が、北山文化勘合貿易南北朝合一と、華やかすぎるほどの功績を記されているのとは、全く正反対の人物である。

室町幕府は、成立期において不安定この上ない政権だった。後醍醐天皇が吉野に逃れ南朝を開き、南北朝の内乱が起こり、それに、初代将軍足利尊氏と弟・直義の抗争が絡み、全国規模の観応の擾乱に発展していく。

そんな中、尊氏が死去する。幕府の有力武将である二木氏・細川氏・畠山氏が離反し、京都は南朝に奪われた。普通なら、ここで室町幕府は終わっていた可能性があった。しかし、ここから義詮が優れた資質を発揮する。

義詮はこの危機に際し、将軍独裁の裁判制度管領の設置など、室町幕府の内政強化を図った。その上で、徐々に南朝勢力の切り崩しを行い、それが次代の義満による南北朝合一に繋がっていった。

その生涯を戦いに明け暮れた義詮は、38歳の若さでこの世を去った。だがその功績は、室町幕府全盛への礎を築いたのだった。

画像 : 足利義満像(鹿苑寺蔵)wiki c

徳川260年の土台を構築した徳川秀忠

徳川秀忠像(徳川記念財団蔵)wiki c

画像 : 徳川秀忠像(徳川記念財団蔵)wiki c

江戸幕府を開いた徳川家康の三男として生まれ、2代将軍となった徳川秀忠。この人も、父の徳川家康、息子の3代将軍徳川家光と比べると、やはり地味な存在と言わざるを得ない。

しかも、関ケ原の合戦に間に合わず、家康に叱責されるという残念なエピソードが知れ渡り、軍下手な武将というレッテルを貼られ、ダメ将軍とさえ言われる始末だ。

ただ秀忠は、そうした失敗を覆すほどの、政治家として優れた資質を持っていた。家康との共同作業とはいえ、江戸幕府の政権安定の屋台骨ともいえる武家諸法度禁中並公家諸法度を制定したのは秀忠だった。

さらに秀忠は、駿府にいる家康が行う大御所政治と上手に折り合いをつけた。将軍として独裁を振るわず、幕府権力を盤石にするため、家康に協力して政権を運営するシステムを実践した。

秀忠は、家康の期待に応え、内政強化に努め、江戸幕府の基盤を強固なものにした。江戸幕府が、260年にわたる長期政権を成し遂げたのは、秀忠の力と言っても過言ではないだろう。

徳川家光像(金山寺蔵、岡山県立博物館寄託)wiki c

画像 : 徳川家光像(金山寺蔵、岡山県立博物館寄託)wiki c

2代目が優秀ならば、武家政権は安定する。現代の企業でも2代目が会社を潰すという事実が多いはず。

しかし、2代目が創業者の事績を引継ぎ、さらに業績を充実させれば、その企業は盤石の体制を固めることができる。

もっと公平な目で、北条義時・足利義詮・徳川秀忠を評価し、歴史の表舞台に引き上げるべきなのではないだろうか。

 

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高野晃彰

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編集プロダクション「ベストフィールズ」とデザインワークス「デザインスタジオタカノ」の代表。歴史・文化・旅行・鉄道・グルメ・ペットからスポーツ・ファッション・経済まで幅広い分野での執筆・撮影などを行う。また関西の歴史を深堀する「京都歴史文化研究会」「大阪歴史文化研究会」を主宰する。

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