イギリスの歴史において、ヴィクトリア女王が君臨した「ヴィクトリア朝(1837~1901)」は、医学の過渡期にあたる。
19世紀の中頃まで、病院は不衛生な場所だった。そのため、怪我の治療・手術・出産の後に、患者や母子が感染症で死亡する例があとを絶たなかった。
だが、外科医ジョゼフ・リスターが消毒薬の使用を広めたことで、病院の衛生環境が向上。院内での感染症死亡率が激減し、病院の近代化が進んだ。
また、出産の際に麻酔薬を使う習慣が広まったのも、ヴィクトリア朝である。
きっかけは1853年のヴィクトリア女王の出産だった。女王の侍医ジョン・スノウが、出産の痛みを和らげるために麻酔を使ったことで、国民の間に無痛分娩が普及したのだ。
当時の麻酔薬は主にクロロホルムで、今から見れば問題点も多いが、それでも大きな一歩だった。クロロホルムは出産だけでなく、外科手術でも頻繁に用いられるようになった。
このように、現代の医学につながる変化が多く見られる一方で、ヴィクトリア朝には昔ながらの治療法や医学的な根拠を持たない民間療法も根強く残っていた。
今回は、その事例を3つ紹介しよう。
アヘン製剤
アヘンとは、「ケシという植物の実から採取した果汁を乾燥させたもの」を指す。
鎮痛・鎮静作用があるため、古来より医薬品として使われてきた。
ただし中毒性が強く、常用すると精神・肉体に悪影響をおよぼすことから、現在では多くの国(イギリス含む)で規制の対象となっている。
アヘンから生成される「アヘン製剤」は、ヴィクトリア朝で最も人気のある薬の一つだった。
代表的なアヘン製剤は、アヘンを溶かしたアルコールにシナモンなどを添加した「アヘンチンキ」というものだった。
初期のヴィクトリア朝では、薬局や食料雑貨店などで販売されていた。アヘンチンキは安く処方箋もいらなかったので、医者の治療を受けるお金がない労働者階級にも重宝された。
アヘンチンキはありとあらゆる病気に対して使われ、風邪を引いたときの咳止めや、頭痛・歯痛を抑えるための鎮痛薬、さらには伝染病の治療薬としても活用された。
睡眠薬代わりにも用いられ、乳児を寝かしつけるためにアヘンチンキを投与するのは、ごく普通のことだった。貧しい家庭は家族総出で出稼ぎに行かなければならず、家にいて赤ちゃんの世話をする余裕がなかったのである。
こうしたアヘン製剤の乱用に加え、当時の医学知識の誤り・薬の品質の悪さ(同じ薬なのにアヘンの含有量がバラバラだったり、そもそも成分表示を偽っていたり)などの要因が合わさり、多くの人が薬物依存症で苦しむことになった。
最悪の場合、致死量を超えて死亡するケースもあり、その中には乳児も含まれていた。
なお、労働者階級だけでなく、中産・上流階級の間でもアヘン製剤は蔓延しており、長篇推理小説『月長石』の作者ウィルキー・コリンズや、「クリミアの天使」として知られる看護師フローレンス・ナイチンゲールなどの著名人も、アヘン製剤を服用していたとされる。
当然ながらアヘン製剤は社会問題となり、薬の危険性を訴えるキャンペーンが行われた。
その結果1868年の薬事法で、アヘンは毒物に指定された。
こうしてアヘンは、イギリス史上はじめて規制の対象になったのである。
ただ、この薬事法は薬局関係者らの反対にあって骨抜きにされてしまい、アヘンを規制する効果はほぼ皆無だった。購入先は薬局か医師に限られたものの、市民はアヘン製剤を普通に買うことができたのである。
結局、ヴィクトリア朝を通じて、アヘン製剤が駆逐されることはなかった。
瀉血(しゃけつ)
西洋ではかつて、「有害物がたまった悪い血を体外に出せば、体液のバランスが改善し、病気が治る」という説が広く信じられており、患者の血液を抜き取る治療が盛んに行われていた。
この治療法を「瀉血(しゃけつ)」といい、中世・近世ヨーロッパで大流行したあと徐々に下火になったが、19世紀に入っても完全に消えることはなかった。
瀉血には主に2種類のやり方がある。
1つは、ランセットという治療用の刃物で患部を傷つけ、傷口から血液を吸い上げる人為的な方法である。
これは主に専門の医師によって行われた。
もう1つは、吸血性のヒルを使う「ヒル療法」だった。
水を入れた壺に瀉血用のヒルを蓄えておき、治療の際は壺から取り出して、ヒルを患部に近づける。すると、ヒルは吸盤についた歯で皮膚を傷つけ、患者の血を吸い始める。ヒルの唾液には血液を固めないようにする作用があるため、吸血はスムーズに行われる。
吸血が終わったらヒルを回収し、血が止まるまで傷口をキレイに保つ。以上がヒル療法の大まかな流れだ。
ヒル療法は病院だけでなく一般家庭でも行われた。ヴィクトリア朝の庶民の中には、家でヒルを飼っている者もいたのである。
痔にカタツムリ
ヴィクトリア朝の民間療法の中でも、特に奇抜なのが痔の治療法だ。
塗り薬を作るのだが、主な材料はなんとカタツムリだった。
熱したカタツムリの身を乳鉢ですり潰し、そこにコショウなどを加えたものを患部に塗って、痔を治していたそうだ。
なぜ、痔の薬にカタツムリを使ったのか? その答えはいまだ不明である。
※参考
谷田博幸(2017)『新装版 図説|ヴィクトリア朝百貨事典』
クリスティン・ヒューズ(1999)『十九世紀イギリスの日常生活』(植松靖夫訳)
ルース・グッドマン(2017)『ヴィクトリア朝英国人の日常生活 貴族から労働者階級まで(上・下)』(小林由果訳)
ジョン・D・ライト(2019)『[図説]ヴィクトリア朝時代 十九世紀ロンドンの世相・暮らし・人々』(角敦子訳)
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