日本の歴史や神話を学ぶとき、必ず出てくるのが『古事記』である。
『古事記』は日本最古の歴史書として知られ、神々の物語から初代天皇にまつわる出来事、そして推古天皇までの歴史を網羅している。
しかし、なぜこの書物が編纂されたのか、その具体的な目的や背景にはいまだ多くの謎が残されている。
今回は、『古事記』の全体像、編纂の経緯、その目的に焦点を当ててみたい。
古事記とは?日本最古の歴史書
『古事記』は、日本最古の歴史書として知られ、奈良時代の712年に完成したとされる。
645年、乙巳の変で中大兄皇子(後の天智天皇)らが蘇我入鹿を討った際、蘇我蝦夷が自邸を焼いて自害し、この火災により朝廷の数多くの歴史書が失われたとされている。
『天皇記』などの重要な文書が焼失し、辛うじて『国記』は無事だったものの、現存していない。
その後、663年に天智天皇が唐・新羅連合軍との「白村江の戦い」で敗北したことで、日本は国防に追われ、歴史書の編纂を行う余裕を失った。
672年の「壬申の乱」を経て、天智天皇の弟である天武天皇が即位した後、失われた歴史を補完し、信頼性の高い記録を再構築する必要が生じた。
天武天皇は、欠損した『天皇記』や『国記』に代わる新たな歴史書の編纂を命じ、28歳の若さで高い識字力と記憶力を持つ稗田阿礼(ひえだのあれ)を選び、当時記されていた『帝皇日家継』や『先代旧辞』などの書物を暗記させた。
稗田阿礼は、天武天皇の舎人(とねり : 警備や雑用)として仕える下級官人であった。
そして711年、元明天皇の代に、もし阿礼が没すれば記録が失われることから、阿礼が暗記した内容を記録するために、太安万侶(おおのやすまろ)がその編纂を任された。
こうして阿礼の語りを基にして太安万侶が筆を執り、『古事記』は712年に完成したとされている。
内容は3つに分かれる。
上つ巻 : 天地開闢から初代・神武天皇の誕生まで
中つ巻 : 神武東征から十五代・応神天皇まで
下つ巻 : 十六代・仁徳天皇から三十三代・推古天皇まで
『古事記』は、神話と歴史が一体となった独特の書物だが、特に注目すべきは神話の部分である。
伊邪那岐命(イザナギノミコト)、伊邪那美命(イザナミノミコト)、天照大御神(アマテラスオオミカミ)、須佐之男命(スサノオノミコト)といった日本神話の神々が活躍し、天地創造や国の成り立ちが語られている。
歴史書でありながらファンタジーのような魅力があり、後の日本文化や信仰に大きな影響を与えた。
『古事記』が作られた目的とは?
『古事記』の歴史的な記述は、大和朝廷の権威を正当化するための意図があったとされる。
まず、天皇の権威を強固にすることが大きな目的だった。
たとえば、天照大御神が天皇家の祖神とされ、天皇はその神の子孫であるとされた。この神話により、天皇の地位が神聖で特別なものであることを示し、大和朝廷の正統性を強調する狙いがあった。
また、『古事記』は周辺諸国、特に中国や朝鮮半島との関係においても重要な意味を持っていた。
中国の皇帝は自らの系譜や権威を記した書物を持っており、それを見習って日本も独自の歴史と神話を記録し、自国の文化と権威を示そうとしたと考えられている。
さらに、『古事記』は国内の統一にも寄与したとされる。日本列島には多くの豪族や地方の伝承が存在しており、それらは統一感を欠いていた。
そこで『古事記』のような書物を通じて天皇を中心とした神話体系を築き、国内の人々を精神的に結びつけることを図った。
この統一は、政治的な安定にもつながる重要な役割を果たしたと考えられている。
また、天武天皇は当時、天智天皇からの皇位継承における争いや、草壁皇子の血統による継承路線を進める中で、天皇の権威を改めて確認し、内外に強力なリーダーシップを示す必要があった。
こうして『古事記』の作成は急がれ、政治的・文化的な目的のもとに編纂されたとされている。
古事記に残された謎とは?
『古事記』は日本最古の歴史書として知られているが、その内容にはいまだ多くの謎が残されている。
まず、最も大きな謎の一つは「誰が実際に古事記を編纂したのか?」ということである。
表向きは、天武天皇の命令で稗田阿礼(ひえだのあれ)が内容を暗記し、太安万侶(おおのやすまろ)が記録したことになっている。
しかし、稗田阿礼がどのような人物だったのか、また彼が本当に暗記した内容を語ったのかは定かではない。
太安万侶に関しては後の歴史書にも記述があり、1979年(昭和54年)には、奈良県奈良市此瀬町の茶畑から墓も発掘されていることから実在したことは確かである。
しかし、稗田阿礼は日本書紀や続日本紀などの国史には記述がなく、古事記にしか登場しない謎の人物なのである。
その存在については「稗田阿礼は男性ではなく女性だった」「実在しない架空の人物ではないか」などさまざまな説があり、現存の史料では、その事実を証明する手立ては存在していない。
次に、古事記の神話部分に関する解釈の謎がある。
古事記には多くの神話が記されているが、それがどの程度、歴史的事実に基づいているのかはわかっていない。
たとえば、イザナギとイザナミが日本列島を生み出す話や、天照大神が天岩戸に隠れる話などは非常に象徴的だが、これが何を意味するのか、どのような背景で語られたのかは明確には解明されていない。神話の部分は当時の信仰や文化を反映しているが、具体的な意味は謎に包まれている。
さらに、古事記に描かれている歴史的出来事が、どこまで信頼できるのかも議論の的である。
たとえば、初代天皇である神武天皇の実在性については、多くの疑問が投げかけられている。
神武天皇が大和地方を征服して即位したとされているが、考古学的な証拠はそれを支持していない。
つまり、神武天皇やその後の天皇に関する記述が、どこまで史実を反映しているのかはっきりしていないのだ。
これらの謎により、古事記は単なる歴史書というよりも、神話と歴史、事実と物語が複雑に絡み合った書物であることがわかる。
多くの部分が未解明のままであるが、それが古事記の魅力でもあり、研究者たちが探求を続ける理由になっているのである。
参考 :『奈良県観光公式サイト』『いっきに学び直す日本史 古代・中世・近世 教養編』ほか
文 / 草の実堂編集部
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