西洋史

【毒殺か病死か?】トスカーナ大公妃となった美女ビアンカ・カッペッロの謎めいた最後

16世紀、海洋都市ヴェネツィアの貴族社会に、一人の女性が生を受けました。

彼女の名はビアンカ・カッペッロ

ビアンカ・カッペッロ

画像 : 15世紀から16世紀にかけてのヴェネツィア共和国の領域。濃赤は15世紀初頭までの領土、赤は16世紀初頭までの領土、ピンクは一時的に領有していた土地を示す public domain

現在のイタリアのヴェネツィアを本拠とした歴史上の国家・ヴェネツィア共和国の名門貴族の家に生まれ、華やかな生活を送るはずの彼女でしたが、若き日の恋が彼女の運命を大きく変えることになりました。

その恋は身分違いであるばかりか、国家を揺るがす騒動へと発展していくのです。

身分の違いの恋、15歳で駆け落ち

ビアンカ・カッペッロ

画像:ビアンカ・カッペッロ public domain

ビアンカは1548年、ヴェネツィアの貴族バルトロメーオ・カッペッロと、その妻ペッレグリーナ・モロジーニとの間に生まれました。

母ペッレグリーナは当時のヴェネツィアで最も裕福で高貴、そして強大な権力を有する大貴族モロジーニ家の出で、その美しい容姿は世間の評判になるほどでした。ビアンカもまた母譲りの美しい顔立ちと気品を兼ね備え、幼少期から周囲を魅了していたといいます。

ところがビアンカ15歳の時、周囲にとって晴天の霹靂と言うべき出来事が起こります。

ビアンカが、駆け落ちしてしまったのです。

相手はフィレンツェの有力な銀行家サルヴィアーティ家に仕える若い事務員、ピエトロ・ボナヴェントゥーリでした。
1563年11月28日、ビアンカとピエトロはフィレンツェで結婚し、後に長女をもうけます。

この駆け落ちはビアンカの家族だけでなく、ヴェネツィア政府をも激怒させました。

ドゥカーレ宮殿の政府当局は、ビアンカの出奔を「風紀を乱す行為」とみなし、懸賞金をかけて彼女を連れ戻し、逮捕しようと動き出したのです。

画像:トスカーナ大公コジモ一世 public domain

そんな窮地に陥ったビアンカを救ったのは、トスカーナ大公コジモ一世でした。

コジモ一世はフィレンツェを中心としたトスカーナ大公国を統治し、メディチ家の権威を強固にした名君として知られる人物です。彼はヴェネツィア政府からの圧力に屈することなく、ビアンカの引き渡しを断固として拒否しました。

この大公の介入により、ビアンカとピエトロは逮捕や連れ戻されることを免れ、フィレンツェで新しい生活を始めることができました。

こうして、半ば命がけで駆け落ちしてきた若きビアンカとピエトロは、このまま穏やかな日々を送るかに見えました。

誘惑されるビアンカ

しかしビアンカが夢見た生活は、現実とは大きく異なるものでした。

極めて裕福な家庭に育ったビアンカにとって、ピエトロの甲斐性はあまりにも物足りないものだったのです。

そんな折、不本意な暮らしを続けるビアンカに目をとめた男性がいました。

それは、かつてビアンカを庇ったトスカーナ大公コジモ一世の長男であり、後のフランチェスコ一世・デ・メディチでした。

画像:トスカーナ大公フランチェスコ一世・デ・メディチ public domain

しかし、フランチェスコ一世の世間の評判は、あまり良くありませんでした。

「政治的なことへの関心は薄く、かなりの女性好き」と噂されていたのです。

彼には名門出身の妻ジョヴァンナがいましたが、彼女との結婚は政略結婚にすぎず、夫婦関係は冷え切っていました。そんなフランチェスコがビアンカを見初めたのは、偶然ではなかったのかもしれません。

こともあろうか人妻ビアンカに一目で心を奪われた彼は、宝石や金品などを彼女に送り続け、なりふり構わず誘惑し始めたのです。

一方、ビアンカもまた、フランチェスコの情熱に抗うことができませんでした。二人は次第に親密な仲となり、その関係は誰の目にも明らかになっていきました。

その間、ビアンカの夫ピエトロもフランチェスコの紹介で宮廷に職を得ましたが、いつしか宮廷の女官たちとの火遊びに溺れるようになっていきます。

相次いで亡くなる伴侶たち

こうして、少なくとも表面的にはビアンカの夫であったピエトロでしたが、1572年のある時、フィレンツェの路上で痴情のもつれの喧嘩に巻き込まれ、あっけなく殺害されてしまいます。

人々は口々に「フランチェスコとビアンカが裏で糸を引いたのだろう」と噂し合いましたが、結局真相は明らかにされないままでした。

それから2年後の1574年、トスカーナ大公コジモ一世が亡くなり、長子であるフランチェスコが大公位を継ぎました。

前述したように、フランチェスコは既に神聖ローマ皇帝フェルディナント一世の末娘ジョヴァンナと結婚していました。

しかし、自身が大公になると妻ジョヴァンナとは別居し、宮廷でビアンカと暮らし始めてしまったのです。

画像:トスカーナ大公妃ジョヴァンナ・ダズブルゴ public domain

ジョヴァンナは外国から嫁いできた皇帝の娘としての責務を果たし、フランチェスコとの間に8人の子どもをもうけていました。

しかし、夫フランチェスコは彼女にほとんど関心を示さず、心を寄せることはありませんでした。

義父コジモ一世はそんなジョヴァンナを気遣い、彼女が住むヴェッキオ宮殿の一角を美しく装飾するなど、彼女を労わる姿勢を見せていましたが、その支えも彼の死とともに失われたのです。

そして、コジモの死から4年が経過した1578年、今度はなんとジョヴァンナが不審な死を遂げたのです。
公式には転落死とされましたが、その背後にはさまざまな憶測が飛び交いました。

そして、ジョヴァンナの死からわずか2ヶ月後、フランチェスコはビアンカと正式に結婚します。

この再婚は、各国の大使を通じてヨーロッパ中に報告されました。

こうしてかつてはビアンカに対して懸賞金をかけたヴェネツィア政府も、祝福せざるを得ない状況となったのです。

突然の幕切れ

こうして首尾よく全てを手に入れたかのように思われたビアンカでしたが、彼女には大きな懸念がありました。

それは、夫フランチェスコとの間に嫡子がいないことでした。

このため、彼女の立場は非常に不安定であり、もしフランチェスコが先に亡くなれば、義弟であるフェルディナンド枢機卿らの勢力が、彼女に容赦なく迫るであろうことは誰の目にも明らかでした。

画像:フランチェスコ一世の弟フェルディナンド一世・デ・メディチ public domain

しかし、そんな彼女の杞憂は衝撃的な結末で終わりを迎えます。

1587年、トスカーナの別荘を訪れていた二人は突然体調を激しく崩し、ほぼ半日違いで相次いで急死してしまったのです。

死因は、毒殺か病死かで長年専門家の間でも意見が分かれていましたが、フランチェスコに関しては2010年にマラリアが原因だったことが判明しました。

そして当のビアンカはというと、義弟フェルディナンド枢機卿によってフランチェスコとは別の場所に埋葬され、今日までその遺体は行方不明のままです。

ビアンカの生涯にまつわる数々の疑惑は、今なお明らかにはなっていません。

しかし彼女がその時代の社会的制約を超え、自らの意思で愛と自由を得ようとした女性であることは間違いないでしょう。

参考文献:世界史を彩った美女悪女51人の真実/副田 護(著)
文 / 草の実堂編集部

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草の実堂編集部

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草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
編集、校正、ライティングでは古代中国史専門。『史記』『戦国策』『正史三国志』『漢書』『資治通鑑』など古代中国の史料をもとに史実に沿った記事を執筆。

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