幽霊とは、現世に留まり続ける死者の魂を指す。
その中でも、生者に災厄をもたらす存在は「悪霊」と呼ばれる。
科学が未発達だった太古の時代、人々は疫病や事故、自然災害などの出来事を、悪霊の祟りと捉えていた。
つまり、悪霊は恐怖の対象であると同時に、人々の信仰や生活に深く結びついた存在であった。
今回は、古代の人々の暮らしに密接に関わった、恐ろしくも興味深い悪霊たちの伝説を紐解いていこう。
1. ディブク
ディブク(Dybbuk)は、東ヨーロッパにおけるユダヤ人の伝承に登場する悪霊である。
自殺などで天寿を全うできなかった人間の魂は、その罪深さから輪廻転生することを許されず、ディブクとして現世に留まり続けるのだという。(ユダヤ教において、寿命は神の定めるものであり、自殺は神に背く禁忌の行為とされた)
ちなみにディブクになるのは男性だけであり、女性のディブクは存在しないとされる。
ディブクは生きている人間に憑りつき、異常な行動をとらせるという。
それは大抵の場合、ディブクが生前に果たせなかった、使命や欲求に由来するものだそうだ。
また、ディブクは男性よりも、女性に憑りつくケースの方が圧倒的に多いという。
2. トゥピラク
トゥピラク(Tupilaq)とは、カナダ北部・グリーンランドの先住民族イヌイットに伝わる悪霊である。
その名は現地の言葉で「死者の魂」を意味するという。
イヌイットの信仰はシャーマニズム(祈祷師を中心とする信仰)に基づいており、その祈祷師としての役割を持つのが、アンガコック(Angakkuq)と呼ばれる人々である。
アンガコックはイヌイットたちの宗教的指導者として、一目置かれる存在であった。
そんなアンガコックの中でも、外敵を呪い殺すことに長けた者をイリシツォク(Ilisitsoq)と呼び、そのイリシツォクによって人工的に作られた悪霊が、このトゥピラクである。
トゥピラクの材料には、動物の様々な部位が用いられた。
材料一つ一つに意味が込められており、たとえば鳥の羽を用いることで、トゥピラクは空を飛べるようになり、クジラの歯を用いることで、トゥピラクは海を泳げるようになるという。
イリシツォクは真夜中に、誰にも知られることなくトゥピラク作りを開始する。
作っている最中、イリシツォクは歌を歌ったり、材料に自身の性器を擦りつけたりすることで、魔力を注入したとされる。
こうして完成したトゥピラクを、イリシツォクは海へと放つ。
陸・海・空を自在に動けるトゥピラクは、標的がどこへ逃げようと必ず追いつめ殺すことから、イヌイットの間では非常に恐れられていた。
ただし、相手側にもアンガコックのような祈祷師がいた場合、呪い返しの儀式により、トゥピラクが跳ね返されるリスクもあるという。
トゥピラクは血に飢えているので、自身の生みの親であるイリシツォクであろうと、容赦なく抹殺するそうだ。
そんな危険極まりないトゥピラクだが、現在ではグリーンランドのお土産屋に並ぶマスコットキャラクターとして、人気を博しているという。
3. レギオン
レギオン(Legion)とは、新約聖書に登場する悪霊の大群である。
その名はラテン語で「大勢」を意味する言葉だという。
新約聖書内では、次のようなエピソードが語られている。
(意訳・要約)
これはイエス・キリストが、ゲラサ(現在のヨルダンの都市ジャラシュ)に来たときの話だ。
そこには発狂しながら自傷行為を繰り返す、異常な男がいた。
イエスは一目で、この男が悪霊が憑りついていることを見抜いた。「名は何という」とイエスが尋ねると、
「レギオンでございます。大勢ですゆえ」と男の口を借り、悪霊たちは語った。悪霊たちはイエスに、底知れぬ所(地獄)に追放するのだけは勘弁してくれと懇願した。
さて、どうしたものかとイエスは考えたが、そこへ悪霊たちから提案があった。「近くの山に大量の豚が飼われております。この男の代わりに、その豚へ憑りつかせてくだされ」
イエスはこの提案を許可した。
すると男は正気に戻ったが、それと同時に山の豚たちが発狂し始め、次々と海へと飛び込んでは溺れ死ぬという、地獄のような光景が繰り広げられた。
男が助かる代わりに、約2000匹ばかりの豚が、犠牲になってしまったのである。
4. アチェリ
アチェリ(Acheri)はインド、もしくは北米インディアンの伝承に登場する、少女の悪霊である。
虐待されて死んだ少女が、アチェリになるとされる。
その姿は骸骨のようにやせ細っているとも、皮の服を着ているとも伝えられている。
アチェリは普段、山の上に棲んでいるが、夜になると陰鬱な声で歌いながら、麓の町へ下りてくるそうだ。
アチェリの影に触れてしまった者は、もれなく病気になるといわれている。
特に体の弱い老人や子供は狙われやすく、注意が必要とのことだ。
アチェリは赤い色を苦手とするので、その魔の手から逃れるには、首に赤いリボンを巻けば良いとされる。
参考 : 『幻想動物の事典』『神魔精妖名辞典』他
文 / 草の実堂編集部
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