はじめに
奈良市の歴史に詳しい方々の間では、「長屋王の祟り」や「長屋王の呪い」と呼ばれる都市伝説が語り継がれています。
この伝説は、奈良時代の皇族であった長屋王と、その悲劇的な最期に由来するものです。
今回は、この「長屋王の祟り」にまつわる都市伝説と、その背景にある歴史について紐解いてみたいと思います。
長屋王とは
長屋王は、奈良時代前半を代表する皇族の一人で、母方の祖父が天智天皇、父方の祖父が天武天皇という高貴な血筋を持っていました。
太政大臣にまで昇りつめ、当時の政治において重要な役割を果たしました。また、皇太子であった聖武天皇が何らかの理由で即位できなかった場合には、次期天皇の候補として有力視されていたと考えられます。
720年に藤原不比等が死去した後、不比等の子である藤原四兄弟がまだ若年であったことから、長屋王が政界の主導権を握るようになりました。
彼は不比等の政策を引き継ぎつつ、公民の貧窮化や徭役忌避といった社会問題に対応し、律令制度の維持と社会の安定化に尽力しました。
また、農業振興のために開田策を推進するなど、一般民衆の生活改善にも力を注ぎました。
長屋王の変
政治的に大きな権力を握った長屋王は、吉備内親王との子女を皇族として扱う詔勅を出すなど、後の皇位継承を意識した行動をとっていました。
一方で、聖武天皇と光明皇后の間に生まれた皇太子が1歳に満たず早世したことで、非藤原系の安積親王が唯一の男子となり、皇位継承問題はより不安定なものとなりました。
このような状況の中で、長屋王と藤原四兄弟との対立は深まっていったのです。
そして729年、「長屋王は密かに左道を学び、国家を傾けようとしている」という密告が行われ、藤原宇合(ふじわら の うまかい)が六衛府の軍勢を率いて長屋王邸を包囲しました。
この「左道」とは、長屋王が聖武天皇と光明皇后の皇太子を呪い殺したとする根拠のない嫌疑でした。
この圧力の中で、長屋王は自ら命を絶ち、一族も悲劇的な最期を迎えたのです。
長屋王の邸宅跡
長屋王の邸宅跡は、世界文化遺産「古都奈良の文化財」の構成要素で、国指定の史跡である平城宮跡から道路を隔てた南東の角にあったことがわかっています。
その場所は、大型商業施設が開発される際の発掘調査で出土した木簡等から明らかになったものです。
大型商業施設の北側(駐車場側)の東隅には、出土した木簡の写真とその説明が記されたパネルが設置されており、また南側の入り口前には、この場所に長屋王の邸宅があった事を説明する、大きなモニュメントも設けられています。
大型商業施設の変遷
現在、この大型商業施設は、観光ショッピングモール「ミ・ナーラ」として営業されています。
実はこの建物はバブル期の1989年に850億円をかけて百貨店の「そごう奈良店」として建設されたもので、地上7階建ての巨大な百貨店でした。
しかし、バブル崩壊と共に「そごう」は経営難に直面し、2000年にこの「そごう奈良店」は閉店されました。
その後、2003年に建物を活用して「イトーヨーカドー奈良店」がオープンしました。同店舗は「イトーヨーカドー」最大級の店舗として期待されましたが、商圏の制約や経営不振の影響で、2017年に閉店を余儀なくされました。
そして2018年、この建物は「ミ・ナーラ」として新たに生まれ変わりました。
「ミ・ナーラ」は地元住民向けのショッピングモール機能に加え、観光客や若者の集客を意識した施設として設計されています。
たとえば、4階には「金魚ミュージアム」や「いきものミュージアム」が設けられ、映える写真撮影スポットとして若者や外国人観光客から人気を集めています。
また、アミューズメント施設として「ラウンドワン」も出店し、多様な楽しみを提供しています。
このように、この建物は35年の間に「そごう奈良店」、「イトーヨーカドー奈良店」、そして「ミ・ナーラ」として三度変遷しているのです。
「長屋王の祟り」と囁かれる原因
こうして、長屋王の邸宅があった場所に建設された大型商業施設が相次いで閉店したことで、「長屋王の祟り」の都市伝説が生まれました。
前述したように、発掘調査によってこの地に長屋王の邸宅が存在したことが判明し、一部の人々からは保存を求める声も上がりましたが、結果的に「そごう奈良店」として開発されたのです。
しかし、「そごう奈良店」は経営難で2000年に閉店し、その後の「イトーヨーカドー奈良店」も2017年に経営不振で閉店。
このような出来事が重なったことで、「長屋王の怨念が今もこの地に残っている」といった噂が広まり、「祟り」や「呪い」として語られるようになったのです。
しかし、実際に訪れてみると、この大型商業施設が経営不振に陥った要因は、不便な立地と地域の商圏に対して規模が過大であったことに尽きるように思われます。
とはいえ、こうした都市伝説が語り継がれることで、長屋王の存在やその時代を思い起こさせる一因となっているのも確かでしょう。
文 : 撮影 / 草の実堂編集部
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