バイセクシュアル(bisexual) とは、両性愛者を指すことばだ。
近年話題になったレズビアンやゲイがLGBTの筆頭だが、映画『ボヘミアン・ラプソディ』が人々を熱狂させたフレディ・マーキュリーがそうであったように、バイセクシュアルもセクシュアルマイノリティを語る上ではずせない存在だ。
今回はそんな”B”、バイセクシュアルの歴史について見ていこう。
バイセクシュアルの呼称について
まず、この性的指向を意味する呼称について見ていこう。ゲイやレズビアンは「ホモ」「レズ」と呼ばれると気を悪くする傾向にあるが、「バイ」についてはどうだろうか。
バイセクシュアルの当事者は、同性のみを性的欲求の対象とするレズビアンやゲイとは異なる背景をもって育ってきた人が多い。
思春期や成人後などに、大部分の同性愛者達やトランスジェンダーは「ホモ」「おかま」「レズ」「男女」というからかいやいじめ、偏見を受けがちである。
バイセクシュアルの場合は、性指向が両方に向くため、片方を隠すことはさほど難しくない傾向にある。したがって、偏見の目に晒されづらい、晒されても心の逃がし場所がある、という面がある。そのため、わざわざ「バイセクシュアル」と呼ばず「バイ」と呼ばれても特に問題のない当事者がほとんどだ。
セクシャル=エロとは限らない
中には「両刀使い」という呼び方もあり、これをどう受け取るかは個人による。ただし、この俗称は少なからず、性的で卑俗なニュアンスを含むことがあるので注意が必要かもしれない。なぜなら、「性の対象とする」=「セックスの相手に選ぶ」という発想はセクシュアリティのごく一部を切り取った興味本位な視点だからだ。
「両刀使いのバイは男とも女とも相手構わずヤリ放題」というようなイメージは、ちゃらちゃらとしたバイにとっては快く誇らしいものかもしれないが、当事者が皆そうではないのだ。
「男女とも性の対象とする」ということは、「密かに切ない恋慕の情を抱いてきた」ことかもしれないし、「人の倍以上、いろいろな場面で身体が疼き苦悶したが耐えぬいた」ことかもしれないし、「性別の壁を超えて多様な人達と友愛を築いた」ことかもしれない。
そういったことも想定してバイセクシュアルと交流してみると、他の人とは一味違った世界観を見せてくれることだろう。
地球上においての歴史は古い
両性愛的な行動は、知能が高度に発達し文化が複雑になった人類のものと思われることがあるが、そうではないことを自然界は照明している。
哺乳類のボノボ、シャチ、バンドウイルカを筆頭として、500種類以上の動物にバイセクシュアルな行動が観察されている。動物の存在意義は子孫繁栄であるという考えは、半分程度しか当たっていない。同性との性的親密さを築くことは、彼ら本能的な生き物にとっても意義があることなのだ。
人間界最古のバイセクシュアルは聖書に!?
両性愛的行動が、多くの動物種において認められている一方、ヒトはどのようにそれを表現してきたのだろうか。
古代ギリシャの社会では、男性の精神的発達は同性愛的→両性愛的→異性愛的に、段階的に発達すると考えられていた。他の地域、古代ローマ帝国、中国、日本、中東諸国においても、両性愛的なふるまいが観察されている。
人類史上最も古く、そして有名なバイセクシュアルは古代イスラエル王の「ダビデ」である。彼は、部下の妻が水浴びをしているところに欲情して姦通するほど異性愛的であったが、「親友」ヨナタンとの愛の記録は、ほぼ同性愛的である。
「ヨナタンの魂はダビデの魂に結びつき、ヨナタンは自分自身のようにダビデを愛した」(サムエル上18:1)
「ダビデは石塚のかたわらをはなれて立ちいで、地にひれ伏して三度敬礼した。そして、ふたりは互に口づけし、互に泣いた」(サムエル上20:40)
「あなたを想って私は悲しむ。兄弟ヨナタンよ、真の喜び 女の愛に勝る驚くべきあなたの愛を」(サムエル下1:26-27)
聖書は、その記述から世界中に同性愛への偏見と嫌悪をふりまき多くの弾圧と悲劇を生んだ。
しかし罪深いのは「ソドム」にて行われていたまがまがしい乱交や暴行であり、「ダビデとヨナタンの”愛”」は、キリスト教徒の間でも素晴らしい美談と捉えられている。
埋もれがちなバイセクシュアルの悩み
バイセクシュアルは、その性質上、「埋もれて」いることが多い。
ストレート(異性愛者)に紛れていることもできるし、ゲイ/レズビアンと申告していることもある。
それはセクシュアルマイノリティとしては比較的生きやすいと言えるかもしれない。しかし同時に、悩みの種でもありうる。
交際・結婚をしたら、パートナーにはどこまでを開示するか。それを相手は受け入れるか。これは正直に生きたいと願う当事者にとっては苦しい局面かもしれない。
また、LGBTコミュニティのうち、ゲイコミュニティにおいてバイはあまり歓迎されないことが多い。ゲイの集まりに参加したバイセクシュアルがカミングアウトすると「どうせ最後は女のとこ行くんでしょ」「どっちつかずな半端者」と言われることがある。
オープンに「自分はバイです」と言い、それをそのまま受け入れられることが普通であれば、後ろめたさを感じずより健康に生きられる当事者が増えることだろう。
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ぼくは誕生日が来ると77才になる仙人です。ぼくは50代頃まで、超まじめな人間でした。今も誠実な人間ですが、性でも悟りを開いたことで、とてもおおらかな人間になれました。今の夢は3p~4pが夢ですが、事由はチンコは女のまんこに、後ろの男の蜜壺アヌスは男のチンコが欲しい為です。所謂両性愛です。人類史は両性愛により、より客観的に相手を見つめることが出来て進化しました。人類史の天才や聖人、大将たちが、ほとんど両性愛者であることを深く確認するたびに、自分の心も穏やかな悟りに至ることができました。しかし、僕の蜜壺は女をしのぐ”まんこ”のような超蜜壺ですが、実はまだ処女=真の男の男根未体験なのです。ゆえに現代の社会でも普通に両性愛者として、日々の生活が遅れたら、どんなに世界は平和に幸せになるか、…を感じます。いい女を前に、後ろの蜜壺アヌスは男のチンコをとても欲しいのです。この夢よ実現せよ!