幕末明治

明治・大正時代の洋菓子について調べてみた

明治から大正時代というのは、伝統的な日本の文化の中に、西洋の文化が流れ込み、新たな文化が多数生まれた時代だった。
着物姿の人もいれば、ドレスを着た貴婦人スタイルの人もいて、街はまさにカオス状態。
そんな時代に、多数の洋菓子が西洋から伝わり、日本の菓子職人によって数々のレシピが考案された。
明治・大正時代に生まれた、様々な洋菓子について調べてみた。

ワッフル

明治・大正時代の洋菓子について調べてみた

※ワッフル。Wikiより

ワッフルはお洒落なスイーツのイメージがあるのだが、なんと明治時代には既にレシピが存在し、大正時代には既にメジャーなお菓子だった。昭和初期の辞書にも載っている。

現在はワッフル単体で食べることが多いが、リンゴジャム(当時の発音は「ジャミ」)などを付けて食べるのが一般的だった。

ショートケーキ

※ショートケーキ。Wikiより

これはなんと、不二家が生み出した日本オリジナルのケーキである。

日本人にはお馴染みの定番のケーキだが、外国には存在しない。

このケーキの原型は、ビスケットにクリームとイチゴをのせて重ねたアメリカのお菓子だと言われているが、詳細は不明である。

シュークリーム、エクレア

シュークリームは、幕末に横浜で洋菓子店を開いていたフランス人が日本に伝え、明治29年には日本の洋菓子店が販売を始めた。
大正7年に、不二家がシュークリームとエクレアの販売を開始した。
冷蔵庫が普及する昭和30年代までは、一般家庭には普及していなかった。

カスタードプリン

現在よく見かけるプリンとは少々違うものだが、大正時代には既に存在していた。
あるレシピ本には「牛乳卵砂糖寄温菓(カスタプリン)」と表記されている。
当時は基本のレシピができておらず、味も見た目も統一されていなかったようだ。中にはレモン風味だったり、カラメルソースがなかったりするものもあり、見た目は似ていても食感や味が違っていた。

キャラメル

キャラメル自体は明治時代から作られていたが、有名な「森永ミルクキャラメル」は、大正2年に発売された。
当時は値段が高く、大人向けの商品だった。1粒が、大福1個分と同じ値段だった。
また、煙草の代用品として宣伝されていたことがある。
福沢諭吉はキャラメルが大好きで、大量に買い込んでいた。

ホットケーキ

※ホットケーキ。Wikiより

明治30年代に初めて雑誌で紹介され、大正12年に「ハットケーキ」という名前で東京のデパートの食堂のメニューになった。
何故「ハットケーキ」という名前をつけたのか、理由ははっきりとしていない。
そもそも英語では「パンケーキ」(フライパンで焼くケーキ)と呼び、アメリカでは厚めのパンケーキのことを「ホットケーキ」と呼ぶのだが、アメリカで主に食べられているのは「パンケーキ」のほうである。

日本で「ホットケーキ」と呼ぶようになった由来は、初めてホットケーキミックスを発売した会社が「温かいケーキ」という意味で、「ホットケーキ」を商品名に使ったからだとされる。
日本のホットケーキは西洋のパンケーキよりも甘いが、これは「森永ホットケーキミックス」が甘い味付けであったことが理由で定着した。

チョコレート

明治10年、東京米津風月堂が「千代古齢糖」という名前で売り出したが、その時はあまり普及しなかった。
大正7年になると、森永製菓が日本初のチョコレート一貫製造による国産ミルクチョコレートを発売した。

おわりに

チョコレートやキャラメルのロングセラー商品が大正時代からあるのは有名な話だが、その他にも意外なものが明治・大正時代に既に食べられていたことは驚きだ。
同じ名前なのにレシピが全く違うものがあるのは、今ほど情報の入手が簡単でなかったために、菓子職人たちが試行錯誤した結果であろう。
大昔にジャパナイズされた洋菓子が、今でも当時の姿のまま定番として残っているというのも興味深い。
洋菓子を食べる時に、その歴史を思い出しながら食べてみると、また違った味わい方ができるのではないだろうか。

関連記事:仁丹について調べてみた

アバター

歌夜

投稿者の記事一覧

人形と本で埋め尽くされた部屋に住んでいる。古いものと、変なものが好き。

✅ 草の実堂の記事がデジタルボイスで聴けるようになりました!(随時更新中)

Audible で聴く
Youtube で聴く
Spotify で聴く
Amazon music で聴く

コメント

  1. アバター
    • 名無しさん
    • 2022年 5月 16日 9:05pm

    面白かったです

    8
    1
  2. アバター
    • 名無しさん
    • 2022年 5月 30日 9:07am

    おもしろい

    5
    1
  3. アバター
    • 名無しさん
    • 2023年 12月 07日 10:59am

    意外

    2
    1
  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事

  1. コーヒー文化はどのように広がっていったのか 【コーヒーハウスは女…
  2. 毛利敬親【多くの維新の人材を見出した そうせい候】
  3. お湯がなくても大丈夫?水でカップ麺を作って食べてみた 【ライフハ…
  4. 幕末の薩摩藩と島津氏 「島津斉彬による藩政改革」
  5. ルイボスティーの効能について調べてみた【疲れがとれる不思議なお茶…
  6. 「パンの歴史」について調べてみた 【日本にパンが伝わったのは戦国…
  7. つけ麺の歴史と「東京のつけ麺」10選
  8. 日本一の美人芸妓・萬龍の波乱の生涯 「美しすぎて小学校が通学拒絶…

カテゴリー

新着記事

おすすめ記事

古代中国人の信じられない出産方法 「母親は立ったまま出産していた」

出産スタイル出産を経験した女性たちは、いつの時代も偉大であり、心から尊敬に値する存在であ…

みゆちゃんの父親【漫画~キヒロの青春】86

しかしえげつない暑さですね。去年は6月後半くらいからずっとこんな感じだったので今年はまだマシ…

【光る君へ】 なぜ藤原氏の紫式部が『藤原氏物語』ではなく『源氏物語』を書いたのか?

『源氏物語』誕生の謎平安時代初期、藤原氏はライバルの源氏との政治闘争に勝利します。その勝利の要因…

「32000年前にネアンデルタール人が描いたアニメ?」 フランス・ショーヴェ洞窟壁画とは

アニメがいつどこで始まったのかは、答えに困る。そもそも何をもって「アニメーション」と呼ぶのかによって…

「親に売られて吉原に」逃げようとした遊女に課せられた残酷な罰とは

燃え盛る炎から逃げ惑う人々、市中に響く半鐘の音という場面から始まったNHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重…

アーカイブ

PAGE TOP