地理

【スエズ・パナマ】 世界の運河について調べてみた

パナマ運河
※パナマ運河

世界の主な交通手段が船舶だった頃、人々はより早く、より安全に航行するために人工の水路を造った。大きなものでは大陸間に楔を打ち込むように、小さなものは家々を往来するように、様々な運河が造られ現在も活かされている。

今回はそんな世界の運河について調べてみた。

パナマ運河

パナマ運河
※パナマ運河の全体図

パナマ運河パナマ共和国のパナマ地峡を開削して、太平洋とカリブ海を結んでいる閘門(こうもん)式運河である。

閘門式運河とは、水位の異なる運河のなかで、船を上下させる装置のことである。水路の一部を扉で閉じ、その中に船を入れる。もう一方の扉も閉じることで両端の扉に挟まれた区間は防水構造になる。

そこに水を給排水することで水位を変え、高さの異なる水路に船を進ませるのだ。

いわば、船のエレベーターである。

パナマ運河の規模は全長約80キロ・メートル、最小幅91メートル、最大幅200メートル、深さは一番浅い場所で12.5メートルである。上り下りにそれぞれ3段階、待ち時間も含め約24時間かけて船舶を通過させる。

パナマ運河の建設は難工事だったこともあり、紆余曲折あったが、アメリカ合衆国によって建設が進められ、10年の歳月をかけて1914年に開通した。テディ・ベアで有名なセオドア・ルーズベルトの時代である。

この運河の建設により、太平洋とカリブ海(大西洋)はつながったのだ。

スエズ運河

パナマ運河
※スエズ運河

スエズ運河は、エジプトのスエズ地峡(スエズちきょう)に位置し、地中海と紅海(スエズ湾)を結ぶ、海面と水平な人工運河である。船だけではなく、大東電信会社の電信ケーブルも運河を通った。

1869年11月開通。本運河によりアフリカ大陸を回らずにヨーロッパとアジアを海運で連結することができるようになった。特にアフリカ最南端にある喜望峰近海は波が荒いときも多く、危険な航海だったためスエズ運河の建設は早くから望まれていた。

建設当初のスエズ運河は全長164キロ・メートル(102マイル)、深さ8メートル(26フィート)だったが、その後何度かの拡張工事を受け、2010年段階では全長193.30キロ・メートル(120.11マイル)、深さ24メートル(79フィート)、幅205メートル(673フィート)となった。

これにより、アメリカ軍の軍艦も通行できるようになった。

地理的にも石油の輸送と深い関わりがあり、1995年までに、ヨーロッパで消費された石油の3分の2はスエズ運河を経由した。また、その重要性から第一次世界大戦ではオスマン帝国とイギリス軍によって運河を巡る戦闘もあった。

その後も要衝であるがために、中東で戦争があるたびに各国が占領しようと争っている。

ヴィネツィア

パナマ運河
※ヴィネツィア

アドリア海の女王」「水の都」「アドリア海の真珠」とも称されるイタリア共和国の都市。

その呼び名から、「陸地に運河を造った」と思われることも多いが、実際にはヴェネツィア湾にできた潟(湾が砂州によって外海から隔てられ湖沼化した地形)の上に築かれた海上の街である。

そのため、ヴィネツィア本島のほか、小さな島々からなっており、水位が低いので運河は自然に街全体に広がった。

本島も小さな島々から構成されており、その真ん中を全長約3kmにおよぶ逆S字形の「カナル・グランデ(Canal Grande、大運河)」がヴェネツィアの北西から南東へ、市街を2つに分けながら湾曲して流れる。

さらにそこから枝分かれするように小さな運河が広がっているのだ。


※ヴェネツィアの運河

もともと陸地の面積が狭く、海に遮断されることが多かったヴィネツィアでは、車が渡れない橋や入れない場所が多くあり、主な交通機関は必然的に船になる。

また、ヴェネツィア本島内は自動車での移動は不可能であり、自転車の使用も禁止されている。

そして、やはりヴェネツィア名物といえばゴンドラが有名だが、現在では観光用に運行されているだけだ。

その立地から、高潮が起きるとヴェネツィアの街中まで水が入り込むことが昔から多かった。それは現代でも同じだが、過去の水位の変化は建物の外壁の色がある高さを境に微妙に異なることで分かる。繰り返す増水により、色が変わってしまったのだ。

しかし、それすらヴェネツィアらしい風景である。

江戸の運河


※江戸の街

江戸も運河の街であった。

徳川家康が1590年に江戸城に入城したころは、城のすぐそばに海岸が広がり、波打ち際になっていた。いたる所が芦の茂る湿地で、城下町もごく狭いものだったという。
しかし、天下統一の過程において物資の大量輸送と交流地域の確立が必要となった。そのため、陸地を広めるとともに運河と河川の整備に力を入れる。

その結果、江戸最盛期の文化・文政(1800年代初頭)には、約130万人が住む世界一の巨大都市に成長したのだ。それまでの自然の川と運河を巧みに組み合わせることによって高度な水上交通網が完成した。

特に街の東側(江東区周辺)は物流が盛んで、房総方面から入ってきた物資をよりスムーズに城下に運び入れるため、運河の役割は一層大きかったのである。

しかし、江戸の運河と川の組み合わせにはもうひとつ大切な意味が込められていたという。

運河を抜けて隅田川に出た船は、さらに城下の中心へ向かおうと日本橋川に入る。しばらくすると日本橋の手前で川が不自然に左に曲がっているのだ。現在は首都高速が架かっているので分かりづらいが、江戸橋JCTあたりで左に折れている。

するとどうだろう。曲がった先に見えるのはそびえたつ江戸城。そして、その遥か先には富士山が同時に見えたのだ。船乗りにとっては徳川の力を見せ付けられた思いで感動したに違いない。

この配置が徳川による意図的なものか、自然の成り行きかは不明だが、実に粋な演出である。

最後に

運河と文化の発達は切り離せない。その証として、世界の多くの運河が今でも使われている。

日本では巨大な運河がないために忘れがちだが、車社会となったいまでも運河はその役目を終えていない。

 

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