一人の家政婦の悲劇
20世紀初頭、アメリカのニューヨーク州近郊では、腸チフスが小規模かつ散発的に流行していました。
腸チフスは主に腸チフス発症者の大便や尿に汚染された食物、水などを通して感染するのですが、感染のほとんどの原因が感染者の不十分な手洗いや、衛生環境の不十分さから引き起こされていました。
しかし、腸チフスに一度も感染したことが無いにも関わらず、知らず知らずの内に周りの人々に腸チフスを感染させてしまった一人の女性が存在します。
その女性の名はメアリー・マローン。またの名を「腸チフスのメアリー」と言い、「アメリカで最も危険な女性」とも呼ばれた一人の善良な家政婦です。
彼女はどうして周囲の人間を無自覚にも病魔に陥れてしまったのでしょうか?
アメリカの衛生観念と個人の人権の議論の的となった善良な家政婦の悲劇についてお話しします。
メアリー・マローンの生い立ち
1869年、メアリー・マローンは、当時イギリスの統治下にあったアイルランドのクックス島で誕生しました。
このとき、ちょうどアイルランドでは「じゃがいも飢饉」と呼ばれるほど大きな食料難が発生しており、多くのアイルランド人が生活する場所を求めてアメリカに移民を行っていました。貧しい家庭に生まれたメアリーもそれにもれず、僅か14歳という若さでニューヨークに移住せざるを得ませんでした。
ニューヨークにたどり着いたメアリーでしたが、彼女にはアメリカにツテもなく、これといった技能も持ち合わせてはいませんでした。そのため、メアリーは家政婦としてニューヨーク各地の邸宅で働き始めます。
持ち前の根性と人柄の好さで辛い下積み時代を乗り越えたメアリーは、メキメキと料理の腕と家政婦としての能力を上昇させ、ニューヨークでは評判の家政婦となります。
そんなメアリーの評判を聞きつけたあるニューヨーク在住のお金持ちは、メアリーに専属の住み込み家政婦として働いて欲しいと申し出ます。
この申し出を受けたメアリーは富豪宅に高給で雇われたので、いつしか彼女は地位と名誉を兼ね備えた立派な家政婦として活躍するようになっていました。
謎の腸チフス感染
一方、このころニューヨーク州では腸チフスの小規模な流行が各地で散発的に発生していました。
そのような中、メアリーの雇い主である人物も腸チフスに感染してしまい、家政婦であるメアリーが懸命に看病を行いましたが、雇い主の症状は一向に回復に向かいませんでした。残念ながらメアリーの看護も虚しく、雇い主は腸チフスに身体を蝕まれながらこの世を去ってしまいます。
雇い主を失ってしまったメアリーは失業してしまったため、その後も家政婦としてニューヨーク各地のお金持ちが住む住宅で働き始めるのですが、なぜかメアリーが家政婦として勤めた住宅各地で腸チフスが発生し始めます。
さらにメアリーと共に家政婦として勤めていた多くの者たちも腸チフスに感染し、少なくとも20人以上が腸チフスの症状に苦しみ、洗濯婦として働いていた女性一人が死亡してしまいます。
チフス感染の原因が分からず困惑するメアリーら家政婦たちと雇い主でしたが、ある日、メアリーを雇用しているお金持ちの一人がニューヨーク市衛生局に原因究明を依頼します。
依頼を受けた衛生局は衛生士であり職員であるジョージ・ソーパーを派遣し、邸宅の隅々を調査を開始します。ソーパーは調査を地道に行い、依頼主以外のニューヨークの邸宅にも足を運び、チフスの感染源の究明に奔走します。
そこで、ソーパーは一つの事実に気が付きます。なんとニューヨーク郊外の富豪宅各地で発生した腸チフスは、メアリーが家政婦として勤務を開始した日と全て合致していたのです。
調査と隔離
メアリーが腸チフスの原因ではないかと仮説を立てたソーパーはメアリーに調査に協力するよう依頼し、彼女の糞便と尿を衛生局に提出するよう申し出ます。しかし、この申し出を聞いたメアリーは激怒してしまいます。
メアリーが怒ったのも無理はありません。第一、メアリーは腸チフスに感染したことはありませんでしたし、自分はニューヨークで評判の家政婦という自負もありました。そんな自分が腸チフスの感染源の疑惑を向けられたことに、メアリーは大きな屈辱を受けたのです。
しかし、自分の調査結果に確信を抱いていたソーパーは衛生局に自分の仮説を話したところ、多くの衛生士がソーパーの仮説に賛同。ソーパーは医師を引き連れて再びメアリーの説得に当たりますが、メアリーは大きな金属製のフォークを振り回して激しく抵抗します。
メアリーのあまりにも激しい抵抗を受けた衛生士一同は遂に警察に協力を要請し、警察官5人を引き連れ3度メアリーの下を訪れます。しかし、メアリーは邸宅のクローゼットに身を隠していたため、結局彼女の身柄を確保するのに5時間も要してしまいました。
こうして身柄を確保されたメアリーは衛生局にて綿密な検査を受けます。そして、検査の結果メアリーの糞便から腸チフス菌が発見されたのです。
結果を見た衛生局はメアリーをニューヨークの外れにあるノース・ブラザー島に隔離したのですが、何故健康体であるメアリーが腸チフスの感染源であったのかに頭を悩ませました。
腸チフスのメアリー
健康体であるにも関わらず、腸チフスの感染源であるとされたメアリーは、この衛生局の判断にどうしても納得が出来ませんでした。このときメアリーが納得できなかった理由の一つに彼女がアイルランド移民であったことが挙げられます。
実際、この時多くのアイルランド移民者がアメリカ人から差別を受けており、アメリカで流行る病の多くはアイルランド移民が持ち込んだものだと、根拠のない言いがかりを付けられることもありました。こういった差別的な背景がメアリーをますます反発的にさせてしまっていたのです。
その後もメアリーは隔離先にて1年以上も衛生局の検査を受けて腸チフス菌の排出を確認されるのですが、「自分は言われなき不当な扱いを受けている」という思いを募らせたメアリーは行動を起こします。
メアリーは自分の腸チフス菌のサンプルを密かに別の医師に送り独自に研究を開始。その結果、別の医師からは腸チフス菌は検出されなかったとの報告があり、自分が不当な扱いを受けているという確信を得たメアリーは、隔離から2年が経過した1909年、市衛生局を相手に隔離の中止を求めて訴訟を起こします。
メアリーは病室のガラス越しに新聞記者の取材を受けたため、この訴訟はアメリカ内で大きな反響を呼び起こします。アメリカ国内ではメアリーの境遇は人権侵害ではないのか?と擁護する意見もでますが、彼女を「腸チフスの感染源」と見た一部の記者たちは「アメリカで最も危険な女性」「毒を巻き散らす女」など大袈裟に彼女を掻き立てました。
訴訟の結果、1年以上もメアリーの体内からチフス菌が発見されているという衛生局側の訴えが通り、メアリーは敗訴してしまいます。しかし、この訴訟によってメアリーは隔離から解放される機会を衛生局側から与えられ、1910年に条件付きで隔離から解放され、遂に自由の身となります。
こうして自由の身となったメアリーでしたが、この訴訟の反響は大きく、いつしか世間はメアリーを「腸チフスのメアリー」という不名誉な渾名で彼女を呼ぶようになっていました。
この不名誉な呼び名は彼女のその後の人生に暗い影を落とします…。
その後のメアリー
隔離から釈放されたメアリーは衛生局と以下の条件を守ることを約束しました。
・食品を扱う職業には就かないこと
・定期的にその居住地を明らかにすること
メアリーはその約束を守り再び家政婦として働き始めますが、しばらくすると彼女の消息は途絶えてしまいます。
メアリーの消息が途絶えてから5年後の1915年、ニューヨークの産婦人科にて腸チフスで25人の感染者と、2人の死者を出す事件が発生。まさかと思った衛生局が駆け付けると、なんとメアリーはその病院にて調理員として働いていたのです。
メアリーは釈放された後は家政婦として働き始めましたが、「腸チフスのメアリー」の異名はアメリカ中に知れ渡っており、以前のように優秀な家政婦として働くことは不可能になっていました。
そこでメアリーは偽名を使って産婦人科に就職し、調理員として働き始めたところ、またしても腸チフスが発生してしまったという訳です。
この事件の後、メアリーは再びノース・ブラザー島の病院に隔離され、69歳で亡くなるまでの23年間、二度と隔離病棟から出ることはありませんでした。
メアリーは病院内で看護師として働き、ひっそりとこの世を去ったとされています。
メアリーの病気の原因はなんだったのか?
腸チフスという病気に生涯振り回されたメアリーですが、一体なぜ彼女は常にチフス菌を保有する体質になってしまったのでしょうか?
実はこの症状は「無症候性キャリア」と言われるもので、病原体による感染が起こっていながら、明瞭な症状が顕れないまま、他の宿主(ヒトや動物など)にその感染症を伝染させる症状だったのです。(※現代で有名なものではHIVや性病などが挙げられる)
実際、メアリーの死後に彼女の遺体は解剖され検査をした結果、彼女の胆嚢に腸チフス菌の感染巣があったことが判明します。
しかしメアリーは特殊な例であり、過去にメアリーに感染したチフス菌は彼女の胆嚢にだけに感染し、特別な症状が現れないままチフス菌が胆嚢内部に定着し生涯にわたって、菌が胆汁に混ざって腸に排出されつづけることが解剖の結果明らかになったのです。
また、メアリー本人は腸チフスに対しての抗体などの免疫を獲得してしまったため、彼女自身に腸チフスの症状が現れることは無かったのです。しかし、彼女の排泄物に混じった見えない菌は、メアリーの身体各部に付着しており、それが飲食物に混じってしまい、この悲劇を生んでしまったと考えられています。(※ちなみに排泄物をトイレットペーパーで拭くとそれだけでも菌は付着しています。)
「腸チフスのメアリー事件」は、現在のアメリカでは公衆衛生の意識を高めるための教材として、特に食品を扱う人がいかに衛生面に気を使うべきかということを語るものとして、その恐ろしげな呼び名とともに今も語り継がれています。
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