794(延暦13)年から約1200年にわたり、日本の都として君臨した平安京・京都。
日本で本格的な都城が造営されたのは飛鳥時代後期、天武、持統天皇の藤原京だった。そして、710(和銅3)年に元明天皇により平城京(奈良)に移り、さらに桓武天尾により長岡京を経て、平安京に移った。
こうした都城には、天皇の宮城が北辺にあり、その南に宗廟や官庁を設け、その周辺に市街地が形成されていた。
平安京には、土塁や門などの防御機能とともに、天皇・貴族以下、庶民が安住の地とするための精神的な防御措置も取り入れられていた。都城の四方を中心に都を守護する社寺を設け、その北の鬼門の位置にある鞍馬寺は、平安京北方の守護神とされた。
鞍馬寺は、770(宝亀元)年に、鑑真の弟子鑑偵が一庵を結び、毘沙門天像を安置したという歴史を持つ。そして、平安遷都で毘沙門堂が改装され、観音像を毘沙門天の脇に安置したのが寺院としての始まりとされる。
一方、多くの人々が暮らす都城を維持するのに、必要不可欠なものは「水」だった。平安京には白川、賀茂川、桂川など幾つかの河川が流れている。さらに地下には豊富な伏流水があり、少し掘るだけできれいな水が湧き出した。
こうした「水」を司る神を祀るのが貴船神社だ。
すなわち鞍馬寺と貴船神社は、平安京が都であるためにとても重要な寺社であったのだ。
今回はそんな鞍馬寺と貴船神社をめぐり、その歴史と意義を紹介しよう。
目次
浄域への結界となる「鞍馬寺仁王門」
鞍馬寺の入り口に建つのが、「鞍馬寺仁王門」だ。
同門は、1911(明治44)年の再建だが、左側の扉は寿永年間(1182~1184年)頃のものを使用する。
両側に立つ仁王尊像は運慶の嫡男湛慶作と伝えられる。鞍馬街道から石段を登った場所に建ち、ここが平安京北方を守る寺院の浄域への結界となる。
仁王門から多宝塔までは、足の弱い人や年配の人が楽に参拝できるように敷設されたケーブルがある。ただし、今回はケーブルを使用せずに「九十九折参道」を歩くルートを紹介する。
平安京の北方鎮護の神「由岐神社」
仁王門から徒歩約5分で、鞍馬本町の氏神「由岐神社」に着く。
同社は、940(天慶3)年に起きた平将門の乱の際、朱雀天皇の勅により「靫明神」を鞍馬寺に遷宮し、平安京の北方鎮護の神として創建された。
中央に石段の通路が設けられた割拝殿が特徴の拝殿は、豊臣秀頼の再建で重要文化財に指定される。また、樹齢600年・樹高49mの巨大な杉の御神木があり、根元には大杉社が祀られている。
毎年10月22日に行われる京都三奇祭の一つ「鞍馬の火祭」は、その時に里人が篝火を持って神霊を迎えたことによるとされる。
白い向う鉢巻き、厚地の雲斎織の肩当を緋縮緬のひもで結んだ男衆が、松明をかつぎ「サイレヤ、サイリョウ」と口々に叫び、夜空を赤々と染める。
清少納言も歩いた「九十九折参道」
仁王門から本殿までの山道の参道が「九十九折参道」で、「由岐神社」から「本殿金堂」まで、約800mの長い坂道が続く。
清少納言が『枕草子』で、「近くて遠きもの鞍馬のつづら折りといふ道」と記したことで知られる。王朝の才女達もこの道をゆっくりと登ったのかと思うと感慨深い。
「由岐神社」を過ぎてしばらく歩くと石畳の道になるが、中門を過ぎたあたりから急坂になる。中門には、杖が常備されてるので利用しよう。
牛若丸の守り本尊「鞍馬寺川上地蔵尊」
「由岐神社」からしばらく歩くと牛若丸(源義経の幼名)の守り本尊である地蔵尊が祀られる小堂「鞍馬寺川上地蔵尊」がある。
参道を隔てて牛若丸が暮らした東光坊跡に「義経公供養塔」が立つ。
今でも鞍馬寺では、義経の魂は少年時代を過ごした鞍馬山に鎮まっていると信じられているという。
鞍馬寺の中心道場「鞍馬寺本殿金堂」
中門から急な石段を登っていくと、1971(昭和46)年に再建された鞍馬寺の中心道場「鞍馬寺本殿金堂」にたどり着く。
本堂内には、千手観音菩薩、毘沙門天王、護法魔王尊(脇侍、役行者・遮那王尊)の尊天が月、太陽、大地を表わして三位一体像として祀られている。本尊は秘仏とされ、60年に一度、丙寅の年に開扉される。
「本殿金堂」前には宇宙のエネルギーである尊天の波動が果てしなく広がる星曼荼羅を模した金剛床がある。人間の内奥には宇宙の力が隠されているとされ、この場に立てば宇宙そのもののとされる尊天と一体化できるといわれる。
金堂の左右には、狛犬ならぬ阿吽の虎が睨みを利かしている。
毘沙門天の出現が、寅の月、寅の日、寅の刻とされていることから、虎は本尊毘沙門天にお仕えする神獣とされる。
五十音が「あ」から始まり、「ん」で終わることから「阿吽」は、宇宙の全てを包含すると言われている。
出奔の際に背比べをした「源義経公背比石」
「本殿金堂」から約400m歩くと、「源義経公背比石」がある。
平清盛により幼い命を助けられた牛若丸は、平家が父義朝の仇であることを知り、奥州平泉の藤原秀衡を頼って鞍馬寺を出奔する。
その際に名残を惜しんで背比べをした石と伝わる。
牛若丸が兵法修行を行った「木の根道」
「源義経公背比石」から「大杉権現社」に至る道が「木の根道」呼ばれ、杉の根が地表で見事なアラベスク模様を描く。
これはこの辺り一帯の砂岩が、灼熱のマグマの貫入によって硬化したために根が地下に伸びることができなかったためという。
牛若丸がこの荒々しい道で、兵法修行を行ったという伝説が残されている。
護法魔王尊のエネルギーの高い「鞍馬寺大杉権現社」
魔王尊向影の杉をご神体として祀る社が「大杉権現社」で、鬱蒼とした杉木立の中に建つ。
ここは、大杉苑瞑想道場と呼ばれ、鞍馬山内でも特に護法魔王尊のエネルギーの高い場所としてされ、周囲は神秘的な雰囲気に包まれている。
義経の御魂を祀る「鞍馬寺義経堂」
平家を壇ノ浦の戦いで滅ぼした後、兄頼朝と対立した義経は、奥州平泉で非業の死を遂げた。
「義経堂」には、その御魂を遮那王尊として祀り、義経の霊が平泉から鞍馬山に戻り、安らかに鎮まっているとされる。
この辺りは、義経が牛若丸時代に天狗から兵法を習った「僧正ガ谷」と呼ばれる場所でもある。
地上の創造と破壊を司る「鞍馬寺奥の院魔王殿」
「義経堂」から歩みを進めると、サンゴやウミユリなどの化石が含まれる奇岩の上に「鞍馬寺奥の院魔王殿」が建つ。
ここに祀られる護法魔王尊は、地上の創造と破壊を司る地球の霊王。650年前に金星からこの地に天下ったとされている。
護法魔王尊は神智学ではサナト・クマラ、キリスト教では堕天使ルシファーとされる。
「奥の院」から急な坂道を下ると、しばらくして川の水音が聞こえてくる。ここが鞍馬寺の貴船側からの参詣口・西門だ。
朝廷の祈雨・止雨の祈願所「貴船神社本宮」
鞍馬寺西門から貴船川沿いの道を上流に進むと、まもなく「貴船神社」参道入り口の鳥居がある。
鳥居をくぐり灯籠が並ぶ石段をあがると「貴船神社本宮」の境内に出る。
貴船神社は平安遷都の折り、高龗神を祭神として新都の用水の源に祀られ、朝廷の祈雨・止雨の祈願所として朝野の崇敬を集めた。
境内には本殿、拝殿、神饌所などがあり、祈雨には黒馬、止雨には白馬を献上したといわれる。
二頭の跳ね馬像がおかれ、ここが絵馬発祥伴の地とされる。
縁結びに御利益がある「貴船神社中宮」
「貴船神社中宮」は、「結社」とも呼ばれ、本宮と奥宮の中間に鎮座する。
「縁結びの神として良縁を授けん」と当地に鎮まったという磐長姫命を祭神とし、古くから縁結びの神として信仰される。
以前は、境内の細長い草の葉を結び合わせて縁結びを願掛けした。しかし、現在は植物保護のため本宮で授与される「結び文」に願文を書いて指定場所に結ぶことになっている。
夫との縁結びを中宮に祈願した「和泉式部歌碑」
平安王朝で、恋多き女性として知られた和泉式部。
彼女も夫・藤原保昌との縁結びを「結社」に祈願したと伝わる。
その時に詠んだ「ものおもへば 沢の蛍も わが身より あくがれいづる魂かとぞみる」(『後拾遺和歌集』)の「和泉式部歌碑」が立つ。
聖地として神威を漂わせる「貴船神社奥宮」
かつての貴船神社本社だった「貴船神社奥宮」。しかし、度重なる洪水のため現在の本宮に移転した。
とはいえ、奥宮は貴船神社の聖地としていまも独特の神威を保っている。
大昔、神武天皇の母玉依姫とその一族が大阪湾から淀川水系を黄色い木製の船でさかのぼり、ここに祠を建てたのが貴船神社の起源とされ、「木船」「黄船」が「貴船」に転訛したとされる。
その船を崇めたのが石を船形に積んだ「船形石」。
本殿左にあり、この中に「木船」が埋められているとされるが、玉依姫の御陵という伝承もあり興味深い。
このコースはゆっくり歩くと、拝観時間を含めて3時間半ほどでまわることができる。しかし、鞍馬寺はスタートの仁王門から急坂が続き、しかも木の根道など歩きずらい場所も多いので、足元はしっかりと固めてのぞみたい。
また、貴船側に出るまで、基本的に飲食はできないので、スタート前に鞍馬寺門前の飲食店で食事を済ませてから出発するのがよいだろう。
寺社めぐりならではの精進料理を味わいたいのであれば、鞍馬寺御用達の精進料理店「雍州路」がおすすめだ。
胡麻豆腐や白和えなど付く精進膳など、本格的な精進料理が手軽にいただけるのがうれしい。
また、5月から9月いっぱいは貴船の川床が行われるので、貴船川のせせらぎの音を聞きつつ、涼味あふれる京都の夏の風物詩を満喫するのもこのコースならではの楽しみ方だろう。
鞍馬寺公式サイト:https://www.kuramadera.or.jp/
貴船神社公式サイト:https://kifunejinja.jp/
雍州路公式サイト:https://www.yoshuji.com/852261e38b5c4565b4fd966af267dea0
文・写真 / 高野晃彰 校正 / 草の実堂編集部
※参考文献
京都歴史文化研究会著 『京都歴史探訪ガイド』メイツユニバーサル刊
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