ミリタリー

リヒトホーフェン ~レッド・バロンと呼ばれた男【紅の豚のモデル?】

第一次世界大戦の記憶が薄れつつあった1929年、世界は大恐慌に見舞われた。

そんな時代のイタリア・アドリア海。我が物顔で飛行艇を乗り回しては、客船から金品を強奪する「空賊」が好き放題をしていた。そして、そんな空賊を相手に賞金稼ぎで生きる飛行艇乗りたちの物語。

スタジオジブリの長編アニメーション「紅の豚(1992年)」のストーリーである。

地上波でも繰り返し放送されたため、知らない人は少ないだろう。主人公のポルコは豚。真紅の飛行機に乗り「飛ばねぇ豚はただの豚だ」とうそぶく。なんとも渋いではないか。

しかし、この「真紅の飛行艇乗り」にモデルがいたことは知っているだろうか?

槍騎兵から航空隊へ

史上初めて航空機による空中戦が行われたのは第一次世界大戦である。

しかし、航空機は投入当初から空中戦を想定してはいなかった。航空写真による偵察や味方の砲撃をサポートするための着弾観測が主な任務である。しかし、「前線で何が起きているのか」を知ることはできる。

ドイツ陸軍のマンフレート・アルブレヒト・フライヘア・フォン・リヒトホーフェンもその思いで飛行訓練所へと入所した。1915年、23歳のことである。

1911年に士官学校を卒業したリヒトホーフェンは槍騎兵連隊に配属されたが、すでに騎兵による突撃は時代遅れとなっていた。伝令などの後方支援に回され、悔しい思いをする。しかし、彼の脳裏には、それ以上に焼け付いて離れない光景があった。

戦場の上空を舞う航空機の姿。

ヒリトホーフェンは、航空機に魅せられて、騎兵から航空隊への道を進んだのである。

リヒトホーフェン
※リヒトホーフェンのポストカード(1917年~18年頃)。当時のエースパイロットは、現代のアイドル並の扱いを受けていた。

偵察員としてのスタート

1915年5月、訓練所を卒業したリヒトホーフェンの初任務は、ロシア戦線での偵察であった。しかし、彼はパイロットとして飛行できたわけではない。偵察員として、パイロットとともに8月まで偵察任務を行ったのである。しかし、エンジンの故障により低空飛行で帰還途中、彼を乗せた偵察機はロシア軍に撃墜されてしまう。

どうにか自軍の支配地域に不時着できたものの、リヒトホーフェンの飛行機乗りとしての人生は苦いスタートとなった。

その後、ドイツ軍初の爆撃機隊に配属されるも、不注意により負傷して一時は飛行任務から解かれる。同じ頃、空の上では航空機の役割に変化が出始めていた。敵のパイロットを狙い、拳銃やライフルで直接攻撃を行う場面が見られたのだ。やがて、機銃を装備する機体の出現により「戦闘機」という新たなカテゴリーが誕生した。

爆撃機隊に復帰したリヒトホーフェンも、フランス軍のファルマンIIIと初の銃撃戦を経験することになる。

リヒトホーフェン
※フランス軍の主力機、ファルマンIII

エース・パイロットへ

非公式ながら、リヒトホーフェンが爆撃機の機銃で初の撃墜に成功した頃、戦闘機パイロットにはエース・パイロットが登場していた。リヒトホーフェンに戦闘機への機種転換を勧めたオスヴァルト・ベルケも撃墜数4機を誇るエースである。こうして、リヒトホーフェンは鈍重な爆撃機から、俊敏な戦闘機パイロットになるため飛行訓練を受けた。1916年3月、晴れて戦闘機中隊へ配属されたリヒトホーフェンを待っていたのは、彼に助言を与えたオスヴァルト・ベルケであった。ベルゲは彼を自らの中隊に配属させたのだ。

西部戦線でベルゲと共に飛行任務に就くと、リヒトホーフェンはパイロットとしての頭角を現すようになる。

ベルゲは西部戦線で戦死してしまうのだが、リヒトホーフェンは当時イギリス軍のエースであったラノー・ホーカー少佐を激戦の末に撃墜すると、さらに撃墜スコアを重ねてプロイセン軍人に与えられる最高の勲章である「プール・ル・メリット勲章」を授章した。

1917年1月、彼はその戦績を認められ、戦闘機のエリート部隊である「第11戦闘機中隊」の中隊長となる。部隊の機体は赤く塗装されていたが、リヒトホーフェンの「アルバトロス D.II」だけは全体が赤く、とりわけ目立つようになっていた。

リヒトホーフェン
※リヒトホーフェンの乗機「アルバトロス D.II」。他の中隊機は一部を赤く塗装していたのに対し、彼の機体は全体を明るい赤で塗られていた。

レッド・バロン

やがて、リヒトホーフェンは機体のカラーリングから、ドイツ軍内で「赤い戦闘機乗り」と呼ばれ、プロバガンダにも利用された。さらにフランス軍からは「赤い悪魔」、イギリス軍からは「レッド・バロン(赤い男爵)」と呼ばれ恐れられるようになる。これは彼が男爵家の長男であったことに由来していた。

1917年4月、アメリカの参戦によって戦局がさらに混迷する中、リヒトホーフェンは大尉にまで昇進する。同29日には撃墜スコア50機という脅威の戦績に対して、皇帝ヴィルヘルムII世より祝賀の言葉が送られた。6月には第1戦闘航空団の指揮官となり、後進への指導に尽力するようになったが、前線から離れることはなかった。


※ドイツ皇帝・ヴィルヘルム2世。ドイツ帝国内のプロイセン国王も兼任していた。

だが、そんな彼のパイロット人生を狂わせる出来事が起こる。7月、英軍機の射撃により頭部に深い怪我を受けたリヒトホーフェンは、激しい頭痛に悩まされるなどの精神的な痛手も負ったのである。しかし、ドイツ軍を代表するエース・パイロットがゆっくりと静養できるはずもない。

10月に復帰したリヒトホーフェンは、公式撃墜記録を63にまで伸ばした。

最高のエースのままで

1918年4月21日、前日に英軍機2機を撃墜したことで、スコアを80機という前人未到のレベルにまで高めたリヒトホーフェンは、フォッカーDr.I 425/17戦闘機で出撃。ソンム川上空における空中戦で、低空を飛行するイギリス軍の戦闘機を発見すると攻撃を行った。しかし、後方から接近したイギリス軍機の攻撃と、地上に展開するオーストラリア軍から激しい銃撃を受け、機体は不時着する。

リヒトホーフェン
※リヒトホーフェンが最後に搭乗していたフォッカーDr.I 42517の復元品。

オーストラリア軍が機体に到着したときには、肺と心臓を打ち抜かれたリヒトホーフェンは死亡していた。彼に致命傷を与えたものが誰であったかは不明のままである。

騎士道精神に溢れ、敵味方問わず「最高のエース」と讃えられた「レッド・バロン」は25歳という短い生涯を終えたのだった。

赤い彗星

リヒトホーフェンが「紅の豚」のモデルとなっているというのは公式な設定ではない。しかし、映画が公開された当時からファンの間では、公然と認識されていた。監督の宮崎駿も大の航空機マニアであることから「意識していなかった」ということはないだろう。

そして、もう一人リヒトホーフェンがモデルになったといわれるキャラクターが存在する。「機動戦士ガンダム」に登場するジオン公国軍のエース・パイロット「シャア・アズナブル」だ。彼もまた作中で赤い機体に乗っており「赤い彗星」の異名で恐れられた。

2008年には、伝記的なドイツ映画「レッド・バロン(Der rote Baron)」が公開され、現代においても彼の影響がいかに大きいのかを思い知ることができる。

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