空母機動部隊との随伴
アイオワ級戦艦は、アメリカ海軍の歴史上最大にして最後に就役した戦艦です。
アメリカだけでなく世界の戦艦でも最も遅くまで就役していた艦となりました。
アイオワ級戦艦は1943年から1944年までにアイオワ、ニュージャージー、ミズーリ、ウィスコンシンの4隻が就役し、元々は6隻の予定でしたが残り2隻の建造は行われませんでした。
アイオワ級戦艦はアメリカ海軍最大の戦艦ではありましたが、排水量約45,000t、主砲50口径40.6cmと言う部分では日本の大和型を下回っています。しかし全長は戦艦として世界最大の約270.427m、全幅がパナマ運河の通航が可能な最大幅である32.971mという細長い船体で、最大速力33ノットの高速を誇る戦艦となりました。
結果、この高速さが空母機動部隊に随伴しての行動を可能にし、太平洋戦争における海戦の主力が航空母艦となって以後も有効な戦力として機能しました。
金剛型への対抗
太平洋戦争開始前のアメリカ海軍においては、空母機動部隊同士の戦いに勝利して制空権を得た後に、戦艦による砲撃戦で決着をつけるのが海戦の在り方と考えられていました。あくまで艦隊決戦を前にしての制空権の確保をするために、空母機動部隊による勝利が必要と目されていました。
そこで日本海軍の空母機動部隊に高速の金剛型戦艦が随伴されると、従来のアメリカ海軍の重巡洋艦で編成された艦隊では砲撃戦において不利であると考えました。
そこで空母機動部隊の戦力化と同時に、これに随伴することが可能で、更に日本海軍の金剛型を凌駕できる攻撃力を備えた高速戦艦が必要とされました。
主砲と対空兵装
主砲の50口径40.6cm砲はアイオワ級以前のアメリカ戦艦と直径こそ同一ではあるものの、砲身を長くしたことで初速の向上が図られ、射程も5km程長い38.72km、1分間に2発の速度で重量約1.2トンほどもある砲弾を打ち出す火砲となりました。殊に日本海軍において空母機動部隊に随伴可能であった金剛型戦艦の36cm主砲と比較すると、圧倒的に優勢な火力と言えました。
アイオワ級戦艦は、元は砲撃で勝敗を決する艦隊決戦用に重厚な側面の装甲が施されていましたが、第二次世界大戦や朝鮮戦争では陸上に向けた艦砲射撃が主な役割となりました。
また艦隊決戦ではなく、随伴する航空母艦を敵機から掩護するための対空兵装も充実しており、40m4連装機銃を20基、20m単装機銃40門を実装していました。
ミサイル兵器の実装
アイオワ級戦艦は太平洋戦争以後も、朝鮮戦争やベトナム戦争、果ては湾岸戦争にまで参加した息の長い艦となりましたが、ミサイルを始めとした近代的な兵装が実装されたのはレーガン政権下の軍拡の時代でした。
この時の近代化改装で、12.7cm連装砲4基が廃止されてトマホーク巡航ミサイルや、パープ—ン対艦ミサイルなどが実装されました。
しかし主砲は代替されるべき水上戦闘艦の兵装が他に開発されなくなっていたこともあり、就役当時と同じ状態のまま運用が続けられました。
記念館としての雄姿
アイオワ級戦艦4隻は1992年までに、その軍艦としての使命を終えて退役しました。
凡そ半世紀にわたって現役を続けた世界最後の戦艦でした。かつて戦艦は制海権を得るための戦略兵器であり、国家そのものの力のシンボルでもありました。
老朽化以外の退役要因としは、対空ミサイル、対潜兵器を持たないため自力での防御が難しくなったことや、乗組員が多数必要なこと、主砲以外の兵装は他の近代的な艦で代替可能なことなどでした。
かつて日本の降伏文書のサインの場となったのもアイオワ級戦艦のミズーリでした。
そうした戦艦のが役割を果たした時代は終わりを告げましたが、4隻のアイオワ級戦艦はそれぞれが記念艦や博物館として残され今日もその雄姿を伝えています。
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