「君が代」は日本人なら誰もが一度は歌ったことがあるだろう、日本の国歌である。
作詞者名が不明であることも有名であり、10世紀初頭の『古今和歌集』の「読人知らず」の和歌が初出とされており、世界の国歌の中でも最も古い作詞とされている。
国歌としての歌の短さでも世界最短のものの一つとされている。
曲は別物だった
歌詞に関しては前述のようにいくつもエピソードがあるが、曲に関しても面白いエピソードがある。
実は今の曲になる前に何度か曲が変わっていたのである。しかも最初に作曲したのはイギリス人であった。
ことの始まりは明治2年(1869年)である。
イギリスのヴィクトリア女王の次男が日本に訪問することになった。その際に横浜のイギリス公使館の軍楽隊長だったジョン・ウィリアム・フェントンが、日本に国歌がないのは遺憾であり、国歌あるいは儀礼音楽を設けるべきだと進言し、自ら作曲を申し出たのである。
こうして最初の「君が代」が完成したが、1870年に明治天皇の前で演奏された時に「威厳が感じられない」との意見が多く、不採用となってしまった。どうやら当時の日本人には西洋風の楽曲が合わなかったようである。
その後、数年間にわたって編曲や改曲がなされ、最終的には1880年に雅楽演奏者・林廣守(はやしひろもり)の作曲が採用となった。
これが現在の「君が代」の原型である。
ただしこの時点では正式な「国歌」として認定されていたわけではなく、国際的な賓客の送迎やスポーツイベントなどで国歌に準じて演奏・歌唱される曲であった。
昭和初期にはほぼ「国歌」として定着し、その後は私たちの知る流れであるが、正式に国歌として法制化されたのはなんと1999年なのである。
それまでの君が代はあくまでも「事実上の国歌」であり、1999年に制定された「国旗及び国歌に関する法律」で、ようやく正式な国歌となったのである。
国歌として誰しもが知らないといけないような歌に
なんで意味が分かりにくい歌を採用したのか
分かりにくいというか解釈か必要なような
もっと単純明快ではダメだったのだろうか