「虫の知らせ」という言葉をご存じでしょうか。
「夢の中におばあちゃんが現れた。その翌朝、親戚から親戚から電話があり、昨夜おばあちゃんが亡くなったと知らされた。」
「ああやっぱり、夢であいさつに来てくれたんだなぁ。」
といった体験談を耳にしたことがあるかもしれません。
もしあなたが実際にこうした体験をしたら、どのように感じるでしょうか?
「虫の知らせ」は科学で解明できないのか?
「夢には不思議な力があるんだな」と思うのも無理はないのかもしれません。
「本当におばあちゃんが、今生の別れを告げに来てくれたんだな。」
そう思えたほうが、あいさつに来てくれた情の深さに心が温まる感じがするし、哀悼の念も強まる、というものです。
亡くなった人を身近に感じることで内面から湧き上がる情愛の念、それ自体は本当に尊いものです。
肉親の死は悲しいものだし、敬愛の情が深いほどそれは強まるものです。
元SONYの技術者で「あの世の科学」で有名な天外伺朗氏は、この「虫の知らせ」について「もちろんこれは、現代科学では全く説明できません。科学を超えた、宇宙の神秘的な側面の一つです」と語っています。
‥ちょっと待ってください。
断言しちゃって大丈夫?
科学の可能性を、そんなに簡単にあきらめてしまっていいものでしょうか。
生年月日が一致する確率は?
少し話題を変えましょう。
学校に通っていたころを思い出してください。
40人学級としましょう。
問題です。
「あなたと同じクラスの中に、生年月日が一致する人がいる確率は何%でしょうか?」
厳密に計算しなくても良いですから、直観でだいたいこのくらいだろうという値を考えてみてください。
私は全国各地でセミナーや講演活動をしていて、同じ質問を皆さんにしてきました。
ほとんどの方が一桁%とか、中には1%未満という方も。
でもこれ、正解はなんと89%!
10クラスあったら、うち9クラスで誰かと誰かが一致している。
実は、誰も一致していない方が珍しいのです。
誰にでもある「認知バイアス」
私たち人間の認知活動には様々なエラーが生じ得るということを、まず知っておく必要があります。
なおかつ厄介なことに、その認知エラーに人はなかなか気づけないのです。
自分の見聞きしたことや直感・思考に、それほど疑いを持つ人はいませんよね?
むしろ、それほど確かなものはないようにすら思える。
しかしそこが落とし穴!
事実はそうでもないのです。
真理の探究に夢想はご法度
個人がどんな幻想を抱こうと、何に夢を持とうと、それはその人の勝手ですよね?
廊下の物音が幽霊の足音だと思ったとしても、とがめられる筋合いのものではないでしょう。
しかし物理学をはじめとする自然科学は、この世界を支配する自然法則を明らかにし人類共通の知見に組み入れようとする、公益性を志向し社会性を伴った営みです。
まずは、この世界の有り様を極力正確に捉えようとします。
そのために観測活動や実験を行うわけですが、その際には当然ながら個人的な思い過ごしや勘違いなどは、できるだけ排除しなければなりません。
「虫の知らせ」についてもそうです。
ストーリー自体はもしかすると、尊く美しい感情の発露に裏打ちされているかも知れません。
しかし科学的立場で「実際には何が起こっているんだろう?」と考える場合には、いかなる情動よりも、「真実」に目を向けなければなりません。
先述した「生年月日が一致する確率を、実際よりかなり小さく見積もってしまう」人間心理は、何に起因するのか?
これは人の認知活動に本来備わっているバイアス(偏り)の1つなんですね。
要するに、人の認知活動は「間違うようにできている」のです。
「なぜそんな余計な機能が備わっているのだろう?」と不思議に思ってしまいますよね?
実は、認知バイアスにも存在理由があります。
そのおかげで人類が絶滅を免れここまで繁栄できた、という側面が間違いなくあるのです。
ここでは1つだけ、早とちりする認知バイアスの効用・「脳の省エネ」を挙げておきましょう。
それにより人は、余計に不安を感じることもなく、むやみに落ち込むこともなく、自己肯定感を保ち続けることができるようになっています。
でも、物事には常に裏表、一長一短があるものです。
現代社会ではこの認知バイアスのおかげで様々な思い違い、勘違いが生じ、誤信念へとつながってしまうのです。
科学の真髄は「認知バイアス」を越えたところに
では改めて、「夢でおばあちゃんを見た」事象と「翌朝亡くなったと連絡が来た」事象が時間的に連続している事実は、果たしてどれほど「稀有な」ことなのか考えてみましょう。
それを「とても稀有なこと」と思うから、夢の不思議なパワーを信じ込んでしまうわけです。
ところが冷静に考えるとそうでもないのです。
簡単に言えば、普段から「○○さんが夢に出たけど死んではいない」事象と、「○○さんが夢に出てはいないけど、夜中に死んだ」事象は、頻繁に起きているのです(特に前者)。
ところが、これらは記憶に残りません。
これらは別に不思議でもなんでもないことです。
「印象深さ」に欠ける出来事なので。記憶に残らない=「無かったこと」になる。
たまたま一致した時だけ、「印象的」なので「おおっ!」となり、「夢ってすごい!」となるのです。
本当に「虫の知らせ」における現代科学の及ばない神秘性(もしそれがあるなら)にアプローチしようとするなら、確率に関するこのような人の認知バイアスを、徹底的に排除した上で考えなければならないのです。
認知バイアスは科学者だけの問題ではない
生年月日が一致する確率を過小評価するくらいなら笑い話ですが、社会の様々な問題の背景に、この認知バイアスが深くかかわっているケースが多いのです。
例えば、ここ近年世の中を騒がしている特殊詐欺事件。
いわゆる「振り込め詐欺」というやつですね。
あれはまさに、認知バイアスをついてお金をだまし取る知能犯罪と言えるでしょう。
向こうが必死に、あれやこれやと頭を悩ませ我々をだます仕組みを作っているなら、こちらも知恵をつけて、人類特有の認知バイアスもきちんと理解し、簡単には引っかからない脳をつくることが重要なのかもしれません。
そう考えたとき、「虫の知らせ」のように世の中にあふれる「常識では計り知れない」現象には、どう対応したらよいのでしょうか?
「夢であの人が挨拶に来てくれた」
「夕暮れの空にオレンジ色の光が飛んでいた。間違いなくUFOだ」
「キャンプしていたら、夜中に誰もいないはずなのに人の声が聞こえた。幽霊に違いない」
ロマンはロマンとしても、なるべく正しく現象を理解し正しい方向で対処しようとするなら、「自分は今『認知バイアス』に捉われているかもしれない」とまずは思うことが大事でしょう。
これは、人生の様々な判断・問題解決・他人との合意形成の局面でも言えることです。
ロマンチックと思っていたらいつの間にかカルト宗教にハマっていた、なんてこともあるかも知れません。
科学的な思考は、日常生活において驚くほど役立つものなのです。
文 / 種市孝 校正 / 草の実堂編集部
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