自動車王・フォード
ヘンリー・フォードは、アメリカの自動車会社のビッグ3と呼ばれているうちの一社・フォード・モーター社を創業し、自動車王とも称されている人物です。フォードは自動車という製品を大衆が所有できるようにするために徹底したコストダウンを行って、当時の同業他社と比較して圧倒的な価格を実現し、代表作の「T型フォード」は延べ1,500万台を超える製造数を記録するヒット作となりました。
こうしたヒット作からフォードは実業家として世界でも指折りの富と名声を得ました。低価格な製品をラインによって大量に生産しながらも、従業員の好待遇をも実現した「フォーディズム」という経営手法の実践者でもありました。
しかしこの偉大な経営者はもう一つの側面、ナチスに影響を与えた反ユダヤ思想を抱いていました。
「国際ユダヤ人」を著述
フォードは、狂信的な反ユダヤ主義者でした。
第一次世界大戦後の1919年に「ニューヨーク・ワールド」誌上でその反ユダヤ主義を発表すると、翌1920年には自身の反ユダヤ主義を世界に知らしめることになった「ディアボーン・インディペンデント」紙に掲載した記事をまとめた「国際ユダヤ人」を刊行しました。
この「国際ユダヤ人」はカリスマ経営者であったフォードの著作という事もあり、当時16ケ国語で出版され、ヒトラーもその内容に深く同意したと言われています。
フォードもヒトラーのナチスを支持すると、1922年にはドイツ人以外で初となる資金提供を行いました。
フォードへの不買運動
1921年には時のアメリカ大統領ウッドロウ・ウィルソンが、フォードが反ユダヤ主義を表明したことに対してその行いを非難する声を上げました。
フォードの反ユダヤ思想は、ユダヤ人らを中心としたフォードへの不買運動にも発展し、フォード・モ—ター社は深刻な売上減少に見舞われました。
このためフォードは1927年に「ディアボーン・インディペンデント」紙を廃刊として自らの意見を撤回し、謝罪の意を表する事態に追い込まれました。
ナチスからの勲章授与
フォードは1938年7月の自身の75歳の誕生日に、ナチスが設けた勲章でそれまで授与された人物は3人しかいなかった「ドイツ大鷲十字章」を送られました。フォードはこの授与に対し「勲章を捨てるつもりも返すつもりもない」と明言し、ナチスとの関係が一方通行ではないことを認めていました。
こうした関係からフォードはヒトラーの著作である「我が闘争」の中で、アメリカ人としてただ一人触れられた人物となりました。
ナチスへの車両供給
1940年、フォード・モーター社はナチス・ドイツが占領下に置いたフランスに工場を設け、ドイツに納品する航空機の原動機の生産を行いました。さらにドイツ軍の車両の生産をも実施しました。加えてフォード・モーター社は、北アフリカへの工場建設にも乗り出し、ドイツ軍アフリカ軍団用の軍用車両の供給を行いました。
これにより1942年頃になると、ナチス・ドイツの保有するトラックの60%以上がフォードの製品で占められることになりました
ナチスも模倣したフォーディズム
ヒトラーはミュンヘンに在住していた1920年代前半には、自分の家のリビングにフォードの肖像画を飾ると同時にフォードの著作「国際ユダヤ人」を来客にお土産として配布したと伝えられています。
それだけでなく、巷説ではヒトラーのナチスがドイツ国内で行った公共投資を中心とする経済政策は「フォーディズム」を参考にして行われた政策とも言われています。
この記事へのコメントはありません。