インディラ・ガンディーとは
インディラ・ガンディー(1917~1984)は、インドの第5代・第8代首相に就任した政治家である。
インドでは初の女性首相であり、彼女の父は、インド独立の指導者ジャワハルラール・ネルーであり、彼はインドの初代首相に任命されている。
インドは1877年から1946年まではイギリスの統治下にあり、その歴史の中でさまざまな暴動が起こり、非暴力・非服従を掲げた運動家の中には、かの有名なガンジーが居る。
ネルーはイギリスのケンブリッジ大学を卒業後、インド独立のためのさまざまな民族運動を指揮し、ついに1947年、インドはイギリスから独立して“インド共和国”を建立することになる。
この記事では、ネルーの娘であり、政治家の一族の元に生まれたインディラ・ガンディーについて、詳しく追っていきたいと思う。
インディラ・ガンディーの生涯
インディラ・ガンディーはインドの初代首相・ネルーのひとり娘として生まれ、父と同じくイギリスのケンブリッジ大学を卒業後、1942年に夫であるフェローズ・ガンディーと結婚した(フェローズは結婚後、妻の姓を名乗った)。
結婚後は彼の国会議員としての生活を支えることになるが、夫婦関係はうまくいかず、フェローズは病に倒れると、1960年に死去した。
1959年、インディラは42歳の時に政治の舞台に登場し、インド国民会議の総裁に任命される。
だが、一度目の政治家活動はうまくいかず、インディラはわずか1年で総裁を退任することになった。
1964年、父・ネルーが急死すると、その後継者にはラール・バハードゥル・シャーストリーが任命されるが、このシャーストーリーも1966年に心臓発作により急死してしまった。
そんな中、インディラを首相に任命しようという国民の運動が起こり、インディラは第5代首相へと任命される。
首相へ就任後、インディラは
・商業銀行14行の国有化
・食糧自給のための緑の革命
・バングラディシュの独立
など、さまざまな政策を行った。
しかし、インディラの政策はしばしば強硬政策と称され、国内では彼女に対する反発の声も少なくなかった。
1977年の選挙では、“反インディラ”を掲げていた政治グループであるジャナタ党に敗北し、インディラは政権を譲ることになった。
ジャナタ党政権が発足したことで、インディラは逮捕され投獄されることになるが、ジャナタ党はまもなく分裂し、政権が崩壊。
このことを受け、インディラは1980年に政権を奪還し、ふたたび首相の座に返り咲いた。
しかし、彼女は政権に復帰後、シク教分離主義者と呼ばれる人々の壊滅を指令し、シク教の聖地である黄金寺院を攻撃させた。
このことによって、シク教分離主義運動の指導者が死亡。
シク教徒から大きな反発を招くことになった。
そして、1984年10月31日、インディラはシク教徒によって銃撃を受け、病院へ搬送される途中に命を落としている。
インディラの死後は、長男のラシーヴが首相の座に就いたが、彼もまた1991年、暗殺されてしまった。
この一連の事件を、ガンディー家の悲劇と呼ぶ。
『父が子に語る世界歴史』
インディラが生まれたころ、父ネルーはインドの独立運動の主要メンバーとして活動しており、何度も投獄されていた。
インディラが生まれたのは裕福なバラモン階級の家庭であったが、彼女は父が投獄される姿を見ながら、幼少期を過ごすことになる。
バラモン階級とは、インドのカースト制度の頂点に立つ階級のことで、バラモン教やヒンドゥー教の司祭階級を総称する。
独立闘争で投獄されながらも、父は獄中から、娘にたくさんの手紙を書いて送った。
この手紙が基となり、ネルーの著書『父が子に語る世界歴史』が執筆されることになる。
この著書の中でネルーは、ジャンヌ・ダルクに憧れたという娘インディラに世界史を書き綴っているのだが、ネルーの愛国心を深く感じることができる内容である。
著書の中ではインドのカースト制度に懐疑的な目線を向けたり、『日本と朝鮮』という一章の中では日本や日本人についても詳しく触れられている。
ただの歴史本としてではなく、父と娘の対話、そしてネルー自身の、歴史との対話が垣間見られることだろう。ぜひご一読いただきたい。
インディラ・ガンディーの名言
その強硬な姿勢で批判も多く、命を落とすことになってしまったインディラ・ガンディーであるが、女性の地位が低いことが現在でも大きな問題となっているインドにおいて、二度も首相という大仕事を成し遂げたことについて、インド共和国の歴史の中では外すことのできない人物といえよう。
彼女は多くの名言を残しており、その言葉には、現在のわれわれも、胸を突かれることが多いのではないだろうか。
特に私は、数ある名言の中でもこの言葉をご紹介したい。
“握りこぶしのままでは、握手などできません”
この言葉は、平和主義者であった父・ネルーの意志を受け継いだかのように思える。
握りしめたこぶしをほどくのは、簡単なことではないかもしれないが、傷つき、傷つけあう前に、固く握ったこぶしをほどいて握手ができれば、互いに相手を受け入れることが出来るかもしれない。
この言葉は、国と国、国民と政治家のみならず、どんな関係にも当てはまるのではないだろうか。
ちなみに、1949年、東京都台東区の上野動物園に一頭のゾウが贈られた。
名前は『インディラ』で、彼女の名前はインディラ・ガンディーから名付けられたそうだ。
そのことはまさしく、平和の象徴のように思える。
この記事へのコメントはありません。