人物(作家)

【伝説の美容師】 ヴィダル・サスーンについて調べてみた

「ボブ、ショートカット」などの髪型は、時代や流行を超えて常に一定の人気があるが、これらのヘアスタイルの歴史を調べると、ある1人の人物に必ず辿り着く。

ヴィダル・サスーン

ヴィダル・サスーン wikiより引用

それはヴィダル・サスーンである。

彼は、現在存在するほとんどのカットに大きな影響を与えた人物であり、世界で最も有名な美容師である。

今回はヴィダル・サスーン氏について解説する。

ヴィダル・サスーンの生まれ

ヴィダル・サスーン(Vidal Sassoon、1928年1月17日 – 2012年5月9日)は、イギリス生まれのイスラエル人である。

ユダヤ人の両親からイギリスのロンドンで生まれる。

ヴィダル・サスーンが3歳のころに父親は家を出てしまい母親一人に育てられるが、生活が苦しく弟と共に7年間孤児院での生活を強いられる。

第二次世界大戦で疎開するまでキリスト教系の学校に通っていたが14歳で学校を中退。メッセンジャーの仕事を経て義父の援助を受け、美容室へ見習いとして働き始めた。

第二次世界大戦時、17歳だったため正規軍に入れず、ユダヤ人退役軍人によってイーストロンドンに組織された抗ファシズムの民兵組織「43グループ」(en:43 Group)に加入。43グループの中で最も若いメンバーであった。

1948年にはイスラエル国防軍に参加、第一次中東戦争で戦った。

美容師になってから

ヴィダルサスーンは母親の強い勧めもあり美容師の道へと進んだ。当時のロンドンのトップサロンで修業し最高の教育を受けながら仕事ができる環境であった。彼は常に自分の身の周りはきれいにしていたようで、爪も靴もきれいに磨いていた。

彼の美容に対する哲学は、このころから芽生えていった。

当時の女性のヘアスタイルは基本的に自分でセットできるものでなく、美容室に週2,3回通いセットしてもらうことが当たり前だった。髪の毛は逆毛を立てたりヘアスプレーでしっかり固めて崩れないようにするが基本であり、長い髪こそが美しい女性の象徴であった。

そういったスタイルに彼は疑問を持ち、抵抗していった。

伝説の美容師

1954年、26歳の時に、ロンドンのボンドストリートに自身のお店を構えるようになった。

彼は以前から建築に興味があり、ドイツの建築学校バウハウスの建築デザインに影響を受け、ヘアカットに応用できないか長年模索していた。

試行錯誤の結果、1963年に古典的なボブヘアを参考にした「ナンシークワン」を発表し、美容業界に衝撃を与えた。

ヴィダル・サスーン

ナンシークワンは雑誌ヴォーグの表紙をかざる:出典元 映画『ヴィダル・サスーン』公式サイトより

彼の作り出すヘアスタイルは、シンプルでありながら幾何学的であり、モードな印象を見る者に与えた。

更にそのカット技法「サスーンカット」も発表。

ヘアカットするだけで生み出されるスタイルではなく、頭の形を計算しながらハサミでカットしていく技法は構造的であり、設計図を必要とする建築からインスピレーションを受けている。

この時から、美容師の仕事はヘアセット主体の時代から、ヘアカット主体の仕事に変化していく。

ヴィダル・サスーン最高傑作:ファイブポイントカット

ファイブポイントカット:出典元 映画『ヴィダル・サスーン』公式サイト

ファイブポイントカットとは、大小5つのトライアングル(鋭角にカットされた箇所)から構成されたヘアカットのことである。

指でかきあげてもすぐ元に戻り、余分な部分がどこにもなく、これ以上のものはできないとも言われている。これは、世界のヘアモード界を一変させた画期的作品であり、サスーン最大の作品となった。

サスーンのカットは特異的なもので、普通は手だけでカットするが、サスーンは全身で踊るようにカットしていたという。

彼はブローで髪の毛を形作るのではなく、洗ったままでもきれいにヘアスタイルが出来上がることを重視していた。

ヴィダル・サスーンの功績

・ヴィダル・サスーンの編み出した「サスーンカット」は現在の美容師には必須の知識である。

・サスーンはヘアスタイルでイギリスの階級社会に一石を投じたと言われており、ミニスカートを生み出し、カラフルなデザインのタイツを考案したファッション・デザイナーの「マリー・クワント」とよく仕事をしていた。
「クワントの服をきてサスーンの髪型にすれば伯爵夫人さえ身分を隠せる」とまで言われ、イギリスのイメージを根底から変えた。

・サスーンは1982年にエルサレムのヘブライ大学に反ユダヤ主義研究のためのセンター「ヴィダルサスーン反ユダヤ主義国際研究所(SICSA)」を設立。2009年には大英帝国勲章を受章している。

・ヘアケアブランド「ヴィダル・サスーン」ブランドを展開し、シャンプートリートメント、ドライヤー、アイロンまで扱っている。おそらく日本人はこのブランド名は知っているが人物の名前であったことを知る人は少ない。

・ヴィダル・サスーンは「お客様の髪の毛をきれいにする美容師と美容室はきれいで清潔でなくてはいけない」という哲学を持っており、自分はもとより働いているスタッフの身の回りにおいても厳しく指導していた。サスーンの感覚は日本人の中では当たり前であるが、海外では非常に珍しい考えのようである。

彼がいなければ、もしかしたら現在も女性は髪の毛を結い上げたり編み込んだり、はたまた髪の毛をセットするのに週に何回も美容室に通うのが当たり前の生活であったかもしれない。

彼はファッションの文化に影響を与えただけでなく、私たちの生活様式や女性の社会進出にまで影響を与えたまさに伝説の美容師である。

そんな彼は2012年、白血病によりこの世を去った。享年84であった。

 

草の実堂編集部

投稿者の記事一覧

草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
編集、校正、ライティングでは古代中国史専門。『史記』『戦国策』『正史三国志』『漢書』『資治通鑑』など古代中国の史料をもとに史実に沿った記事を執筆。

✅ 草の実堂の記事がデジタルボイスで聴けるようになりました!(随時更新中)

Youtube で聴く
Spotify で聴く
Amazon music で聴く
Audible で聴く

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事

  1. 【奇跡の脱出劇】クジラに飲まれた男たちが生還できた驚愕の真相
  2. 台湾はリサイクル大国だった 【台湾のゴミ収集事情と環境保護活動】…
  3. 『サザエさん』を生んだ長谷川町子の人生とは 「15歳で漫画家デビ…
  4. 「日本と100年以上の戦争状態にあった国」 モンテネグロ
  5. 「バリスタはノルウェーで生まれた」 コーヒー大国の顔を持つノルウ…
  6. 毛沢東はどんな人物だったのか?③ 「不倫を重ねた4人の妻たち、長…
  7. イタリアの離島 「サルデーニャ島」の魅力 【ジョジョ第5部の舞台…
  8. 『トランプ関税』一時の嵐か、それとも長期の向かい風か? ~日本へ…

カテゴリー

新着記事

おすすめ記事

世界の次世代ロケットについて調べてみた

スペースシャトルの最後の打ち上げは2011年というから、すでに7年前ということになる。円筒形…

台湾の新型コロナウイルスの対応と現在

昨今世間を騒がせている新型コロナウイルス。世界でも筆者が住んでいる台湾は抑え込みが成功してい…

【正気か狂気か】 コロセウムで剣闘士となったローマ皇帝 コンモドゥス

ローマのコロセウムは、暴君ネロの黄金宮跡に建設され、その壮大な構造の一部は現在でも目にすることができ…

トランプ大統領は本当にノーベル平和賞を狙っているのか?

最近、多くのメディアで「トランプ大統領がノーベル平和賞を狙っている」との見方が広がっている。…

和田合戦までカウントダウン?畠山重忠の乱・牧氏の変から(比較的)平和だった8年間を追う【鎌倉殿の13人】

元久2年(1205年)6月22日、無実の罪によって粛清された畠山重忠(演:中川大志)。怒りに…

アーカイブ

人気記事(日間)

人気記事(週間)

人気記事(月間)

人気記事(全期間)

PAGE TOP