
画像 : スペイン風邪に罹った米兵たち public domain
2020年、新型コロナウイルスの世界的流行により、人類社会はかつてない打撃を受けた。
あれから数年を経た現在も、感染は断続的に続き、社会や経済の在り方に深い影を落としている。
医療技術や科学が進歩した現代においてさえ、人々の生活はなおも未知の感染症に翻弄されていると言ってよい。
歴史を振り返れば、ペスト・天然痘・コレラ・スペイン風邪など、病原菌による世界的流行は枚挙にいとまがない。
とりわけ医療の未発達であった古代や中世の人々は、病をしばしば神や悪霊の仕業と考え、恐怖と祈りの中でその意味を見出そうとした。
今回は、そうした流行病にまつわる伝承を取り上げてみたい。
ペストにまつわる伝承

画像 : ジュール=エリー・ドローネー作『ローマのペスト』天使と悪魔がタッグを組み人々を襲っている public domain
ペストとは、ペスト菌によって引き起こされる感染症である。
またの名を「黒死病」といい、これは感染者の皮膚が暗く変色し、死の色を帯びることに由来するとされる。
人類史上ペストは3度の大流行を引き起こし、とくに14世紀半ばにヨーロッパを襲った第2次パンデミックでは、人口の約3〜5割が失われたともいわれる。
当時のヨーロッパ社会では、ペストの流行は神の怒りによる「神罰」とみなされ、絵画や文学には死を撒き散らす天使の姿がしばしば描かれた。
一方で、病を鎮め命を守る存在も信仰の中で生み出され、人々は祈りと恐怖の狭間で救いを求めた。
その代表が、カトリックの聖人・聖ロクス(Saint Roch, 14世紀頃)である。

画像 : 聖ロクス public domain
伝承によれば、彼は病者に触れて癒しをもたらし、死後はペストから人々を守護する聖人として崇敬を集めた。
15世紀のイタリアの外交官フランチェスコ・ディエド(1433~1484年)が著した『聖ロクス伝』には、興味深い逸話が記されている。
それによると、1414年にドイツのコンスタンツで開かれた公会議の最中、街ではペストが猛威を振るっていた。
枢機卿たちは人々に列をつくらせ、聖ロクスに祈りを捧げさせたところ、まるで奇跡のように流行が鎮まったと伝えられている。
天然痘をつかさどる怪異

画像 : 疱瘡婆 草の実堂作成(AI)
天然痘は、天然痘ウイルスによって引き起こされる、全身に発疹や瘡蓋が生じる致死性の感染症である。
かの悪名高いコンキスタドールたちがアメリカ大陸にもたらしたこの病は、免疫を持たぬ先住民社会を瞬く間に壊滅させ、アステカやインカをはじめとする文明の崩壊を早める要因となった。
日本では6世紀頃に大陸から伝わったと考えられ、20世紀に根絶されるまで、長く不治の病として恐れられてきた。
流行の過程で天然痘は神の祟りや妖怪の仕業と見なされ、各地に多様な伝承や迷信を生んだ。
江戸時代の作家・只野真葛(1763〜1825年)が著した『奥州波奈志』には、宮城地方で流行した疱瘡(天然痘の別称)にまつわる怪異譚が記されている。
文化(1804~1818年)の時代、凄まじい勢いで疱瘡(天然痘の別名)が流行していたという。
奇妙なことに、疱瘡で亡くなった者の墓は決まって荒らされており、死体は盗まれたり食い散らかされたりしていた。
人々はこれを「疱瘡婆(ほうそうばばあ)」という妖怪が、死体を喰らうために疱瘡を流行らせていると噂するようになった。
ある時、村の名主の息子たちが相次いで疱瘡で死んだので、死体を弄ばれぬよう、名主は墓に厳重な警備を付けた。
すると案の定、疱瘡婆らしき化け物が現れたので、見張りの猟師が近づいたところ、化け物は猛烈な勢いで木々をなぎ倒しながら逃げていったという。
天然痘は恐るべき病であったが、一度罹患した者は免疫を得ると信じられていた。
そのため、患者の瘡蓋を乾燥させて粉末にし、吸入して免疫を得ようとする「人痘種痘法」が行われた。

画像 : 疱瘡の神を追い立てる牛痘児 歌川芳藤『痘瘡退治之図』 public domain
さらに、天然痘と近縁の「牛痘」を利用する接種法も導入され、江戸時代後期には予防手段として広く普及した。
しかし、庶民の中には「牛痘を受けると牛のようになる」と信じる者も少なくなかった。
そこで医師たちは接種の安全性を伝えるため、「牛痘児(ぎゅうとうじ)」と呼ばれる守護神を考案し、浮世絵などを通じて人々に啓蒙を行ったのである。
コレラにまつわる伝承

画像 : 虎狼狸 public domain
コレラは、コレラ菌によって引き起こされる急性の感染症である。
罹患すると大量の水様便を排泄し、放置すれば急速な脱水により命を落とす。
医療や衛生環境の整った国では稀な病となったが、衛生状態の悪い地域では今なお深刻な脅威であり、多くの命を奪っている。
日本では文政5年(1822)と安政5年(1858)に大流行が起こり、患者が短時間で死亡することから「コロリ」と呼ばれ恐れられた。
当時は病原菌の存在が知られておらず、庶民の間ではコレラを妖怪や悪霊の仕業とみなす風説が広まった。
江戸の町人・須藤由蔵(1793〜没年不詳)の記した『藤岡屋日記』によれば、武蔵国(現在の東京・神奈川一帯)ではコレラ患者の周辺で奇妙な獣が目撃され、人々はそれを「アメリカのオサキ」と呼んだという。
「オサキ」とは狐が人に憑くとされる怪異の一種であり、黒船来航以降に流入した“外来の悪霊”と結びつけられた形である。
幕末から明治初期にかけて、日本が鎖国を解き海外と交流を始めると、異国由来の妖怪たちが次々と生み出された。
米国の「アメリカ狐」、唐土の「千年モグラ」、英国の「イギリス疫兎」など、風刺と恐怖が入り交じった外来妖怪たちは、瓦版や草双紙を通じて庶民の娯楽の題材となった。
人々は疫病への恐怖に怯えながらも、こうした物語を語り合い、笑いと風刺をもって不安を和らげようとしたのである。
現代に生きる我々は、科学の力によって多くの疫病を克服した。
しかし、恐怖の根はいつの世にも変わらない。
未知の災厄に直面したとき、人は再び祈り、誰かにすがろうとするだろう。
古の怪異伝承は、その姿を借りて、今なお私たちの心の奥底に息づいているのである。
参考 : 『聖ロクス伝』『奥州波奈志』『藤岡屋日記』他
文 / 草の実堂編集部
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