妖怪とは読んで字のごとく、「あやしさ」の二乗である。
古来より不可解で「あやしい」物事は、妖怪の仕業とされてきた。
とはいえ人間も、業の深い生き物である。
業の深さはときに「あやしさ」とされ、人間であるにもかかわらず妖怪と見做される者も、過去には存在した。
今回は、そうした「妖怪扱いされた人間」や、「実際にはただの変質者ではないか?」と思われる妖怪伝承について、いくつか紹介しよう
1.黒坊主
黒坊主は、明治時代の東京に突如として現れた妖怪である。
郵便報知新聞(後のスポーツ報知)第663号に掲載された記事によれば、当時、東京都神田の民家において、夫婦の寝室に真っ黒な影のような存在が突如出現し、毎夜のように異常な行為を繰り返していたという。
この影は、眠っている妻の吐息を吸い、その口元を執拗になめ回すなど、常軌を逸した行動を見せた。さらに、その影から発せられる口臭や体臭は、悶絶するほどの生臭さを伴い、とても耐えられるものではなかったという。
夫婦はこの恐怖に耐え切れず、ついに親族の家へと逃れることを決意した。
しばらくの間、この黒坊主は姿を消し、夫婦は安堵して過ごしていた。しかし再び自宅に戻ると、まるで待ち伏せしていたかのように黒坊主は現れたのである。
しかしある時期を境に、黒坊主の出現は突如として止まった。
満足して姿を消したのか、その場で力尽きたのか理由は不明であるが、いずれにせよ、はた迷惑な存在であったことに間違いはないだろう。
2.オハチスエ
オハチスエとは、北海道のアイヌ民族に伝わる妖怪であり、荒々しくも異形の存在として知られている。
古代アイヌの生活の知恵として、季節によって住む場所を変えるというものがある。
春から秋にかけては海辺の集落で暮らし、冬が来る頃には山辺の集落へと移るのである。
つまり、どちらか片方の集落は常に空き家になっているわけだが、そこへ空き巣のごとく転がり込む妖怪がこのオハチスエだ。
その姿は全身毛だらけの老人のようであり、魚の皮で仕立てた粗末な衣を纏っているという。
とあるアイヌの村長が、オハチスエに遭遇した逸話がある。
村長がタバコを吸えば、オハチスエもタバコをふかし出し、キセルを叩いて灰を落とせば、オハチスエも同じように灰を落としたという。
村長は恐ろしくなってその場から逃げたが、連れてきた犬ぞりの犬たちがオハチスエに襲い掛かってしまった。
翌日、その場所に行ってみると、無惨にもバラバラに切り刻まれた犬たちの死体が転がっていたという。
実際には、ただの図々しい異常な性格をした空き巣だった可能性も高い。
3.チャネケ
チャネケ(Chaneque)はメキシコに伝わる、人間によく似た姿をした小人の精霊だ。
この精霊に不運にも遭遇した者は、催眠をかけられ、意識を失ったままどこかへと連れ去られるという。
連れ去られる場所は、アステカに伝わる冥界「ミクトラン」であるとも言われている。
目が覚めた時には、遭遇者は激しい暴行を受けた後、身に着けていたすべての物を剥ぎ取られ、素っ裸でその辺にほっぽり出されるという。
これだけ聞くと、単なる強盗や悪党の仕業に思えるかもしれない。しかし、普通の強盗が催眠術を使えるとは考えにくく、妖怪とみなされたのかもしれない。
ただし、これらの伝承は、アステカを征服したスペイン人たちの主観的な偏見に基づくものであり、チャネケの一面に過ぎないとする意見もある。
地域によって伝わる伝承は様々であり、ある地方では、チャネケは供物を捧げることで他の邪悪な存在から人間を守護する存在として信じられている。
とはいえ、実際には強盗が単に睡眠薬を使っていただけかもしれない。
4.大手の白ケツ
これは宮城県登米町に伝わる伝承である。
1658年、ある城勤めの侍が仕事を終えて家路に就く途中、橋を渡ろうとしたところ、橋の下から白い尻を剥き出しにした怪物が突然現れた。
その怪物は絶叫しながら侍に向かって猛然と襲い掛かってきたという。
侍は驚きつつも冷静に対処し、この怪物を斬り捨てた。
しかし、倒れた怪物の正体が明らかになると、それはただ尻を露出していただけの人間だったのである。
この事件は、すぐさまお上へ報告された。
検死の結果、この変質者は岸波太郎左衛門という人物の従者であることが判明した。この男は、人を驚かすことを楽しむ異常な性癖を持っており、他にも同様の行為を繰り返していた可能性が高いとされた。
城の家老たちは、この前代未聞の事件をどのように処理すべきか大いに悩んだ。そして藩庁(現在の県庁に相当する機関)に伺いを立てた結果、最終的にこの変質者は「無礼討ち」として処理されるのではなく「主人の命により切腹した」という形で処理されることになった。
岸波太郎左衛門という人物は、それなりの地位にあったと考えられる。このような変態的な行為が広く知られれば、家紋に傷がつき、名誉が地に落ちることは避けられなかったであろう。
それゆえ、このような処置がとられたことも、やむを得ないことであったと言える。
こちらは「実際には人間だった」ということが判明した例である。
最後に
以上、紹介した妖怪伝承に見られるように、人々は古来より、説明し難い出来事や不気味な現象に対して、「妖怪」という概念を用いて理解しようとしてきた。
しかし、これらの妖怪の多くは、実際には人間の恐怖や不安、あるいは社会的な逸脱行為に対する反応として生まれたものがほとんどであろう。
そして現代においてもなお、「社会的な逸脱行為」としての妖怪的な存在は、時折ニュースで目にすることがある。
妖怪は単なる恐怖の対象ではなく、人間の営みや心の中に潜む「影」の一端を映し出す鏡であり、これらの物語を通じて、私たちは自らの内面と向き合う機会を得るのである。
参考 : 『妖怪図鑑』『えぞおばけ列伝』他
文 / 草の実堂編集部
否哉を出してほしかった