イースター島は太平洋上に浮かぶ、小さな島である。
正式名称をパスクア島と言い、現在はチリ共和国が有する島となっている。
イースター島と聞いて、真っ先に思い浮かぶものといえば、やはりモアイ像であろう。
モアイは「何のために作られた」かは、未だはっきりと解明されてはおらず、研究者を悩ませ続けている。
だが、イースター島にはモアイ以外にも「鳥人」と呼ばれる謎の存在が信仰されていた形跡が残っている。
今回は神秘のベールに包まれた鳥人の伝説について、解説を行っていく。
鳥人信仰の歴史
イースター島のモアイ崇拝は、10世紀頃から始まったとされている。
だが16世紀頃になると、人口増加による食糧不足から部族間での対立が起こり、互いのモアイを倒し合う「フリ・モアイ」という争いが始まった。
こうしてモアイ崇拝は段々と廃れていき、17世紀頃になると、新規のモアイは一体も作られなくなったという。
代わりに台頭したのが、創造神マケマケ(Makemake)への信仰である。
マケマケはイースター島において、モアイ作りが始まる以前に崇拝されていた古の神であり、いわば信仰のリバイバル(復活)が起きたというわけである。
マケマケは鳥と関わりの深い神であり、鳥人は、このマケマケと化身だと現在では考えられている。
マケマケの伝説
マケマケには様々な神話が存在するが、近代のイースター島において特に重要視されたのが、次の伝承である。
(意訳・要約)
かつて、イースター島のマタベリという地では、絶え間なく争いが繰り返されていた。
マタベリは食べ物が少なく、かろうじて魚は取れるが、味が非常に不味かった。
人々は必然的に食料の奪い合いを始め、やがて奪う食料すらなくなると、今度は互いの肉を食べ始めるようになった。そこへマチロヒヴァという地から、一人の神がやって来た。
名をマケマケといい、良識のある慈悲深い神であった。マケマケはマタベリの惨状を見て、大いに嘆いた。
そこでこの地の人々に、鳥を与えることを決めたという。
味も良く栄養満点な鳥肉を食べれば、人々は飢えることなく、争いも起きないだろうと考えたからだ。
マタベリの住民たちは大いに喜び、マケマケに感謝の言葉を送った。それからしばらく経ち、マケマケは様子をうかがいに、再びマタベリへ訪れた。
「きっと皆、鳥肉のおかげで健やかに暮らしているだろう」そうマケマケは思っていた。だが住人たちは未だ飢餓状態であり、互いに殺し合い、肉を貪る有様であった。
「これは一体どういうことか?」
マケマケは住民にたずねた。すると住民は、
「へぇ、あなた様がくれた鳥を全部食べ尽くしたので、こうして再び戦争を起こし、敵を食っているのです」と答えた。
マケマケは住民たちのあまりの愚かさに、呆れ果ててしまった。
「よく聞けお前ら。鳥が育てば卵を産む。卵からは新たな鳥が生まれる。ゆえに卵を産むまで、鳥を食べてはならない」
マケマケは、このように住民たちに言い聞かせ、再び鳥を与えた。
時が過ぎ、心配になったマケマケが、三度マタベリへ訪れたところ案の定、住民たちは殺し合いをしていた。
「お前たちは一体何をしているのだ?」
半ばうんざりしながらも、マケマケは住民にたずねた。
「へぇ、あなた様の言う通り、鳥が卵を産んだので、それを食べました」
「卵を食べただと?お前らは馬鹿なのか?」
「へぇ、卵は美味しいうえに栄養満点、優れた食材でございます。ちなみに卵を産んだ後の鳥も、もちろん食べました。ごちそう様でございます」
マケマケは絶望した。マタベリの住民たちは、救い難い蛮族であった。
だがそれでも、マケマケは神であったので、どんな痴れ者であろうと救わねばならぬ義務があった。そこでマケマケは、イースター島の南にあるモツ・ヌイという小島に、鳥を放つことにした。
モツ・ヌイは険しく人間は立ち入れないため、鳥は安全に繁殖することができる。マタベリの住民は「モツ・ヌイからたまに飛んでくる鳥を食べていればよい」そう考えたのである。
モツ・ヌイには毎年、セグロアジサシという渡り鳥が来訪し、卵を産むことから、このような伝説が生まれたと考えられている。
そしてこの伝説に倣って行われていた儀式が、「鳥人儀礼」である。
過酷極まりないイースター島の「鳥人儀礼」とは
「鳥人儀礼」とは、イースター島のその年における支配者を決める儀式である。
毎年7月になると、各部族から選出された屈強な男たちが、マタベリの地へと集められた。
マタベリにて儀式に必要な準備を整えた後、男たちは島の最南端、オロンゴの岬へと向かう。
8月になると、いよいよ儀式が始まる。
よーいドンで選手たちは、オロンゴから約2km先の海上に浮かぶ、モツ・ヌイへと泳いで渡る。
この海域は波が強く、多くの選手が溺れ死んだという。
また、人食いサメの生息地でもあり、運悪く食われる者もいたそうだ。
(現在は乱獲により、サメは減少しているという)
命からがらモツ・ヌイへと上陸した選手たちは、洞窟の中でしばらく生活をする。
セグロアジサシの産卵時期まで、ここでひっそりと過ごす。
9月になると競争は激化し、選手たちは互いに殺し合うこともあったそうだ。
一番最初に卵を確保した選手は、再び泳いでオロンゴの岬まで戻る。
そして自身の部族の首長に卵を手渡した瞬間に、その首長はマケマケの化身である鳥人「タンガタ・マヌ」と認められ、一年に及ぶ島の支配権を得たのである。
(苦労した部下ではなく、その上司が手柄を得るというのは、現代社会にも通ずる世知辛さがある)
だが19世紀中頃になると、白人たちの侵略が始まり、鳥人儀礼は廃止された。
島民たちは奴隷として連れ出され、イースター島の文化の殆どが、灰燼と化してしまったのである。
参考 : 『世界遺産への旅』『ハワイの神話と伝説』他
文 / 草の実堂編集部
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