神話、伝説

モアイだけじゃない!イースター島の「鳥人間伝説」とは

イースター島は太平洋上に浮かぶ、小さな島である。
正式名称をパスクア島と言い、現在はチリ共和国が有する島となっている。

イースター島と聞いて、真っ先に思い浮かぶものといえば、やはりモアイ像であろう。

画像 : モアイ像 public domain

モアイは「何のために作られた」かは、未だはっきりと解明されてはおらず、研究者を悩ませ続けている。

だが、イースター島にはモアイ以外にも「鳥人」と呼ばれる謎の存在が信仰されていた形跡が残っている。

今回は神秘のベールに包まれた鳥人の伝説について、解説を行っていく。

鳥人信仰の歴史

画像 : 岩盤に刻まれた鳥人の彫刻 wiki c Rivi

イースター島のモアイ崇拝は、10世紀頃から始まったとされている。

だが16世紀頃になると、人口増加による食糧不足から部族間での対立が起こり、互いのモアイを倒し合う「フリ・モアイ」という争いが始まった。

こうしてモアイ崇拝は段々と廃れていき、17世紀頃になると、新規のモアイは一体も作られなくなったという。

代わりに台頭したのが、創造神マケマケ(Makemake)への信仰である。

マケマケはイースター島において、モアイ作りが始まる以前に崇拝されていた古の神であり、いわば信仰のリバイバル(復活)が起きたというわけである。

マケマケは鳥と関わりの深い神であり、鳥人は、このマケマケと化身だと現在では考えられている。

マケマケの伝説

画像 : マケマケ 草の実堂作成

マケマケには様々な神話が存在するが、近代のイースター島において特に重要視されたのが、次の伝承である。

(意訳・要約)

かつて、イースター島のマタベリという地では、絶え間なく争いが繰り返されていた。

マタベリは食べ物が少なく、かろうじて魚は取れるが、味が非常に不味かった。
人々は必然的に食料の奪い合いを始め、やがて奪う食料すらなくなると、今度は互いの肉を食べ始めるようになった。

そこへマチロヒヴァという地から、一人の神がやって来た。
名をマケマケといい、良識のある慈悲深い神であった。

マケマケはマタベリの惨状を見て、大いに嘆いた。
そこでこの地の人々に、鳥を与えることを決めたという。
味も良く栄養満点な鳥肉を食べれば、人々は飢えることなく、争いも起きないだろうと考えたからだ。
マタベリの住民たちは大いに喜び、マケマケに感謝の言葉を送った。

それからしばらく経ち、マケマケは様子をうかがいに、再びマタベリへ訪れた。
「きっと皆、鳥肉のおかげで健やかに暮らしているだろう」そうマケマケは思っていた。

だが住人たちは未だ飢餓状態であり、互いに殺し合い、肉を貪る有様であった。

「これは一体どういうことか?」

マケマケは住民にたずねた。すると住民は、

「へぇ、あなた様がくれた鳥を全部食べ尽くしたので、こうして再び戦争を起こし、敵を食っているのです」と答えた。

マケマケは住民たちのあまりの愚かさに、呆れ果ててしまった。

「よく聞けお前ら。鳥が育てば卵を産む。卵からは新たな鳥が生まれる。ゆえに卵を産むまで、鳥を食べてはならない」

マケマケは、このように住民たちに言い聞かせ、再び鳥を与えた。

時が過ぎ、心配になったマケマケが、三度マタベリへ訪れたところ案の定、住民たちは殺し合いをしていた。

「お前たちは一体何をしているのだ?」

半ばうんざりしながらも、マケマケは住民にたずねた。

「へぇ、あなた様の言う通り、鳥が卵を産んだので、それを食べました」

「卵を食べただと?お前らは馬鹿なのか?」

「へぇ、卵は美味しいうえに栄養満点、優れた食材でございます。ちなみに卵を産んだ後の鳥も、もちろん食べました。ごちそう様でございます」

マケマケは絶望した。マタベリの住民たちは、救い難い蛮族であった。
だがそれでも、マケマケは神であったので、どんな痴れ者であろうと救わねばならぬ義務があった。

そこでマケマケは、イースター島の南にあるモツ・ヌイという小島に、鳥を放つことにした。
モツ・ヌイは険しく人間は立ち入れないため、鳥は安全に繁殖することができる。

マタベリの住民は「モツ・ヌイからたまに飛んでくる鳥を食べていればよい」そう考えたのである。

モツ・ヌイには毎年、セグロアジサシという渡り鳥が来訪し、卵を産むことから、このような伝説が生まれたと考えられている。

そしてこの伝説に倣って行われていた儀式が、「鳥人儀礼」である。

過酷極まりないイースター島の「鳥人儀礼」とは

画像 : オロンゴの岬 wiki c Eric Gaba (Sting – fr:Sting)

「鳥人儀礼」とは、イースター島のその年における支配者を決める儀式である。

毎年7月になると、各部族から選出された屈強な男たちが、マタベリの地へと集められた。
マタベリにて儀式に必要な準備を整えた後、男たちは島の最南端、オロンゴの岬へと向かう。

8月になると、いよいよ儀式が始まる。

よーいドンで選手たちは、オロンゴから約2km先の海上に浮かぶ、モツ・ヌイへと泳いで渡る。
この海域は波が強く、多くの選手が溺れ死んだという。

また、人食いサメの生息地でもあり、運悪く食われる者もいたそうだ。
(現在は乱獲により、サメは減少しているという)

画像 : モツ・ヌイ(一番奥に見える小島)photoAC cc0

命からがらモツ・ヌイへと上陸した選手たちは、洞窟の中でしばらく生活をする。

セグロアジサシの産卵時期まで、ここでひっそりと過ごす。

9月になると競争は激化し、選手たちは互いに殺し合うこともあったそうだ。

一番最初に卵を確保した選手は、再び泳いでオロンゴの岬まで戻る。

そして自身の部族の首長に卵を手渡した瞬間に、その首長はマケマケの化身である鳥人「タンガタ・マヌ」と認められ、一年に及ぶ島の支配権を得たのである。
(苦労した部下ではなく、その上司が手柄を得るというのは、現代社会にも通ずる世知辛さがある)

画像 : タンガタ・マヌ 草の実堂作成

だが19世紀中頃になると、白人たちの侵略が始まり、鳥人儀礼は廃止された。

島民たちは奴隷として連れ出され、イースター島の文化の殆どが、灰燼と化してしまったのである。

参考 : 『世界遺産への旅』『ハワイの神話と伝説』他
文 / 草の実堂編集部

アバター

草の実堂編集部

投稿者の記事一覧

草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
編集、校正、ライティングでは古代中国史専門。『史記』『戦国策』『正史三国志』『漢書』『資治通鑑』など古代中国の史料をもとに史実に沿った記事を執筆。

✅ 草の実堂の記事がデジタルボイスで聴けるようになりました!(随時更新中)

Audible で聴く
Youtube で聴く
Spotify で聴く
Amazon music で聴く

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事

  1. 『あんぱん』未亡人・登美子(演・松嶋菜々子)の再婚の選択は正しか…
  2. 神話や伝説に登場する「サメの怪物」たち 〜磯撫で、影鰐、ナナウエ…
  3. 【人生の指南書】藤堂高虎の遺訓二百ヶ条 ~現代にも通じる武将の知…
  4. 『天皇制を否定し国家に挑んだ女性』獄中で23歳で命を絶ったアナキ…
  5. 『ナポレオンが警戒した美しき王妃』プロイセンの希望となった王妃ル…
  6. 【奈良公園の鹿たち】なぜそこに集まったのか、その生態と歴史を探る…
  7. 【正体はただの人間だった?】 変質者や犯罪者としか思えない妖怪伝…
  8. 江戸時代、遊郭に売り飛ばされた”お小夜”…

カテゴリー

新着記事

おすすめ記事

宇宙の果て について調べてみた 「470億光年離れた場所?」

宇宙の果てはどうなっているのか?それは、人間誰しもが一度は考えることだ。どうなっているのか?…

『羊が生える木』から始まった ~世界を動かした「綿」の知られざる歴史とは

私たちが日常で何気なく使っている綿(コットン)。実は、世界の歴史の流れを大きく左右し…

ルネサンスはなぜイタリアで起こったのか?

一部では「日本の美術教育は海外に比べて積極的でない」といわれることもあるようだが、各地の美術館や…

1年間で4回も改元!?『三国志』の黎明期、混乱を極めた中平六年を振り返る

日本で最も短い元号は、鎌倉時代中期、暦仁(りゃくにん)の74日。命名の出典は中国二十四史の一つ『隋書…

モスクワの戦いについて調べてみた【冬将軍到来】

1941年6月、バルバロッサ作戦を発動したドイツ軍がソ連へ侵攻したことにより、独ソ戦が開始された。…

アーカイブ

PAGE TOP