「子をなすこと」は、人類の営みの中でも最も根源的な行為のひとつである。
だがその一方で、「子をなさないようにする」こと、つまり「避妊」もまた、人間が長きにわたって知恵を絞ってきたテーマだった。
古代中国では「多子多福」という思想のもと、子どもが多いほど家が栄えると考えられていた。

画像 : 皇帝と妃たちイメージ 草の実堂作成(AI)
特に皇室や貴族階級においては、子孫を残すことが政治や家系の存続と直結しており、避妊という発想そのものが否定的に捉えられることも多かった。
それでも、あらゆる時代において「望まぬ妊娠」は存在した。
中でも、青楼の妓女や後宮の妃嬪、宮女たちは、避妊が必要な場面も多かった。
青楼では子を宿すことで商売ができなくなり、後宮では身分や序列にそぐわぬ妊娠がトラブルの火種となることもあったため、避妊は身を守るための切実な手段だった。
今回は史料や伝承に残された、今では考えられないような古代中国の避妊法について、いくつか紹介する。
古代中国人の避妊
古代中国では、魚膘(ぎょひょう)を避妊具として使っていたとする説がある。

画像 : 魚膘 (コイ科の浮き袋)CC BY-SA 3.0
魚膘とは魚の浮袋のことで、古くから天然の避妊具として、現代のコンドームに近い用途で使われていたとされる。
魚膘を使う様子は、2011年に中国や香港で公開された映画『武侠(英題:Dragon)』にも描かれている。
作中では遊女が魚膘を丁寧に洗う場面があり、それが日常的な配慮として用いられていたことをうかがわせる。
柔らかい素材のため体内に何かを挿入する必要がなく、比較的身体への負担が少なかったとされている。
少し話は逸れるが、中国以外の地域でも古くから同種の避妊具があったようだ。
中世ヨーロッパでは、動物の腸膜を加工した避妊具が使われていた記録があり、同様の発想が世界各地に見られるのは興味深い。
とはいえ、こうした穏やかで身体への負担が少ない方法は限られたものであり、多くの女性たちは望まぬ妊娠を防ぐために、自らの健康や命を犠牲にせざるを得なかった。
毒薬による避妊法

画像 : 水銀 public domain
避妊を必要とした古代の女性たちにとって特に過酷だったのが、毒を取り入れる方法である。
その代表例が、水銀であった。
紀元前の中国では、ごく微量の水銀をお茶や食事に混ぜて摂取することで、妊娠を防ごうとする方法があったと伝えられている。
唐代の医学書『千金要方』にも、「水銀を煎じ、空腹時に服用すれば、妊娠を永久に断ち、身体を損なわない」といった記述が見られる。しかし、現代の医学的知見からすれば明らかに誤りであり、実際には極めて有害な処置である。
水銀はわずかな量でも胎児に深刻なダメージを与えることがあり、繰り返し摂取すれば月経不順、脳障害、腎機能障害、不妊などを引き起こす。
古代の青楼では、当人が知らぬまま摂取させられていた例もあったという。
また、水銀のほかに用いられた毒物として、砒素(ひそ)や馬銭子(まちんし)がある。
いずれも適量であれば避妊できると信じられていたが、量を間違えれば女性本人の命を奪うことにもなった。
新たに妓女として雇われた若い女性に対し、入門時に密かに毒薬を服用させる習慣があったとも言われている。
漢方による避妊法

画像 : 「涼薬」を飲む青楼の妓女たち 草の実堂作成(AI)
古代の青楼では、妊娠を防ぐために水銀や砒素といった劇物だけではなく、「涼薬」と呼ばれる漢方薬も広く使用されていた。
涼薬とは、体内を冷やす性質を持つとされる薬草や動物性成分を煎じた薬で、短期的な避妊ではなく、長期的に服用することで生殖能力を弱める効果があると信じられていた。
成分には麝香や石膏、黄柏、黄連などの「寒性」の生薬が含まれていたとされ、これらが生理不順を引き起こし、最終的に妊娠しにくい体質にする狙いがあった。
娼妓たちは、毎日のようにこの湯薬を飲まされていたという。
味は独特で、酸味や苦味の中に香りがあり、一部の妓女は「甘くて飲みやすい」とすら感じたという。
だがその裏で、多くの女性が後に妊娠することのないまま人生を終えていった。
避妊の手段を選ぶ自由などなかった時代、涼薬は「子を産まない身体」を強制的につくる手段として、女性の体と人生に深く影を落としていたのだ。
後宮に伝わる避妊法
古代中国の後宮では、皇帝との関係を持った女性たちが、必ずしも妊娠を望まれていたとは限らなかった
中には、寵愛が一時的なものであり、子を宿すことがかえって立場を危うくする例もあった。
後宮における避妊法の中でも、特に謎めいた存在として語られてきたのが「了肚貼(りょうとてい)」である。
前漢時代、漢成帝の寵愛を受けた趙飛燕・趙合德の姉妹が用いていたとされるこの貼り薬は、腹部、特にへその上に貼ることで妊娠を防ぐ効果があると信じられていた。

画像 : 「了肚貼」を渡される妃 草の実堂作成(AI)
「了肚」とは直訳すれば「腹を終わらせる」、つまり妊娠の可能性を終わらせるという意味を含むと解釈されている。
原料には麝香(ジャコウ)が使われていたと伝えられるが、具体的な製法はすでに失われており、現在では文献上の存在にとどまっている。
幻の避妊具として後世の好奇心をかき立てる「了肚貼」だが、皇帝の寵愛という不安定な立場にあった女性たちが、どれほど切実に妊娠の可否に気を配っていたかが窺える。
また、他に知られている避妊法としては「藏紅花(ぞうこうか)」と呼ばれる植物、つまりサフランの抽出液を用いた洗浄がある。
寵愛を受けた宮女が、皇帝から「子を残す必要はない」と判断された場合、太監(宦官)たちがこの液体で、下半身を洗浄する処置を施した。
藏紅花は漢方薬としても知られるが、当時は体液を体外に排出させる力があると信じられていた。
また、一部の記録によれば、宮女を逆さ吊りにした状態で洗浄を行ったという記述もある。
さらに、皇帝が関係を終えた際に「留めるな」と言った場合、太監が腹部を押すなどして、体内への定着を防ぐような処置を施したとも伝えられている。
これらの行為は、いずれも国家の血筋や皇位継承を管理するための「制度の一部」として行われていたと考えられる。
女性たちは、自身の身体であっても自由に扱うことは許されず、子を持つか否かは皇帝の意志ひとつに左右されていた。
現代から見れば異様に映るこれらの処置も、当時の宮廷においては“秩序”の維持と“血統”の統制のために必要不可欠なものとされていたのだ。
呪術的な避妊法
皇帝の後宮とは異なり、庶民や青楼に生きた女性たちは、さらに限られた手段の中で妊娠のリスクに立ち向かっていた。
その中には怪しげな民間療法や、呪術のような方法も数多く存在していた。
とくに知られているのが、柿のへた(柿蒂)を用いた避妊法である。

画像 : 柿のへた PhotoAC
これは、七つの柿のへたを瓦の上で乾燥させ、それを煎じて冷ました湯を飲み、これを七日間、合計49個分続けると、一年間妊娠を防げるというものだった。
その一年の間は柿を食べてはいけないという戒めがあり、妊娠を望むときには、再び七つの柿のへたを服用するという手順が伝えられていた。
一見、ただの民間信仰にも思えるこの方法だが、柿のへたにはオレアノール酸やベツリン酸などの成分が含まれており、現代の中医学ではこれを粉末にして漢方薬として用いることもある。
実際に、しゃっくり止めや胃腸の調整に使われる処方「柿蔕散(していさん)」の主薬でもあり、全くの無意味と切り捨てることもできない。
また、民国期に記されたある妓女の回想録には、次のような記述がある。
初めて客を取る前、老鴇(ろうばん/妓楼を取り仕切る女性)から、ほのかな酸味のある湯薬を飲まされ、それ以降、一度も妊娠することがなかったという。
この甘い風味で飲みやすかった薬の正体は、柿のへたを粉末にして湯に溶かしたものだったとも伝えられている。
医術が発展していなかった時代において、こうした方法は「効くと信じること」そのものに意味があるとされていた。
当時の女性たちは、運命を大きく左右する妊娠という現実に対し、限られた知識と手段の中で懸命に抗っていたのである。
参考 : 『千金要方』『原始避孕方法大揭秘 求学网』他
文 / 草の実堂編集部
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