中国史

唐の音楽文化について調べてみた【音楽好きだった玄宗】

の時代、中国は精力的に外交を行ない、首都の長安が一大国際都市として発展します。外国から様々なモノが流入し、音楽もその一つでした。

特に中央アジアやインドの亀茲楽や天竺楽などの西域の音楽=胡楽が流行し、国際色豊かな音楽文化が花開きます。

唐の音楽文化について調べてみた【音楽好きだった玄宗】

※「唐玄宗」。Wikipediaより引用

また、第6代皇帝の玄宗(げんそう:685年〜762年)が音楽に対して造詣が深かったこともあり、中国史上において音楽文化のピークの一つを迎えます。

今回は、そんな音楽を愛した皇帝と当時の音楽について調べてみました。

異国発祥の楽器

唐の音楽文化について調べてみた【音楽好きだった玄宗】

※「莫高窟『第112窟』」、Wikipediaより引用。

敦煌市近郊にある世界遺産「莫高窟」の壁画の中には、たくさんの音楽にまつわる壁画が残されています。

壁画の人物たちが演奏している楽器の多くは、シルクロードを通じて西域から伝わったもので、その影響を見てとれます(日本でも奈良の正倉院の収蔵品「瑠璃杯(るりのつき)」などの中央アジアの品々が遺っており、西域文化がもたらされました)。

中でも琵琶は、合奏や独奏、歌唱の伴奏など、様々な場面に用いられました。用途の幅広さから、庶民だけでなく宮廷音楽にも使用されるほど珍重され、貴賎を問わず愛好されました。玄宗の寵妃・楊貴妃は琵琶の名手で、よく演奏しては皇帝をもてなしました。

唐時代の琵琶は、四弦と五弦のものが存在しました。いずれも遣唐使が持ち帰った唐代のものが、正倉院に収蔵されています。

四弦はイランを、五弦はインドを起源としています。四弦琵琶は、この頃に現在の日本の楽琵琶とほぼ同じ形が出来上がり、中国を中心とする東アジアに普及していきました。

一方、五弦琵琶は廃れていき、正倉院の収蔵品「螺鈿紫檀五絃琵琶」が世界でただ一つ遺存するのみです。

定着しなかった理由として考えられるのは、音域が四弦琵琶よりも狭く、演奏法も難解であったことが挙げられます。

皇帝と寵妃の愛の曲

唐の音楽文化について調べてみた【音楽好きだった玄宗】

玄宗は皇帝でありながら、自身で作曲もしていました。代表曲は「霓裳羽衣(げいしょううい)の曲」という宮廷音楽の舞曲です。

原曲はインドが起源の「波羅門」、つまり胡楽です。河西(現在の甘粛省)の節度使が、玄宗に謁見した時に献じました。

甘粛省の北西部には、かつてシルクロードの分岐点として栄えたオアシス都市・敦煌があります。

河西の節度使が波羅門を献上できたのは、西域の最新の文化を手に入れやすい環境にあったためだと考えられます。

この胡楽を玄宗は中国風にアレンジし、誕生したのが「霓裳羽衣の曲」でした。

“霓裳羽衣”とは、女性用の薄絹で作られた美しく軽やかな衣装を意味します。霓裳は虹のように美しい裾のこと。羽衣は鳥の羽でできた軽い衣で、仙人や天人が着て空を飛ぶと言われています。

つまり、この曲名は舞踊を得意とする女性=楊貴妃を暗に示しており、最愛の妃に向けて作られた曲なのです。

※「沈香亭で霓裳羽衣の舞を披露する楊貴妃」、Wikipediaより引用。

玄宗は、新しく迎えた妃の楊貴妃をお披露目する宴の席で、この曲を披露します。楊貴妃のための曲を、楊貴妃のための宴席で披露したことで、彼女が特別な存在であると周囲に知らしめました。

また、楊貴妃も玄宗の熱い思いに応えるかのように、よくこの曲に合わせて舞を踊っていたと伝わっています。

まさに二人の愛の思い出がぎっしり詰まった曲です(白居易も玄宗と楊貴妃を詠った「長恨歌」の中にこの曲を登場させています)。

しかし、楊貴妃が原因で起こった安史の乱以後は、楊貴妃と共に「国を傾けた不吉な曲」と忌避されていきます。

曲の楽譜も散り散りになってしまい、嫌われてしまった愛の曲は、まるで二人の運命を物語っているような終わりを迎えました。

講師は皇帝

玄宗は中国古来の音楽と西域音楽の融合を推進し、「法曲」という新ジャンルが確立します。「霓裳羽衣の曲」も法曲の一つです。

法曲は、当時の最先端の宮廷音楽であり、玄宗の大のお気に入りでした。

そこで、玄宗は音楽や歌舞の教練所を拡充、改編。新たに法曲の楽舞を学ぶための専門機関を設置します。

もともと音楽を扱う部署は、雅楽(儀式などの伝統的な音楽)と燕楽(宴席で使われる音楽)を司る「太楽署」と宮女たちが楽舞などの技芸を学ぶ「内教坊」がありました。

新設された教習機関では、太楽署の燕楽の楽工たちから技芸に秀でた者300名を、内教坊の宮女からも容貌と芸に優れた者数百人を選抜し、玄宗が直接指導を行いました。

前者は宮中の梨が植えられた庭園に集め、後者は太極宮にある宜春院におかれました。

この教習機関を庭園の名称からとって「梨園」と呼びます。また、玄宗から直接指導を受けた者は「皇帝梨園弟子」という称号が与えられ、楽府のトップとして君臨しました。

彼らは、自らの新曲の演奏を試すた役割も担っていました。そして、少しでも演奏を間違えると、玄宗はすぐさま気付き、過ちを正したと言われます。

ちなみに、日本の歌舞伎界を「梨園」と呼ぶのは、この玄宗が作った梨園に基づきます。

音楽好きだった玄宗

調べてみると、玄宗はとにかく音楽が大好きな人物であることがわかりました。自らも音楽に携わるとともに、多くの才能ある楽人のパトロンでもありました。玄宗の情熱や知識があったからこそ、唐の文化は大いに発展し、華やかな時代を作り出すことができたのでしょう。

ただ、華やかが過ぎたことによって、安史の乱が引き起こされ、国も文化も衰退していくという、なんとも皮肉な結末を迎えてしまうのですが。

※参考:湯浅邦弘編著(2016)『テーマで読み解く中国の文化』ミネルヴァ書房

 

アバター

たけち そらまめ

投稿者の記事一覧

歴史と映画が好きです。もふもふは大好きです。

✅ 草の実堂の記事がデジタルボイスで聴けるようになりました!(随時更新中)

Audible で聴く
Youtube で聴く
Spotify で聴く
Amazon music で聴く

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事

  1. 『中国4大美人』楊貴妃には多くの人が耐えれなかった“生理的な欠点…
  2. 【中国史唯一の女皇帝】武則天の恋愛遍歴 ~愛され利用された男たち…
  3. 『古代中国の謎の遺跡』 4000年前に高度な技術で栄え、突然消え…
  4. 円空とはいかなる人物か「生涯仏を彫り続けた僧」
  5. 玄武門の変について調べてみた【兄弟を殺した唐の名君】
  6. 万里の長城は時代と共に変化していった 「春秋、秦、漢、金、明」
  7. 【沖縄アクターズスクール創業者】マキノ正幸氏が逝去 「安室奈美恵…
  8. 漢の高祖・劉邦の冷酷すぎる逸話「息子と娘を馬車から投げ捨てる、功…

カテゴリー

新着記事

おすすめ記事

【鎌倉殿の13人】江口のりこ演じる「亀の前」実際はどんな女性だった?『吾妻鏡』を読んでみた

亀「新しく入った侍女なんですが、目立つ割に全く役に立ちませぬ。立ち振る舞いで下人の出でないことは分か…

【犠牲者1400人以上】日本史上最悪の海難事故~ 洞爺丸事故とは

昭和29年(1954)9月26日、青函連絡船・洞爺丸(とうやまる)が、台風15号(洞爺丸台風)で荒れ…

渋野日向子選手の全英女子オープン優勝をやさしく解説

渋野日向子選手、全英女子オープン制覇!先日(最終日 8/5)行われた全英女子オープンでは…

徳川家康は、なぜ駿府城で隠居したのか?

※徳川家康「海道一の弓取り」の異名を持ち、関が原の合戦に勝利して江戸幕府を開いた男。…

魅力満載のカラフルなポルトガル宮殿 「シントラのペーナ国立宮殿」

フォトジェニックな街並みが話題のポルトガルの首都『リスボン』に隣接する都市「シントラ」は、城跡と宮殿…

アーカイブ

PAGE TOP