悪人かはたまた偉人か
毛沢東に対する評価は人によって分かれる。だが、彼を聖人として崇める人は多くないと思われる。
毛沢東に関する書籍や論文は多くあり、その人物像については諸説ある。
今回はどんな人物だったか、資料を元に取り上げたい。
もちろん今でも中国では彼を偉人として取り上げる人は多くいるし、公式の「毛沢東伝」は毎年、聖書に次ぐベストセラーである。なぜ毎年ベストセラーになるかというと、中国の学校では授業で「毛沢東伝」を使う。つまり、14億と推定される人口のほとんどが毎年購入するのである。
彼の死後、ある人は「毛の幽霊が中国に漂っている」と表現した。しかしこれはあながち間違いではないようだ。現代の中国の実態を見れば、しっかりと毛沢東の理念は社会と政治の統治原理として中国の大地に深く根付いてしまっている。
習近平のやり方をみても、まるで第二の毛沢東になろうとしているかのようである。
その性格はサイコパス?!
サイコパスとは反社会的人格障害のことだ。対人関係において精神異常者のことを指す。
歴史的に偉業を成した人物は、往々にしてどこか一般人とは違っている。
あのアドルフ・ヒトラーもアスペルガー症候群だったという説もある。
サイコパスの特徴は対人コミュニケーションにおいて会話が成り立ちにくいことである。
彼らは一般人が持つ「良心」や「善意」を持ち合わせておらず、そういった感情を理解することができない。
一見すればとても理性的に見えるが他者を思いやる心が欠如しており、理論や道徳、恐怖すら感じることがない。考えや言動はどこまでも自己中心的なのである。まるで毛沢東の性格を表しているようである。
自己中心的なエピソード
若かれし毛はおそらく、理想と大志を胸に中国の未来を語る若者だっただろう。
だが、人というものは愚かなもので一旦権力を持つとなかなか大志を貫けないものだ。
1949年10月、中華人民共和国の建国を宣言し、毛沢東は国家主席として初代最高指導者を務め、その生涯を国家主席として閉じた。
彼は自分が頂点でないと気が済まず自分に歯向かうものは容赦なく粛清した。『大躍進政策』『文化大革命』などの失政では何千万人もの人間を死に至らしめたと言われているが、中国では「建国の父」として高い評価を得ている。
毛沢東は夜型の生活を送っていたようで、昼間に睡眠をとっていた。
それは国家主席になっても変わらず、その時に彼が睡眠を妨げる存在として憎んだのが「スズメ」だった。昼間に鳴いてうるさいということで、部下は毎日スズメ取りをさせられ、彼が拠点を置いていた北京では市内の小中学校の生徒もスズメ取りをさせられたという。
一説では年間11億羽ものスズメが捕えられ殺処分されたと言われている。
これは前述した『大躍進政策』における最初の試みであり「四害駆除運動」として他に、「ネズミ・ハエ・蚊」が徹底的に駆除された。これにより生態系が大きく崩れ世界史上でも屈指の大飢饉を招く結果となり、餓死者は4000万人を超えると言われている。
1960年に鳥類学者の指摘を受けてこの運動は衰退したが、中国政府は最終的にソビエト連邦から25万羽のスズメを輸入して個体数を補充している。
愛読家
毛沢東は大変な読書家であったことは有名である。それは少年の頃から死ぬまで変わらなかった。
国家主席になってからもそれは変わらず、ベットの周りは山積みの本だらけだったという。
好んで読んだジャンルは思想に関するものと歴史関係でり、中国国内だけでなく古今の外国の本も読み漁った。
毛沢東は人々の心に訴える論文やスローガン作りがうまかったが、中国の古典から得た知識を上手に用いていたと考えられる。
毛沢東は興味深いことに歴代の悪名高い皇帝をリスペクトしていたという。残忍な統治をした人物でも功績が大きければその悪行も大きく扱われなくなる。どこかで自分と重ね合わせていたのかもしれない。
身なりに無頓着
毛沢東は自分の身なりに無頓着で、他者からどうみられようが無関心だった。
非常に不規則な生活を送っており、かなり不潔だったとされている。生涯歯磨きをせず、風呂にも入らず、暑いタオルで身体を拭く程度であった。
同じ服を何年も着続け破れても気にせず、服装にも無頓着だった。
残っている写真の多くはきちんとした身なりをしているが、対外用に撮られたもので実際とはかけ離れたものだった。
水泳大好き
毛沢東は運動の中でも特に水泳が大好きだった。ただの趣味なら良かったが、ここでもサイコパスぶりを発揮している。
74歳の時「長江を泳ぐ!」と言い出した。長江は中国でも有数の巨大な川であり川幅は非常に広く、向こう岸が見えないほどだ。
部下は必死に止めたが強行突破したという。二時間近く泳ぎ続けたが、部下たちは毛沢東の泳ぎを邪魔しないような距離で周りを取り囲み、安全を見守った。
本人は満足したそうだが、警護した人たちの心労は大変大きかっただろう。
偉業を成し遂げる人物はそこか逸脱したところがあることがわかる。
毛沢東も生前は国内外で輝かしい名声を轟かせていたが、死後は多くの政治上の失敗や自己中心的なエピソードから評価も徐々に変わっていったようだ。
完全な統治者などいない。歴史には必ず勝者と敗者がおり、その人物と時代の流れがどのようにマッチするかがポイントである。
毛沢東の政治から中国は何を学び、感じたのであろうか。
次回は毛沢東の妻たちについて触れていく。
毛沢東はどんな人物だったのか?③ 「不倫を重ねた4人の妻たち、長男の死因」
毛沢東はどんな人物だったのか?① 「中国共産党中央委員会主席となるまで」
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