秦の始皇帝陵
西安にある秦の始皇帝陵は非常に広大であり、未だに未発掘の区間が多くある。
その大きさは56.25平方キロメートル、サッカー場に換算すると7800個の大きさである。
今現在で、約8000以上体もの兵馬俑、戦車や戦馬の像など100体を超える発見がなされてきた。
言うまでもなく、中国の歴史の中で最も大きな規模の皇帝の墓である。
現在でも発掘が現在進行形で進んでおり毎年、新しい発見がなされ、人々の注目を集めている。
最近でも、西安の始皇帝陵博物院考古学チームにより新しい発見が公表された。
「百戲俑坑」での発見である。
「百戲」とは様々な芸術面の活動の総称で、見たり聞いたりして楽しむ物で、雑技や踊り、演劇、武術、幻術などが含まれる。
なぜこのような名称がこの一つの抗についたかというと、その場所から見つかった人形の装備が兵士のそれとは違う、娯楽に関係したものであったからである。
兵馬俑の身分
兵馬俑と聞くと直立した兵士の像を思い浮かべる人が多いのではないだろうか。
実は兵馬俑にはいくつかの種類がある。その装飾品や出立ちから身分がうかがい知れるという。
兵士の身分を細かい部分で分けると、8個に分けられる。
軍師 (頭に正方形の冠をかぶっている)
高級軍師 (兵馬俑の中でも最も稀少な身分で、鸚鵡の冠をかぶっている。今までで10体ほどしか出
土していない)歩兵 (平均身長は180センチほどで、最も多く出土している。多くの人がイメージする兵馬俑はおそらくこれであろう)
跪射俑(左足を立てて跪いている状態。この状態で弓を射る兵士である)
立射俑(直立して弓を射る兵士である。)
騎馬兵 (馬を率いている)
戦車を運転する兵士 (手を前に出して馬を駆る姿勢をしている)
戦車の中から敵を攻撃する兵士
百戲俑坑
この場所で発掘された物は、今まで発掘された物と全く様子が違っていた。
まず1999年の発掘で銅鼎と呼ばれる、三つの足を持った銅のいわゆる鍋が発見された。初めは鍋として、煮炊きに用いられていたが、後に宗教儀式に主に用いられるようになったものである。
その大きさは口径が70センチ、高さが60センチ、重さがなんと212キロもあった。
今まで始皇帝陵で見つかったものの中で、最も重いものである。
その作りは非常に精巧で、下腹の部分には三角の渦巻きの組み合わせや雲の模様が丁寧に刻まれていた。
そして銅鼎と同時に11体の陶器の人形が発掘された。
人形の破損は非常に深刻で修復するのに長い時間を要した。
その様子は今まで見つかった兵馬俑のそれとは大きく異なっていて、鎧などの戦闘で使われる装飾を身につけていなかった。ある物は上半身裸で、下半身のみに衣服を付けていた。その衣服もまるでスカートの様なものだった。そして手は挙げていたり、何か持っているかのような状態だった。
ある者のポーズは非常に滑稽な様子に見えた。
何かの踊りを踊っているのか、音楽を奏でているのか、それとも何かを演じているのか。
明らかに兵士とは違うその様子に多くの考古学者は好奇心をそそられたであろう。
この人形達が、以前に発掘された兵馬俑と異なっていることからさらに研究が進められ、姿勢や、風格、服装、装束などから初めの段階で、秦の娯楽活動に携わっていた者を模した人間であるという仮説に達した。
だがその当時、それが何を表しているかを断定するには証拠が少な過ぎた。発掘品の量もさほど多くなかったからだ。
この分野に関して、さらに発掘と復元、研究が必要とされた。
次回は2022年6月の最新の研究について解説する。
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