中国史

火薬は「不老不死の薬」の研究中に生まれた

火薬は「不老不死の薬」の研究中に生まれた

火薬のイメージ画像 ※無煙火薬 wiki c Halen

銃や大砲などの兵器や、ロケットの推進薬として使われている 火薬

火薬の発明は人類史における大きな分岐点とも言え、特に「」が生まれる以前と以後では、戦争のあり方そのものが大きく変貌してしまった。

火薬は中国で発明され、遅くとも850年頃の「」の時代には製造方法が知られていたとされている。

不老不死の薬の研究中に生まれた

中国の最も古い宗教は道教であり、道教は神仙を目指し不老不死を理想としていた。

秦の始皇帝が不老不死の薬を求め、徐福という方士に霊薬を探しに行かせたのは有名な話である。

火薬は「不老不死の薬」の研究中に生まれた

画像 : 不死の妙薬を求めて航海に出る徐福(歌川国芳画)

方術士たちは不老不死の霊薬を作るために日夜研究し、不老不死の霊薬作りは「錬丹術」と呼ばれていた。

前漢の時代においても武帝が神仙を目指しており、李少君という方術士が「錬丹術で黄金を作り、黄金の食器で食事をとれば仙人になれます」と進言したという。

錬丹術」は結局は目的である不老不死の薬は作れなかったが、その過程において「硝石、硫黄・木炭」を混ぜ合わせると爆発を生むということを発見したのである。

太平広記」という前漢から北宋初期までの奇談を集めた書では、「錬丹術用の炉から紫色の炎が立ち上がり家を燃やした」という記述がある。紫色の煙は硝石に特徴的な炎色反応であり、この時代には方術士たちが硝石を使って実験していたことがわかる。

850年頃に書かれた「真元妙道要略」という道教経典では、「ある者が、硫黄、鶏冠石(二硫化ヒ素)、硝石にハチミツを混ぜた実験したところ、炎が出て火傷を負って家も全焼した。道家の名誉を損なうのでやめるように」という記述がある。

これは明らかに「火薬」であり、この記述が「火薬の発明は遅くても850年頃」という根拠となっている。

1040年頃に編纂された宋朝官修の軍事書『武経総要』では、史上始めて「火薬の製法と使用法」について公開されている。

この頃には既に火薬の開発が進み、兵器として実用化されていたのである。

西洋に火薬が伝わったのが1200年代後半であるから、火薬の発明から数百年後である。

ただしこれには理由があって西洋(ドイツやフランス、イギリスのような北西ヨーロッパ)では硝石は天然で採取できなかったようである。これは日本も同様で、特に雨が多い地域では硝石は水に溶解するため鉱脈は出来ずらいのである。

後に、古民家の床下の土や糞尿などを使った硝石の製造法が生まれ、あらゆる国で火薬が使われるようになる。

日本に火薬の製造方法が伝わったのは、実は鉄砲伝来より少し前の14世紀頃である。東福寺の僧侶であった雲泉太極の日記「碧山日録」に「応仁の乱の際に、細川方の陣営に火槍が配備されていた」という記述があり、黒色火薬の製造法は伝来していたと考えられている。

 

 

草の実堂編集部

投稿者の記事一覧

草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
編集、校正、ライティングでは古代中国史専門。『史記』『戦国策』『正史三国志』『漢書』『資治通鑑』など古代中国の史料をもとに史実に沿った記事を執筆。

✅ 草の実堂の記事がデジタルボイスで聴けるようになりました!(随時更新中)

Youtube で聴く
Spotify で聴く
Amazon music で聴く
Audible で聴く

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事

  1. 故事成語について調べてみた 「矛盾、馬鹿、逆鱗、杜撰、蛇足 の語…
  2. 【古代中国の宇宙人遺跡?】 三星堆遺跡と「目が縦」だった謎の王様…
  3. 習近平について調べてみた【下放された青年期】
  4. 傾国の悪女・妲己の伝説 「怖すぎる処刑法と酒池肉林、九尾の狐だっ…
  5. 中国人はなぜ種を食べるのが好きなのか? 【明の皇帝はスイカの種が…
  6. 歴史を動かした絶世の美女たち!古代中国の美人15人
  7. 「中国で発見された最も古く高い銅像」 青銅大立人とは ~三星堆遺…
  8. 古代中国の美人メイクとは 「地雷メイク、美白、フェイクエクボが流…

カテゴリー

新着記事

おすすめ記事

KuCoin(クーコイン)の登録方法と使い方【持っているだけで毎日配当が貰える】

2017年はビットコインを始めとした仮想通貨元年と言ってもよい盛り上がりでした。しかし日本の…

『戦場と化すガザ』なぜ同じイスラム教のアラブ諸国が積極的に助けないのか?

ガザ地区は、長年にわたりイスラエルとパレスチナの紛争の中心地であり、度重なる戦闘で甚大な被害を受けて…

平安時代の女性たちの恋愛術 「美人の条件、出会いの場、陰湿なイジメ」

後宮とは平安時代、京の都には江戸時代の大奥と同じような嫉妬渦巻く女の園があった。…

武田信玄の兜「諏訪法性兜」は、なぜ有名になったのか?

群雄割拠の戦国時代、甲斐の国を治めた武田信玄は「甲斐の虎」とも呼ばれ、越後の龍・上杉謙信と幾度も繰り…

卑弥呼と邪馬台国の謎 【なぜ史料がない?】

古代史は謎に満ちている。というよりも謎だらけといってもいい。その中で最大級のものとして今も人…

アーカイブ

人気記事(日間)

人気記事(週間)

人気記事(月間)

人気記事(全期間)

PAGE TOP