銃や大砲などの兵器や、ロケットの推進薬として使われている 火薬。
火薬の発明は人類史における大きな分岐点とも言え、特に「銃」が生まれる以前と以後では、戦争のあり方そのものが大きく変貌してしまった。
火薬は中国で発明され、遅くとも850年頃の「唐」の時代には製造方法が知られていたとされている。
不老不死の薬の研究中に生まれた
中国の最も古い宗教は道教であり、道教は神仙を目指し不老不死を理想としていた。
秦の始皇帝が不老不死の薬を求め、徐福という方士に霊薬を探しに行かせたのは有名な話である。
方術士たちは不老不死の霊薬を作るために日夜研究し、不老不死の霊薬作りは「錬丹術」と呼ばれていた。
前漢の時代においても武帝が神仙を目指しており、李少君という方術士が「錬丹術で黄金を作り、黄金の食器で食事をとれば仙人になれます」と進言したという。
「錬丹術」は結局は目的である不老不死の薬は作れなかったが、その過程において「硝石、硫黄・木炭」を混ぜ合わせると爆発を生むということを発見したのである。
「太平広記」という前漢から北宋初期までの奇談を集めた書では、「錬丹術用の炉から紫色の炎が立ち上がり家を燃やした」という記述がある。紫色の煙は硝石に特徴的な炎色反応であり、この時代には方術士たちが硝石を使って実験していたことがわかる。
850年頃に書かれた「真元妙道要略」という道教経典では、「ある者が、硫黄、鶏冠石(二硫化ヒ素)、硝石にハチミツを混ぜた実験したところ、炎が出て火傷を負って家も全焼した。道家の名誉を損なうのでやめるように」という記述がある。
これは明らかに「火薬」であり、この記述が「火薬の発明は遅くても850年頃」という根拠となっている。
1040年頃に編纂された宋朝官修の軍事書『武経総要』では、史上始めて「火薬の製法と使用法」について公開されている。
この頃には既に火薬の開発が進み、兵器として実用化されていたのである。
西洋に火薬が伝わったのが1200年代後半であるから、火薬の発明から数百年後である。
ただしこれには理由があって西洋(ドイツやフランス、イギリスのような北西ヨーロッパ)では硝石は天然で採取できなかったようである。これは日本も同様で、特に雨が多い地域では硝石は水に溶解するため鉱脈は出来ずらいのである。
後に、古民家の床下の土や糞尿などを使った硝石の製造法が生まれ、あらゆる国で火薬が使われるようになる。
日本に火薬の製造方法が伝わったのは、実は鉄砲伝来より少し前の14世紀頃である。東福寺の僧侶であった雲泉太極の日記「碧山日録」に「応仁の乱の際に、細川方の陣営に火槍が配備されていた」という記述があり、黒色火薬の製造法は伝来していたと考えられている。
この記事へのコメントはありません。