鎌倉時代

将軍様も夜遊びしたい!『吾妻鏡』が伝える第4代鎌倉殿・藤原頼経のお忍びエピソード

♪月がとっても青いから 遠廻りして帰ろう……♪

※菅原都々子「月がとっても青いから」

月が綺麗だと、それだけでテンションが上がってしまう方は多いかと思います(私事で恐縮ながら、筆者もその一人です)。

筆者のような庶民であれば、気の向くままに出かけたり、ちょっとだけ遠回りしたりして月を愛でれば済む話。ですが、ちょっと地位や身分のある方だとなかなかそうも行きません。

それでも彼らとて人の子、月の美しさに心揺らいでしまうのは古今東西・老若男女みな同じ。

第4代鎌倉殿・藤原頼経(画像:Wikipedia)

たまには羽目を外したい……今回は鎌倉時代、幕府の第4代将軍・藤原頼経(ふじわらの よりつね)がお忍びで夜遊びに出かけたエピソードを紹介したいと思います。

そうだ 遊び、行こう。頼経の気まぐれ

時は延応元年(1239年)7月20日。その日は特に何事もなく、いつも通りに静かな夜が更けていきました。

「あぁ、月が綺麗だ……そうだ 遊び、行こう。」

と思い立ったが何とやら。頼経は夜遊びに出かけます。

「お待ち下され、供の者がおりませぬ」

「そなたがおるではないか。今おる者だけでよい。ついて参れ!」

「いざ参らん、夜遊びへ!」鎌倉の街へと繰り出す頼経ご一行(イメージ)

ちょうど宿直していた御家人の顔ぶれは以下の9名(『吾妻鏡』記載順)。

北条光時(ほうじょう みつとき。周防右馬助、北条泰時の甥)
北条実時(さねとき。陸奥掃部助、北条泰時の甥)
三浦光村(みうら みつむら。河内守、三浦義村の三男)
毛利季光(もうり すえみつ。蔵人、大江広元の四男)
藤原定員(ふじわらの さだかず。兵庫頭)
伊賀光重(いが みつしげ。織部正。北条義時の義兄弟)
三浦家村(みうら いえむら。駿河四郎左衛門尉、三浦義村の四男)
三浦資村(すけむら。五郎左衛門尉、三浦義村の五男)
結城朝広(ゆうき ともひろ。上野判官、結城朝光の嫡男)

「いいんですか?こんなの執権(北条泰時)殿に知られたら……」

「構わぬ。昼間はちゃんと仕事をしておるのじゃから、夜くらいは自由に過ごさせてもらう」

「もし、執権殿が許してくれなかったら?」

「その時は……そう、すべてはあの美しすぎる月のせいじゃ。そういうことに致そう」

「左様で。して、今宵はどちらへ?」

「そうさな、佐渡前司(さどのぜんじ。後藤基綱)の元へ参ろう。あやつなら、こんな時分でも快く受け入れてくれよう」

(そりゃ追い返されはしないでしょうが、やはり上司の仰せだから渋々感がにじみ出てしまうと、実に興ざめなものです)

後藤基綱(ごとう もとつな)は頼経・泰時ともに信頼が篤い文武両道の側近。そこへ遊びに行くということは、泰時にバレるのは百も承知だったのでしょう。

「……というわけで、参ったぞ!」

大いに盛り上がる頼経たち(イメージ)

まったく、真夜中に迷惑な……なんて素振りはおくびにも出さず、基綱は月見に押しかけた将軍様ご一行を快く歓迎。勝長寿院(現:鎌倉市雪ノ下。現存せず)から稚児たち(現代でいうコンパニオン的な感覚)も呼んで歌舞音曲を楽しんだということです。

終わりに

及深更。夜靜月明。將軍家俄渡御于佐渡前司基綱宅。被用御車。御共人々折節八九人計也。所謂周防右馬助。陸奥掃部助。河内守〔三浦〕。毛利藏人。兵庫頭。織部正。駿河四郎左衛門尉〔同〕。同五郎左衛門尉。上野判官〔結城〕等也。於彼所。召勝長壽院兒童等。有管絃舞曲等興遊云々。

※『吾妻鏡』延応元年(1239年)7月20日条

「御・所・ド・ノっ!」

まったく天下の鎌倉殿ともあろうお方が夜遊びなど……さて泰時の怒るまいことか。令和の現代と違って、鎌倉時代の夜道は盗賊やら野犬なんか(現代でもまれに猿や猪の出没情報あり)もウロついており、治安なんて何それ美味しいの?状態。

「何かあったら、どうなさるおつもりか!少しはお立場を考えていただきたい!」

天下の名宰相として知られる「俺たちの泰時」だが、鎌倉殿など為政者に対しては、かなり口うるさかったであろうと思われる(イメージ)

泰時が心配したのはもちろんのこと、民衆に対しても「やたら出歩くな、治安を乱すな」と口を酸っぱく言っている手前、御所様がこれでは示しがつかないではありませんか。

「まぁまぁ、たまにはよいではないか……」

「よくありません!そういう時はちゃんと護衛をつけて、万一に備えて万全の体制をですな……」

「それじゃつまらn……」

「何ですと?」

「いえ、何でも。ナンデモアリマセヌ。ハイっ」

大真面目な泰時から、こってりと油を搾られたであろう頼経(そんな恥部は『吾妻鏡』に書かれませんが)。でもこの手の「いけない思い出」を共有するのは、何物にも代えがたい財産の一つ。御家人たちも(いい迷惑ながら)嬉しかったんじゃないでしょうか。

「いやぁ、あの時は楽しかったですね」

「四郎(三浦家村)の隠し芸、ありゃ最高だったな」

「あん時の稚児、可愛かったなぁ」……等々。

※ちなみに、こうした「将軍の気まぐれ」にも対応できるよう側近メンバーにシフト制が導入されたのはもう少し先の話し。

源頼朝(みなもとの よりとも)公の天下草創より早数十年。鎌倉殿と御家人たちの間には、往時と変わらず主従の絆が育まれていたのでした。

※参考文献:

  • 五味文彦ら編『現代語訳 吾妻鏡 11将軍と執権』吉川弘文館、2012年1月

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角田晶生(つのだ あきお)

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