人有三急
中国に「人有三急」という言葉がある。
人生には待ってくれない三つの事があるという意味である。一つは「尿意」、二つ目は「便意、放屁」、三つ目は「出産」である。
どんなに地位の高いお金持ちでも、有名な俳優や歌手でも絶世の美人でも、この三つは絶対に待てない。
入れる行為である食べたり飲んだりは半日程度は我慢できるが、出す行為であるこの三つは我慢できないのである。
特にトイレに行くことは人生において何よりも優先され、待ったなしの出来事である。
トイレのエチケットについては、国や文化よって随分と違ってくる。
例えば中国人は、裸で温泉に入る日本人のことを眉を顰めながら語るが、トイレは公開OKなのだ。
日本人は音や臭いまで気にするが、中国人から言わせれば話し声と同じで、音が聞こえない方がおかしいという。
このようにトイレのエチケットや文化は様々であるが、古代中国のおトイレ事情はどうだったのだろうか?
古代中国人はどうやってお尻を拭いていた?
後漢の宦官・蔡倫は、製紙の技術を飛躍的に向上させたことで知られている。蔡倫が製紙法を改良したことで紙の生産の効率や質が上がり始めた。
しかし当時の紙は高価で、主に文化用品として扱われ、日用品として使う習慣はまだなかった。
明と清の時代になってようやく大量に紙が作られるようになり、大衆にも流通し始め、今で言う「トイレットペーパー」として使用され始めたという。
世界を見てみると古代ローマの時代では、公衆トイレなるものがすでに存在しており、海綿でお尻を拭いていた。
木の棒の先に海綿がくくりつけられており、それを濡らしてお尻を拭いた。
公共トイレということは不特定多数の人が使うわけだが、濃度の高い塩水の中に浸して殺菌して使ったという。殺菌していたとはいえ現代の観点からするとなんとも不衛生な印象である。
では古代中国はどうしていたのだろうか?
古代中国では「廁籌 : ちゅうぎ」と呼ばれる木片を使っていた。
大体20cmくらいの木片か竹片であり、使い方は簡単に言えば「木のスプーンでアイスクリームをすくって食べる時の要領」だという。
廁籌の最古の記述は三国時代である。
学者のよれば、この習慣は仏教の伝来とともにインドから渡ってきて、日本へも渡ったという。
古代日本でも廁籌が使われた記述があり、遺跡からも出土している。
では廁籌よりも前は何を使っていたのか?
漢朝前の時代は日用品を開発しようなどという生活の余裕はなく、人々は石、木の葉、木の枝、土の塊や、直接手で拭いていたと考えられている。
トイレットペーパー小話
これは1948年に、国民革命軍の山東省主席・王耀武という将軍に起こったエピソードである。
ある作戦が失敗し、商人のふりをして追手から逃げていた時のこと。彼は一つの村を通りかかった。
そして急に便意を催して橋の下で用を足した。その際に彼はいつもの習慣通り、アメリカから輸入した高級紙を使ってお尻を拭いた。
それが災いして捕獲されてしまったのである。
農民がそれを見て当局に通報したのだ。なぜなら一般人はそんな高級な紙は使わないからだ。
中国ではトイレットペーパーが流通し始めてからも、裕福で地位の高い者だけが使用する贅沢品であり、一般人には手の届くものではなかったのである。
当時高級だったトイレットペーパーを使ってしまったがために起きた、悲劇の逸話となっている。
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