三星堆遺跡の神樹
三星堆遺跡(さんせいたいいせき)は、1986年に中国・四川省三星堆で発見された遺跡である。
この遺跡の興味深いところは、その出土品の多さとその作りの素晴らしさにある。
今回はその中の一つ「青銅神樹(せいどうしんじゅ)」について解説したい。
神樹
青銅神樹(せいどうしんじゅ)は、字のごとく「青銅器で作られた神の木」と呼ばれ、三星堆遺跡の二番坑から発掘された。
この神樹は長い眠りに着く前に打ち壊されて、火で焼かれた形跡があったという。
発掘されて修復が完了した現在は、三星堆博物館に所蔵されている。
この神樹は、中国国外に持ち出すことを禁止されている文化遺産で、中国国外で見ることはできない。
かの有名な兵馬俑でさえ海外へ出張展覧したことがあることから、中国政府がこの「神樹」を非常に価値あるものとしていることが窺い知れる。
高さは3.95メートルとかなり大きな出土品で、単にその技術の素晴らしさだけではなく、古蜀文化を語る上で、非常に大切な存在となっている。
古蜀文化については
https://kusanomido.com/study/history/chinese/77475/#i-2
この神樹は、三星堆遺跡の第二期、第三期時代(商、周の時代)の文化のものであるとされている。
三つの部分で構成されており、幹の部分とそれを支える台座、そして龍の部分がある。
幹には三層の枝が束になってついており、それぞれの枝の上には一羽ずつ神とされた鳥「神鳥」がとまっている。
枝の上には全部で九羽の神鳥がいて、神鳥と一緒に幾つかの果実が実っている。その他には、金の葉、鈴牌、翡翠などの装飾品がある。
三層の幹の反対側には、一匹の龍がいる。神樹に沿って下方向へと、美しい波のように身体をくねらせて流れるようにデザインされている。
台座部分は丸い円形であり、三本の足のような部分でバランスよく上部の幹部分を支えている。
このような高度な技術が、3~4千年前の文明に作られたというのはにわかに信じがたい。なんと現在の技術をもってしても制作するのは困難であるという。
古蜀人はどのようにしてその技術を手にいれ、このように完成度の高い作品を作ったのか。これもまた謎である。
神樹の歴史的な意味
三星堆遺跡から出土した物品は、これまでの中国文化とはあまりに異質な形をしていることが特徴的だ。
考古学者たちも今まで見たことがないような、不思議な特徴を持っている。
この神樹は、中国の神話に出てくる神樹とも似ており、古蜀人の独特な宗教文化についても伺い知ることができる。
古蜀人と新樹の関係性について掘り下げてみよう。
古蜀人は太陽と鳥を崇拝していた。
古代エジプトを始めとする古代文明は、太陽を神化して崇拝していた文明が多い。
古蜀人もそうであったと考えられている。
彼らは太陽とその一番近くを飛ぶ鳥は、非常に深い関係があるとしていた。十の太陽があると信じており、日が落ちると鳥の姿に変化すると考えていた。
現在、復元できている神樹の枝の上には九羽の神鳥がいるが、実は欠けた部分があり、その欠けた部分の枝にもう一羽の神鳥がいたのではないかと推測されている。
このように、古蜀人は太陽と鳥を非常に関連性の高いものと考え、神樹を崇拝の儀式に使用してきたのだ。
古蜀人には「人と神の交流」という概念があった。「人神交往」「通天」という考え方である。
天界と人間界の架け橋が神樹であり、宗教の儀式に使用して、神との交流を試みていたと思われる。
最後に
前述したように神樹の鋳造の技術は、現代の技術を持ってしても再現は難しいとされている。この神樹の製作にはなんと5種類もの違う技術が使用されているという。
古蜀の時代に、なぜこのような高度な技術が発達していたのか、未だにその謎は解明されていない。
一般的に遺跡というものは、発掘すればするほど謎は解明される。
ところがある専門家によると、三星堆遺跡は掘れば掘るほど逆に謎が深まるという。
今後も発掘研究が進み、その高度な技術の謎が解き明かされることに期待したい。
参考 :
三星堆Ⅰ號大型銅神樹 | 貢品數據管理
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