謎だらけの三星堆遺跡
三星堆遺跡(さんせいたいいせき)とは、1986年に中国の四川省広漢市、三星堆の鴨子河付近で発見された文化遺跡で、20世紀最大の発見とされている。
発掘された遺物の中で最も古い年代のものは、なんと4000年以上も前である。
出土品がかなり多く、その奇妙奇天烈な遺物は多くの謎を呼んでいる。
なぜ文字がないのか?
代表的な謎の一つは、いまだに正式な「文字」が発見されていないことである。
その数多くの出土品の完成度から、かなり高度な技術を持った文化だったことは間違いない。
しかし、これほど高度な文化をもった民族が文字を一切持たなかったとは考えにくいのだ。
実際に出土品の中には様々な図案が彫られているものがあり、象形文字のようなものも発見されている。
しかしその数はかなり少なく、文字らしきもの、文字の跡のような漠然としたものしか見つかっていない。
同時期に存在していた商朝(殷)の青銅器には大量の文字が発見されている。
だが、この三星堆遺跡の青銅器には文字が存在しないのである。
前述したように、これほど発達した文化に文字がないことは考えにくいことから、研究者たちはあるひとつの仮説を立てている。
それは「文字は存在していたが、書き記したものが木材などの腐食しやすい材料だったため、現在まで残らなかった」というものだ。
だがこれはあくまでも仮説であり、なぜ文字が見つからないのかは今も謎のままである。
どこから来たのか?
出土品の中には多くの青銅器が含まれる。その技術は非常に高く、精巧なものであった。
それは生活の中で使われる日用品ではなく、崇拝に使われたと考えられるものばかりであり、芸術的にも非常に価値が高く美しいものであった
この技術は一体どこから来たのだろうか?
三星堆遺跡を作った人々は、今からおよそ3000年から5000年前に存在した古代中国の古蜀国の人々とされているが、諸外国との関係についてもはっきりとは分かっていない。
さらに最近の発掘調査では、象牙と貝が大量に見つかっている。
当時、雲南省には確かに野生の像が生息していたが、その数は少なかったと考えられている。
それでも研究者たちは当初、中国国内に生息していた象の象牙ではないかと推測したが、出土した本数はなんと1000本を超えているという。
象牙はおそらく、南インドか東南アジアからやってきたのではないかと考えられており、貝についても同様に国外からやってきたのではないかとされている。
いずれにせよ国外との交易は頻繁にあったようだが、それがどこだったのか、その技術はどこから来たのかも不明である。
なぜ姿を消したのか?
これだけ特異な発展を遂げた三星堆遺跡の文化であるが、ある時期に突如姿を消している。
しかし現在までの発掘において、火で焼き払われた跡や大規模な破壊の跡は確認されておらず、多くの出土品は美しい姿のまま、何千年も土の中で眠っていたのだ。
このような偉大な文化が滅亡する理由が外敵の襲来でないとすれば、一体なんなのか?
いくつかの説が挙げられている。
まずは、洪水や地震などの自然災害説である。
他には大規模な流行病で国民のほとんどが命を失ってしまい、国家として成り立たなくなったという説。
そして、三星堆遺跡一帯の生活資源が枯渇してしまい、人々が生活を営むことができなくなったという説である。
その場合、国民たちはおそらく自主的に違う場所に移り住んだと考えられている。
発掘が進めば進むほど逆に謎が増えていく三星堆遺跡は、今後私たちにどんな謎を提供してくれるのか。
参考 :
三星堆文字之谜,学者:即便没有文字,三星堆也是文明
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