中国史

1500年前の中国北周「武帝」の顔がDNAから復元される。『死因も特定』

画像 : 西部が北周(周)の領域。北東部が北斉(斉)、中央が後梁(梁)、南東部が陳。 556年~581年 wiki c 俊武

北周は、中国の南北朝時代に鮮卑系の宇文氏によって建てられた国である。(※556年~581年)

国号は正確には「周」であるが、紀元前に存在していた古代王朝の「周」と区別するために「北周」と呼ばれている。

北周第3代皇帝の「武帝」は、西暦560年から578年に36歳で亡くなるまでの18年間、北周王朝を統治していた。

2024年3月28日に「Current Biology誌」に掲載された論文によると、研究チームはこの約1500年前の皇帝(武帝)・宇文邕の遺骨から採取されたDNAを分析し、遺体の顔の復元画像を作成することに成功したという。

さらに、武帝の死因についても解明したと報告している。

北周武帝は強力な軍事力を築き、突厥(とっけつ)を鎮圧し、北斉を倒して中国北部を統一したことで知られている。

武帝」とは、軍事的な功績を残した皇帝に贈られる称号である。

全ての皇帝が武帝と呼ばれるわけではなく、特に武功によって領土を広げたり、国を強くした皇帝が武帝と呼ばれる。

武帝

画像: 左)遺骨から抽出したDNAを使用して復元された北周王朝の武帝、宇文邕(うぶん・よう)の顔。右)十三帝絵巻(歴代帝王図巻)の宇文邕の肖像画の一部。 credit by Pianpian Wei

若すぎる死の謎

武帝が、なぜこれほど若い年齢で亡くなったのかについては長い間議論されてきた。

これまでの通説では「ライバルによる毒殺」や「原因不明の病気」によるものとされていた。

しかし今回のDNA分析により、武帝は「脳卒中の合併症」で亡くなった可能性が高いことが確認された。

歴史上の人物を蘇らせるDNA技術

武帝の墓は、1996年に中国北西部で発見されている。

古代人の容貌を復元する上で大きな問題となるのは、完全な頭蓋骨や質の高いゲノムデータが入手困難なことだ。

しかし発見された墓には「ほぼ完全な頭蓋骨」を含む遺骨が残されており、研究者たちはそこからDNAを抽出して遺伝子分析を行うことができた。

共同研究者の Pianpian Wei(ピアンピアン・ウェイ)氏(上海復旦大学文化遺産・博物館学科の助教授)は次のようにコメントしている。

「私たちの研究は歴史上の人物の姿をリアルに再現した。以前は、古代の人々の姿を想像するには、歴史資料や壁画に頼るしかなかったが、私たちは鮮卑の人々の姿をありのままに明らかにすることができた。」

鮮卑(せんぴ)とは、紀元前3世紀頃から中国北部と東北部に存在した騎馬民族だ。

鮮卑族は中国北部に南下して漢民族と混血していった。

五胡十六国時代・南北朝時代には大移動で南下して漢人の国々を征服し、中国に北魏、北斉、北周などの王朝を建てた。

復元された鮮卑族の皇帝の顔

復元された顔は、現代の北東アジア人に似た「茶色の目、黒い髪、濃い肌の色」をしていた。

一部の学者は、鮮卑族は濃い髭、高い鼻、黄色い髪など、「エキゾチック」な外見をしていると主張してきたが、武帝は典型的な東アジアまたは北東アジアの顔の特徴をしていたことがわかった。

脳卒中の症状と一致

前述したように、今回の研究において武帝は「脳卒中の合併症」で亡くなった可能性が高いことが判明したが、武帝には「失語症、眼瞼下垂、異常歩行」といった歴史的記録も残っており、脳卒中の症状とも一致していたことも分かった。

長安の人々の研究へ  ~シルクロードの東の終点

画像: 慕容鮮卑の射手の絵 public domain

研究チームは、中国北西部にある古代都市、長安にかつて住んでいた人々も研究する予定だ。

長安は数千年にわたり中国皇帝の都として栄え、紀元前2世紀から15世紀まで存在した重要な交易路であるシルクロードの東端だった。

この地で暮らした人々の遺骨からDNAを抽出し分析することで、シルクロードを通じた東西の交流が、人々の遺伝的構成にどのような影響を与えたのか明らかにすることを目指すという。

北周武帝について

武帝

画像: 閻立本筆、十三帝絵巻(歴代帝王図巻)の周武帝の肖像画。「歴代帝王図巻」は、前漢の昭帝から隋の煬帝までの歴代13人の皇帝を描いた図巻でボストン美術館に所蔵されている。 public domain

以下、本稿で取り上げた北周武帝についての概要をまとめておこう。

名前: 宇文 邕(うぶん よう)
生没年: 543~578年
在位(統治)期間: 560~578年

・北周の3代目の皇帝。
・北魏が滅びた後の混乱期を乗り越え、北周を統一した名君として知られる。
・軍事戦略に優れ、北斉や突厥に対して勝利を収めた。
・苛烈な性格で、反対派を容赦なく弾圧した。

主な功績:

・突厥遠征を行い、突厥軍を大敗させ、突厥の勢力を弱めた。
・北斉の首都を囲んで、北斉を滅ぼした。
・後宮を厳しく管理し、ぜいたくを禁止した。
・犯罪に対する罰則を定めた法律(北周律)を制定し、法治の整備に努めた。

・在位期間はわずか18年だったが、北魏以来の分裂を統一し、後に中国をまとめ上げた隋の基礎を作った偉大な君主と評価されている。

さいごに

この研究では、科学技術を使って古代の皇帝・宇文邕の顔が復元されたが、宇文邕の顔が従来までイメージされていた鮮卑族とは異なり、典型的な東アジア人の顔つきをしていたことがわかったことは、大きな発見ではないだろうか。

さらに研究がすすめば、南北朝時代の民族大融合をより深く理解し、中華民族の「多元一体」構造に対して、さらに理解が深まる可能性がある。

いずれにしても、DNAなど科学的手法で古代の人々の顔を復元することによって、遺物や過去の資料でしか想像できなかったことが、より明確に、具体的になることは素晴らしい。

顔の復元に使用されたソフトウエアはオープンソースなので、だれでも試してみることはできる。

HIrisPlex-S Eye, Hair and Skin Colour DNA Phenotyping Webtool
https://hirisplex.erasmusmc.nl/

参考 :
Ancient genome of the Chinese Emperor Wu of Northern Zhou: Current Biology

 

lolonao

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フィリピン在住の50代IoTエンジニア&ライター。
antiX Linuxを愛用中。頻繁に起こる日常のトラブルに奮闘中。二女の父だがフィリピン人妻とは別居中。趣味はプチDIYとAIや暗号資産、マイクロコントローラを含むIT業界ワッチング。

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