古代人の方がストレスがなかった?
現代社会では科学技術が発達しているが、人々のストレスは減るどころか増加しているという。
しかし、古代中国の生活は現在ほど緊張感がなく、「古代人の休暇は現代の先進国を上回っていた」と主張する研究者もいる。
もちろん、労働時間や環境は時代や国によって異なるため、単純な比較は難しいが、今回は古代中国の「休日」に焦点を当て、いくつかの時代を例に詳しく探っていきたい。
漢代の休日
古代中国の休日は「休沐」と呼ばれ、「休み」と「お風呂に入ること」を意味していた。
この制度は前漢時代から始まったとされている。
前漢建国時に蕭何が定めたとされる法典『漢律』には、「国家公務員は5日働いて1日休日」といった記載があり、5日働くごとに1日休みがあったことがわかっている。
さらに、冬至や夏至にはそれぞれ5日間の連休があり、身内に不幸があった場合や、実家に帰るための休みも許可されていた。
皇帝の誕生日には3日間の連休があり、年間の休日はおおよそ73日ほどだったとされている。
現代日本の労働者の平均休日は110日ほどとなっており、日数的には現代の方が多い形となっている。
唐代の休日
唐代でも休沐の伝統は続き、唐高宗の時期には1日ごとの休沐が「十日休沐」へと変更された。
官僚は非常に多忙となり、10日働いて1日休むこととなり、これを「旬休」と呼んだ。
これだけだと1ヶ月に3日しか休みがないが、毎年3回(春季、冬至、お盆)ゴールデンウィークがあり、それぞれ7日間の休暇があった。
また、中秋節や夏至には3日間、その他の節気にも1日ずつ休暇があった。
他に帰省休暇もあり、親が3000里以上離れて住んでいる場合は35日、500里以上の場合は15日の休暇が与えられた。
さらに、冠礼や婚礼、農忙期や寒衣の準備期間にも特別な休暇があり、年間の合計休日は100日を超えていたという。
宋代の休日(最も多かった)
宋代は唐代の「旬休」制度を引き継いだが、祝日が最も多い時代だった。
新たな祝日も設けられ、5つの「ゴールデンウィーク」が存在した。元日、元旦、寒食、天慶、冬至にはそれぞれ7日間の休暇があり、その他の節気にも3日間の休暇があった。
これらを合わせると、年間の公休は76日、旬休36日を加えると合計112日となる。
しかし、実際にはこれ以上の休暇が存在していたという。
元代の休日
元代も唐代の「旬休」制度を引き継いだが、少数民族の関係からか、多くの伝統的な祝日が減らされた。
フビライ・ハーンは、「長寿と冬至にはそれぞれ2日の休暇を与える。元正と寒食にはそれぞれ3日間の休暇を与える。7月15日、10月1日、春の初め、端午、秋の初め、重陽にはそれぞれ1日ずつの休暇を与える」と定めた。
したがって、年間の祝日はわずか16日しかなく、36日の旬休を加えると、元朝初期の年間休日はわずか52日であった。
その後、中書省の提案により、フビライは旬休を月3日から5日に変更した。これにより、漢代の「五日一休沐」の頻度に近づき、年間の休日は70日以上となった。
明・清代の休日(大幅に現象)
明清時代には祝日制度が基本的に廃止された。
明王朝初期には、年間の休日は元旦5日、冬至3日、元宵節10日、毎月5日の休日1日を合わせて18日しかなかった。
朱元璋の死後に3日間の月次休暇が追加されたが、年間の休日は50日を少し超える程度しかなかった。
清朝では祝日はさらに減って、春節、冬至、皇帝の誕生日の3つの祝日しか残っていなかった。
アヘン戦争以後、西洋の影響を受けて、清政府は日曜日を休日とするようになったが、祝日がそれ以上に減っているので明時代より休日は減っている。
最後に
総じて言えば、年間の休日数はその時代の「社会の繁栄度」を示しているとも言えそうだ。
特に唐宋時代は文化の最盛期であり、年間の休日数も豊富であった。これに比べ、明清時代には休日が減少していった。
古代中国の充実した休暇制度は、適切な休暇が人々の生活の質や幸福度に寄与することを示しているのかもしれない。
参考 :
Daily Life in Ancient China | World History Encyclopedia
中國古代的假期竟然這麼多
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