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『中国3大悪女』呂后の死後、なぜわずか3ヶ月で呂一族は皆殺しにされたのか?

呂后が死んだ日から始まった「権力争いのカウントダウン」

画像 : 項羽と劉邦 public domain

紀元前206年、秦が滅亡し、中国大陸は再び群雄割拠の時代へと突入した。

項羽と劉邦による楚漢戦争が勃発し、数年にわたる激しい戦いの末、最終的に勝利を収めたのは劉邦だった。

紀元前202年、劉邦は初代皇帝として「漢」を建国し、中国史上400年近く続く大帝国の礎を築いた。

その劉邦の正妻が呂雉(りょち)である。

後に呂后(りょこう)と呼ばれる彼女は、劉邦と共に戦乱の時代を生き抜き、漢帝国の基盤を支えた存在だった。

劉邦亡き後、皇太后となった呂雉は第2代皇帝の恵帝(劉盈 りゅうえい)を補佐し、さらにその死後は自ら皇帝に代わって政務を取り仕切り、実質的に漢王朝を15年間支配した。

しかし、彼女の手腕は常に賛否両論を呼んできた。
施政面では「与民休息」を掲げ、税を軽減し、安定した社会を実現した一方で、権力掌握のためには過酷な手段も辞さなかった。

劉邦に寵愛された戚夫人を人彘にした逸話や、劉邦の庶子を相次いで排除したことなど、その冷酷さを示す事例は多い。
こうした行動から、後世には「中国三大悪女」の一人として数えられている。

前180年7月18日、呂后は、長安の宮殿・未央宮(びおうきゅう)で崩御する。

呂后は最期、甥の呂禄(りょろく)と呂産(りょさん)に兵権を託し、「兵権だけは絶対に手放すな」と言い残した。

この遺言は、やがて呂一族の命運を大きく分けることになる。

劉邦との約束を破った呂氏

画像 : 呂太后、漢の高祖劉邦の皇后 呂雉(りょち)public domain

呂雉が生前もっとも恐れていたこと。それは、劉氏宗室や建国の功臣たちからの反発だった。

その火種は、劉邦がまだ健在だった頃にさかのぼる。

劉邦は漢帝国を建国した際、功臣や劉氏一族を集め、「白馬之盟(はくばのめい)」と呼ばれる誓いを立てたとされる。

非劉氏而王、天下共撃之
意訳 : 劉氏一族以外を王に立てれば、天下を挙げてこれを討つ

引用 : 『史記』高祖本紀

この盟約は、劉氏一族の権威を守るだけでなく、建国の功臣たちを安心させる意味もあった。

彼らにとって「漢の天下は劉氏のものである」という原則は絶対的なものであり、この不文律が王朝を支える精神的な支柱だった。

しかし、呂后はその原則を自ら破る。

劉邦の死後、彼女は呂氏の甥たちを次々と王に封じたのである。
呂台を呂王に、呂産を梁王に、呂禄を趙王に。さらに妹の子や外甥までも列侯に取り立て、朝廷内は呂一族で固められていった。

この呂氏の優遇策は、功臣や劉姓諸侯にとって裏切りに等しかった。
とくに深い傷を負ったのは、劉邦の子や孫にあたる諸侯たちである。

趙王劉如意を毒殺した一件や、梁王劉恢(りゅうかい)を自殺に追い込んだ事件は、劉姓一族の怒りをさらに増幅させた。
中でも、斉王劉襄の父である劉肥は、呂后に毒酒を強要された過去があり、強い恨みを抱いていた

一方で、功臣たちも呂氏政権を快く思ってはいなかった。
周勃、陳平、灌嬰、樊噲らは、劉邦と共に天下を取った仲間でありながら、呂一族が次々と高官に登用されるのを目の当たりにし、やがて自らの立場が脅かされる危機感を抱き始める。

さらに呂一族は、権力を握るために必要な「軍事」と「政治」を着実に押さえていった。

甥の呂禄と呂産に南北軍の兵権を与え、妹の呂媭(りょすう : 樊噲の妻)や外甥の呂平を宮廷内の要職に配置。
さらに呂氏の女子を劉姓の諸侯に嫁がせ、婚姻による影響力拡大も進めていた。

一見すると盤石な体制に見えたが、実際は宗室と功臣たちの怨嗟を一身に集めていたのである。

信じた「ひと言」が命取り ~呂一族に迫る罠

画像 : 呂雉(呂后)public domain

呂后は臨終の際、甥の呂禄呂産に南北軍の兵権を託し、「兵権だけは絶対に手放すな」と厳しく言い残していた。

兵権こそが一族を守る最後の命綱であることを、彼女はよく知っていたのである。

しかし、若い呂氏の一族には、姑の警告を理解するだけの老練さがなかった。
そんな彼らに近づいたのが、周勃・陳平ら功臣たちの策謀である。

決定的な転機をもたらしたのは、劉邦の重臣・酈商(りきしょう)の息子・酈寄(りき)の言葉だった。
酈寄は呂禄と親しく、旧来の「友人」として信頼を得ていた。

ある日、酈寄は深刻な顔で呂禄を訪ね、こう切り出したという。

「高祖と呂后が天下を共に定めたことは、誰もが知っています。
しかし、呂后が亡くなった今、あなたが京城にとどまり軍権を握っていれば、劉氏宗室からの疑念は避けられません。
いまのうちに将印を返し、梁王にも相国印を返上させ、領地へお戻りなさい。
そうすれば、劉氏一族も呂氏を疑う理由がなくなり、王位も安泰です。」

酈寄は「旧友の忠告」の体で言葉をかけたが、これは周勃陳平ら、功臣集団の仕組んだ罠だった。

彼らは酈寄の父である酈商を人質に取り、その命と引き換えに息子を「偽りの使者」として送り込んでいたのである。

画像 : 陳平の肖像画 public domain

しかし呂禄は、この言葉をまんまと信じてしまう。

それを聞きつけた姑の呂媭(りょすう)は激怒し、庭にあった宝玉を床に叩きつけたという。

「兵を捨てれば、呂氏はもう終わりだ!これらの財宝も、いずれすべて他人の手に渡るだろう!」

しかし呂禄は、姑の警告を聞き入れなかった。

こうして彼は太尉・周勃に将軍印を返上し、南北両軍のうち北軍は周勃の支配下に移り、残されたのは呂産の南軍のみとなった。

3ヶ月で一族滅亡へ

呂后が崩御してからわずか3ヶ月後、呂一族は長安の舞台から完全に姿を消すことになる。

北軍を周勃に奪われたうえ、頼みの南軍も将軍・灌嬰が劉氏側と内通して寝返ったため、思うように動かせず、呂氏は事実上孤立無援となった。
そこへ功臣たちと劉氏宗室が動いた。

この一連の政変は「呂氏の乱(諸呂の乱とも)」として後世に伝わっている。

周勃、陳平、劉章(劉邦の孫)は極秘裏に連携し、呂氏討伐のための計画を練り上げた。
彼らはまず宮城北門の兵を掌握し、続いて劉章率いる兵が未央宮へ突入した。

混乱の中、呂産は殿門近くで討たれ、呂禄も逃亡を試みたが捕らえられ、斬首された。
呂媭も宮廷で竹杖で打たれ、命を落とす。

呂一族は老若男女を問わず次々と処刑され、かつて漢王朝の中枢を占めた一族は、たった一夜にして消滅したのである。

さらに、呂后が恵帝の子として立てていた少帝劉弘と、その兄弟である三人の皇子も「劉氏の血を引かない」として廃され、全員が殺害された。

こうして、わずか3ヶ月の間に、呂氏政権の痕跡は徹底的に消し去られた。

その後、漢王朝の再編が始まる。
功臣たちは、次期皇帝を劉邦の血統から選ぶことを決めた。

ここで白羽の矢が立ったのが、代国(現在の山西省)にいた代王・劉恒(りゅうこう)であった。

母の薄姫は後宮でも地位が低く、母方の勢力も小さかったため、功臣たちにとって政治的に扱いやすい存在だった。

画像 : 文帝(劉恒)第5代皇帝 public domain

劉恒は、第5代漢文帝として即位し、ここから「文景の治」と呼ばれる安定期へと時代は移っていく。

皮肉にも、呂氏の血で染まったこの権力闘争が、結果的に漢王朝の体制を引き締め、約400年にわたる王朝の礎を固めたといえる。

そして、呂后が最期に遺した「兵権を手放すな」という言葉は、時代を越えてなお重みを増すことになる。

後世、三国時代の魏の司馬懿が政敵・曹爽(そうそう)を滅ぼした際も、こう語ったとされる。

「握兵權而棄之,自取滅族也」
意訳 : 兵権を握りながらそれを手放せば、一族滅亡を自ら招くことになる

引用 : 『三国志』魏志・司馬懿伝

呂一族の栄華と滅亡は、権力の残酷さと儚さを象徴する物語として、二千年の時を超えて語り継がれている。

参考 :
司馬遷『史記』呂太后本紀・高祖本紀・樊酈滕灌列伝
班固『漢書』他
文 / 草の実堂編集部

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