前漢の繁栄と女性貴族「辛追」
いまからおよそ2000年前、中国大陸は前漢王朝の最盛期にあった。
漢の都・長安を中心に、官僚制度や封建諸侯の体制が整い、経済・文化・医学など多方面で文明が成熟していた時代である。
その前漢の一地方に長沙国(ちょうさこく)という諸侯国が存在した。

画像 : 前漢の最大版図 長沙の位置 public domain
これは漢の初代皇帝・劉邦の功臣であった呉芮(ごぜい)の子孫が治めた国で、現在の湖南省長沙市周辺にあたる。
長沙国では中央から派遣された丞相(宰相格)が政治を統括しており、その地位にあったのが利蒼(りそう)という人物であった。
その正妻が、辛追(しんつい)という女性である。

画像 : 復元された生前の辛追 public domain
彼女は長沙国の貴族社会の中でも最上層に位置する女性であり、絹衣や香料に囲まれた優雅な暮らしを送っていたと考えられている。
湖南省長沙市郊外の古代墓「馬王堆(まおうたい)」に葬られた彼女の遺体は、二千年の時を経てもなお柔軟さを保ち、当時の生活・医学・思想を伝える貴重な存在となった。
今回は、その「馬王堆」から発見された、あまりに生々しく研究者たちが公表をためらった「古代の健康法」について見ていこう。
「馬王堆漢墓」の奇跡の保存状態
1972年、湖南省長沙市の東郊で、工事中に偶然ひとつの古代墓が発見された。
その後の発掘調査によって姿を現したのが、前漢時代の辛追の墓だった。
発掘を担当したのは湖南省博物館と中国科学院考古研究所で、作業は大規模かつ慎重に進められた。
調査が進むと、深さ16メートルの墓坑の底に、厚い木炭層と白膏泥(カオリン質の粘土)に守られた棺槨が見つかった。

画像 : 辛追の棺 猫猫的日记本 CC BY-SA 4.0
やがて棺が開けられると、中から現れたのはまるで息をしているかのような女性の姿だった。
皮膚には柔らかさと弾力があり、関節は動き、血管の跡まで確認できた。
髪やまつげも残り、今しがた眠りについたばかりのような状態だったという。

画像 : 辛追のミイラ。前漢・長沙国の貴婦人で、1972年に湖南省長沙の馬王堆一号漢墓から出土。Public Domain
このミイラは不腐の湿屍として注目を集め、「馬王堆女屍」として広く知られることになった。
棺は完全な密封状態で、内部の温度と湿度が一定に保たれ、細菌や酸素の侵入が防がれたのである。
墓室からは、およそ1400点にも及ぶ副葬品が出土し、絹の衣類、漆器、竹簡、薬草、香料、食物、楽器など、当時の貴族の生活をそのまま再現したような豊かさであった。
また、副葬された帛書(はくしょ ※絹布に文字が記された書)や、竹簡の内容も驚くべきものだった。
これらは総称して「馬王堆帛書」と呼ばれ、古代中国人の思想や技術を知るための一級史料となっている。
公表がためらわれた「恥ずかしい健康法」とは

画像 : 馬王堆出土の絹帛および木簡文書。 医学・哲学・養生術など多様な知識を記録している。public domain
馬王堆の帛書の中には、当初、研究者たちが公表をためらった一群の医書がある。
文面があまりに露骨で、開封直後、発掘現場が一瞬静まり返ったという。
そこに記されていたのは、男女の交わりを通じて生命力を養う「房中術(ぼうちゅうじゅつ)」であった。
古代中国では、性は単なる快楽ではなく「陰」と「陽」の気を交わせて、体の調和を図る神聖な行為と考えられていた。
房中術とは、交わりを通じて「精・気・神」の三要素を整え、心身の循環を調える養生法の体系である。
帛書『合陰陽』には、その手順が克明に記されていたのである。
凡將合陰陽之方,握手,出腕陽,揗肘房,抵腋旁,上𤔔綱,抵領鄉……上欱精神,乃能久視而與天地侔存。
意訳 : 「男性と女性の間のすべての親密な行為は、特定のテクニックに従って行う必要がある。まず手を取り、腕・肩・首筋を順に撫で、気を導いて精神を交わらせる。
これにより、長く天地とともに生を保つことができる」帛書『合陰陽』より
つまり、交合そのものを“気の流れを通わせる修行”とみなしていたのだ。
さらに、帛書には「五欲の徴」と呼ばれる章もある。
戲道:一曰氣上面熱,徐呴;二曰乳堅鼻汗,徐抱;三曰舌薄而滑,徐屯;四曰下液股濕,徐操;五曰嗌乾咽唾,徐撼,此謂五欲之徵。
これは、女性の体に起こる五つの生理的変化「顔の熱、乳の張り、舌の潤い、股の湿り、喉の乾き」を示し、それを観察して相手の気の高まりを読み取る手順を説いている。
当時の人々が、人間の身体反応を細やかに観察し、生命エネルギーの循環として理解していたことがわかる。
また、交わりの前後に呼吸法や導引(体操)を行うよう指示した文もある。

画像 : 導引図の復元 public domain
同墓から出土した「導引図」には、体をひねり上体を伸ばし、呼吸を整える裸身の人物が描かれており、房中術と一体の養生法であったことが裏付けられる。
すなわち、性行為は欲望ではなく、呼吸・運動・節度を兼ね備えた「生命の調律」として位置づけられていたのだ。
1970年代の中国で、この文献が「恥ずかしい」として公表を控えられたのも無理はない。
当時、性的な内容は厳しくタブー視され、研究発表には慎重な配慮が求められた。
しかし、房中術は決して艶っぽい好奇心の産物ではなく、生命と健康をめぐる真剣な医学的探究の一部であった。
辛追の墓から出土したこの健康法は、実際には古代の貴族たちが理想とした「長寿の科学」であり、肉体と精神をひとつの生命体系として捉えた東洋的医学思想の原点でもあったのだ。
2000年前の養生思想が現代に語りかけるもの
辛追が、生前どのような人生を歩んだのか、史書には詳しく記されていない。
しかし、彼女が房中術や導引といった、養生の知識に囲まれた環境で暮らしていたことは確かである。
それは肉体の快楽を超え、「気」と「命」を調えるための哲学であり、辛追自身もまた、その思想を実生活の中で実践していた可能性は高いだろう。
墓からは、極薄の絹衣「素紗襌衣(そさぜんい)」も出土しており、これは当時の最高級の織物技術で仕立てられた軽衣である。

画像 : 直裾素紗襌衣(ちょくきょ そさぜんい)。馬王堆一号墓から出土した極薄の絹衣で、重さはわずか49グラム。透けるほど軽く、当時の最高水準の織技を示す Public Domain
こうした遺品は、彼女が単なる貴婦人ではなく、自らの身体を通して「養生」の理念を生きた女性であったことを伝えている。
馬王堆の発掘は、単なる考古学的発見ではなく、「美しく老いるとは何か」を歴史的に問う契機ともなった。
辛追とともに出土した医書や房中術の帛書は、東洋医学の源流を示すと同時に、生命を敬う古代人の知恵を今も静かに伝えている。
参考 : 『馬王堆簡帛・合陰陽』 湖南省博物院公式サイト「直裾素纱襌衣」 他
文 / 草の実堂編集部
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