太監とは
中国古代において、皇帝に仕えた男性の役人を「宦官」と呼ぶ。
彼らは、去勢されることで生殖能力を失ったため、皇帝の側室や宮女に手を出すことがないとみなされ、皇帝の最も近い場所で働き、時には国家の中枢にまで影響力を及ぼす存在であった。
「太監」は元々は高位の官職名であったが、後に実質的に宦官の長官の役職名となり、明清時代からは宦官自体が「太監」として語られることも多くなった。
今回はその中の一人、明代の太監であった高寀(こうさい)の恐ろしい逸話を紹介したい。
万暦帝の時代
高寀(こうさい)は、明朝14代皇帝の万暦帝(ばんれきてい)の時代に仕えた太監であった。
万暦帝は、明朝の歴代皇帝の中でも最も長い48年間在位したことで知られる。しかし、そのうち28年もの長い期間朝廷に姿を現さず、政治をほとんど放棄していたと言われる。
その理由としては、通説では「怠惰だった」「女性に溺れていた」などとされているが、万暦帝の墓「定陵」が発掘された際、遺骨を調査したところ右足が大きく湾曲し、左足は極端に短かったという。
つまり、生まれつき足に障害があった可能性が高く、晩年になるとさらに悪化し、普通に歩くことすら難しかったのではないかと言われている。
いずれにせよ、彼が朝廷に出仕しない間に、権力は宦官や一部の官僚たちに委ねられた。
こうした混乱の中で台頭したのが、高寀のような太監たちだった。
しかし、彼はその権力を乱用し、地元の人々から搾取を行ったり、自らの贅沢な生活を満たすために悪事を働き始めたのである。
高寀のおぞましい計画
福建省の税務官(税監)に任命された高寀は、権限を利用して贅沢な生活を送り、税金を私物化した。
税金を徴収する名目で暴利を貪る一方、倭寇と密通して財を蓄えたともされている。
このように権力と富を手に入れた高寀だったが、どうしても埋めることができない欠落があった。
それは「去勢された身」であるがゆえに、生殖能力がないという現実だった。彼は、自分の遺伝子を後世に残せないことを悔やみ、なんとかそれを取り戻そうと考えた。
そして、この悩みを解決すると称する「方士」たちの助言に耳を傾けたのである。
『万暦野獲編』巻二十八に記される逸話によれば、ある方士が「小児の脳を千人分食べれば、失われた生殖能力が回復する」と吹き込んだという。
これを信じた高寀は、貧しい家庭の子供を集めるため、「救済」を名目に子供たちを集めはじめた。
近日福建抽税太監高寀謬聽方士言:『食小兒腦千餘,其陽道可復生如故。』乃徧買童穉潛殺之。久而事彰聞,民間無肯鬻者,則令人徧往他所盜至送入。四方失兒者無算。遂至激變掣回。此等俱飛天夜叉化身也。
意訳:
最近、福建で税務を担当していた太監の高寀が、方士の言葉を信じた。「千人分の小児の脳を食べれば、生殖能力が回復する」と言われたのである。そこで高寀は、子供を買い集めて密かに殺害し、脳を摂取した。この行為が広く知れ渡ると、民間では子供を売る者はいなくなり、高寀は部下を派遣して他所から子供を誘拐させた。結果として、多数の子供が行方不明となり、最終的には暴動に発展した。このような行為をする者はまさに夜叉そのものである。
『万暦野獲編』巻二十八より引用
最初は「貧困救済」を名目に子供を集めた高寀であったが、やがて誰も子供を預けなくなると、人員を使って子供を誘拐させるという暴挙に出た。
この期間はなんと15年にも及び、その間に約1000人の子供が犠牲になったとされている。
高寀の末路
こうして高寀は長い間民衆を苦しめ、数えきれない罪を犯した。
しかし、彼の権勢も永遠ではなかった。高寀の行動があまりにも目に余るものとなり、ついにその悪行が告発されたのである。
上奏された内容は、税務における不正から子供の件も含まれていた。この告発が広く知れ渡るにつれ、福建各地で反発が強まり、民衆は暴動を起こしたのである。
最終的に、万暦帝は高寀を召還する詔勅を発し、彼を北京に戻すことを命じた。
だが、その後の高寀の消息については史料に明確な記録が残っていない。一説によれば、裁かれることなく静かにその生涯を終えたとも言われているが、民衆の記憶には「最も残虐な太監」として語り継がれることとなった。
おわりに
高寀という存在は、皇帝の不在や宦官の専横など、当時の制度が抱える脆弱性を映し出した一つの鏡といえよう。
歴史は時代ごとに異なる形でその痕跡を残すが、人間社会の根本的な課題は普遍的である。
高寀の行いがもたらした深い傷跡は、同じ過ちを繰り返さないための反省と教訓として、今も静かに語り継がれている。
参考 : 『万暦野獲編』他
草の実堂編集部
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