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三國志

肉親の情よりも大義をとるべし!人質をとられても脅しに屈しなかった「三国志」の忠臣・程畿のエピソード

「コイツの命が惜しければ、大人しく降伏しろ!」

「くっ、卑怯な……!」

ドラマや映画などでは、人質をとられた主人公が、その身を案ずるがゆえに賊の要求を呑まされ、不利な状況に追い込まれてしまうシーンがよくあります。

あえて人質を見捨てるという選択肢がないこともありませんが、ヒューマニズムを重んじる今日にあって、その決断は往々にして非難の的となり、やはり多少回りくどくなっても、人質を無事に救出しつつ敵を倒すという展開が望まれるもの。

しかし、人質の身を案ずるがゆえに天下の道理を曲げてしまっては、人質をとることが有効だという悪しき前例、そして将来の被害者を増やしてしまうことになりかねません。

だから現実社会(こと諸外国)にあっては「人質の安否を度外視してでも賊の鎮圧(道理をまっとうすること)を優先する」措置がとられるのです。

成都武侯祠に祀られている程畿の像。Wikipediaより(撮影:Morio氏)。

今回はそんな一人、「三国志」に登場するマイナー武将・程畿(てい き。字は季然)のエピソードを紹介したいと思います。

たとえ息子を人質にとられようと、肉親の私情より大義を選ぶ

程畿は生年不詳、出身は益州巴西郡閬中県(現:四川省南充市)と言われています。益州牧の劉璋(りゅう しょう。字は季玉)に仕え、漢昌(同巴中市)で県令の職務についていました。

彼には程郁(てい いく)という息子がおり、巴西郡の太守である龐羲(ほう ぎ)に仕えていたのですが、この龐羲が些細なことから謀叛の嫌疑をかけられてしまいます。

「ヤツは『外敵に備えるため』と言ってしきりに兵を集めているが、実は外敵と共謀して、こっちへ攻め込んでくるに違いない」

謀叛を疑われ、愕然とする龐羲(イメージ)。

譜代の忠臣として知られ、謀叛を起こすなど考えたこともなかった龐羲ですが、日ごろから彼を妬んでいた者たちに阻まれてしまい、弁明さえ叶いません。

このまま誅伐の憂き目に遭うよりは……と思い悩んだ龐羲は、ついに挙兵の可能性を模索し始めました。主君と戦うつもりはありませんが、少しでも兵を集めれば和平交渉に持ち込めるチャンスが見出せます。

「かくなる上は、一人でも多く味方が欲しい。そなたのお父上に、ご加勢下さるよう頼んではもらえまいか」

「ははぁ」

……という訳で、程郁は程畿のもとを訪ねて事情を説明しましたが、却って諭されてしまいました。

「太守殿にお伝えせよ。『異心を抱いていないのであれば、余計な小細工をせず堂々と弁明すべきです』と」

程畿の加勢がなければ勝ち目は薄い……どうあっても力を貸してもらいたい龐羲は、今度は別の者を派遣して「ご子息を人質にとらせていただいた。ご協力いただけぬなら、身の安全は保障いたしかねる」などと脅します。

それでも程畿は毅然とした態度を崩すことなく答えました。

「もしも我が子を羹(あつもの。スープ)にされるなら、一口ご相伴に与りたい……肉親の私情をもって大義を曲げることなど、断じてなりませぬ」

愛する我が子の肉を啜った楽羊の決意(イメージ)。

かつて戦国時代(紀元前5世紀~同3世紀)の武将・楽羊(がく よう)が人質にとられた息子を殺され、その肉を煮込んだ羹が送りつけられた時、毅然とこれを飲み干して主君への忠義と復讐心に燃え、敵国を滅ぼした故事を引き合いに出したのです。

こうまで言われては説得の見込みはなく、いよいよ勝算のなくなった龐羲は、元より謀叛の心などなかったためすぐに降伏。劉璋もこれを赦し、誤解が解けたことを喜び合ったのでした。

また、程畿の毅然とした態度についても程なく劉璋の耳に入り、その忠義を賞賛して江陽(同瀘州市)の太守に任じたということです。

劉備にも重用されて忠義を尽くし、夷陵の戦いで壮絶な最期を遂げる

その後、建安十九214年に劉璋が益州を劉備(りゅう び。字は玄徳)に譲るとそのまま仕え、従事祭酒(※)に起用されました。
(※)じゅうじさいしゅ。政治顧問的な役職で、古来、宴席で最年長者が神に酒を供えた風習に由来。

忠実に職務を遂行した程畿ですが、章武二222年「夷陵(現:湖北省宜昌市)の戦い」に出陣した際、敗走する主君を庇うために殿軍(しんがり)を志願します。

「私はこれまで幾度の戦場を経て、一度として逃げ出したことはありません。今こそ陛下(=皇帝に即位した劉備)の楯となりましょうぞ!」

かくして自ら戟(げき、えだほこ)を奮い、追撃してきた敵の艦船を数隻沈める武勲を立てた程畿ですが、衆寡敵せず最期は長江の藻屑と果てたのでした。

数々の戦場で武勲を立てた程畿(イメージ)。

その生涯は敵味方を越えて広く尊敬を集め、劉備を支えた忠臣たちの功績をまとめた『季漢輔臣賛(きかんほしんさん。楊戯、延熙四241年)』にも剛毅で節義をまっとうした生き方が伝えられています。

また、程畿には程郁ともう一人、程祁(てい き。字は公弘)という息子がおり、彼もまた『季漢輔臣賛』において父譲りの威厳や風格、清廉な人柄が讃えられていますが、兄である程郁については言及がないので、ちょっと気になってしまいますね。

※参考文献:
井波律子『三国志演義』ちくま文庫、2003年8月
陳寿『正史 三国志』ちくま学芸文庫、1994年3月
渡邉義浩『三国志事典』大修館書店、2017年5月
仙石知子ら『三国志演義事典』大修館書店、2019年6月

角田晶生(つのだ あきお)

角田晶生(つのだ あきお)

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角田晶生(つのだ あきお)
鎌倉の文章屋「角田書物(つのだ かきもの)」主人。
昭和55(1980)年11月24日、鎌倉生まれ。平成22(2010)年より現職。
原稿依頼はお気軽にご相談願います。
090-4454-8858/tsunodaakio@gmail.com

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