張飛とは
三国志の登場人物で豪傑として知られる張飛は、もともとは肉を売っていたという。
蜀の建国者・劉備玄徳に仕え、張飛より少し年上だった関羽と共に名を挙げた将軍である。蜀漢時代の代表人物といっても過言ではない。
張飛は劉備の旗揚げから参加し、死ぬまで蜀漢の発展のために奮闘した。
その戦闘能力は状況を逸していた。
張飛は蛇矛(だぼう)と呼ばれる矛の使い手で、長さは6メートル、重さは36キロほどあったという。その矛先は蛇の様にうねっており殺傷能力を高めるためのものだったいう。36キロのものを振り回して戦ったのだから、相当の体力があったと推測される。
張飛のイメージは熱い憎めない人柄であり、多くの人に愛されてきた。
身長は2メートルを越え、皮膚は浅黒く、目は大きく、耳は長く唇は分厚かったと伝えられている。威圧感を与えるその容姿に敵は恐れおののいたことであろう。
正義感は強かったがとても粗暴な人物でもあった。劉備は常に張飛を戒め、関羽は怒る張飛を力ずくで抑え込む必要があった。
張飛は33歳の時、14歳の娘であった夏侯姫をとらえて妻にした。その時も劉備は張飛を強く戒めた。
劉備は張飛が夏侯姫を脅して無理やり連れてきて妻にしたと思ったのである。しかしその後、二人の間には二人の娘は生まれた。詳しい史料は残っていないので真相は不明だが、張飛が脅して連れてきた訳でもなさそうである。張飛には人を惹きつける部分もあったということだ。
人々のイメージの中の張飛は「学のない乱暴者」といったところであろうか。
果たしてそのイメージ通りだったのか?近年新しい発見があった。
張飛の墓から出土したものとは?
1985年、現在の四川(成都)の一画に病院の宿舎を建てる計画があった。
工事のため掘り進めていくと古い墓が現れた。専門家の調査によりそれが張飛の墓であることが判明した。残念な事に張飛の墓はすでに破壊されており、盗掘にあっていた。
専門家は発掘できる物に限界があり期待できないと思っていた。
ところが非常に興味深い文献が発掘された。一般的な埋葬品の他に張飛自ら記した文献、いくつかの石碑が発掘されたのである。
調査の結果、張飛が自らの手で記したという事が判明した。
張飛の愛用していた蛇矛の上に刻まれた文字も、彼が自ら施したものだという。
その内容から、張飛は文才があり書法にも通じていた事がわかった。
非常に高い文学の知識を持っており、幼い頃から受けた教育の高さを感じさせるものだった。
張飛の家柄は決して低くなく、教育を受けさせるのに十分な環境だったという事がわかる。
当時の人たちの標準からしても、張飛の書いた文字は非常に高い水準のものだったという。
多くの人が張飛に抱く、学のない粗暴なイメージとは全く逆のものである。
歴史上の人物に対するイメージとは?
物語の中の人物像と、実際の人物像は異なっていることの方が多い。
三国志の登場人物は、一人一人が非常に魅力的でバラエティに富んでおり、バランスがとれている。
賢くて誠実でカリスマ製のある劉備玄徳、文学や様々な学問に通じ頼れる関羽。
あと一人キャラクター的に必要なのは野蛮で桁違いに強く、情に熱い張飛といったところであろうか。
ところが実際の張飛は学のある書法に通じた人物だった。
その外見に関しても、大きく目を見開いた野獣のように描かれる事が多いが美男子だった可能性もある。
張飛には前述したように二人の娘がいる。二人とも宮入りしており、しかも二人とも劉禅の皇后になっている。いくら張飛の娘と言えども美しくなければ二人とも皇后にはなれなかったのではないだろうか。
物語においても史実においても、張飛という人物は現代に至るまで人々を魅力してやまない。
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