三國志

曹操を悩ませた魏の後継者選び【万能な曹丕か天才の曹植か】

魏の世継ぎ問題

魏の世継ぎ問題

※曹操孟徳

三国志ではいくつもの世継ぎ争いが起きて勢力を混乱、更には滅亡に陥れている。

一方、魏王として事実上の天下人となっていた曹操後継者選びに頭を悩ませていた。

魏の世継ぎ争いで主役となったのは、曹丕曹植の二人である。

結論からいうと曹丕が後継者として選ばれ魏の初代皇帝となっているが、曹操が後継者を決めるまでにどのような出来事があったのだろうか。

今回は、魏の世継ぎ争いについて迫っていく。

二人の後継者候補

魏の世継ぎ問題

※曹丕子桓

後継者候補として挙げられた曹丕曹植だが、まずは二人の人物像から比較する。

曹丕は異母兄達が早くに亡くなっていた事もあり、曹操の事実上の嫡男であった。

曹操の息子らしく文武両道であり、後継者として相応しい存在だった。

魏の世継ぎ問題

※曹植子建

一方の曹植詩の才能に長けており、趣味が合う事から曹操から最も寵愛されていた。

曹操は世間一般に知られている武将や政治家としての才能以外にも、詩人としても才能に恵まれており、死から1800年経った現代にも大きな影響を与えている。

曹丕も曹操から詩の才能を受け継いでおり、多数の作品を現代に残しているが、曹植の詩の才能は兄の曹丕以上であり、詩人としても有名だった曹操をも凌駕する、正に「天才」というべきレベルだった。

子供とは思えない文才に、曹操は誰かが代筆しているのではないかと疑ったが、曹植は「言葉が出れば議論となり、筆を取れば自然と文章になります。人に頼んでいるのかどうか、目の前で試してみてください」と、これまた子供らしくない返答をする。

その言葉を聞いた曹操は曹植の才能を認め、彼を寵愛するようになる。

曹植の詩は形にとらわれない自由なものであり、性格も、一言で言ってしまえば酒を愛する「自由人」だった。(この手の人種を「変わり者」というべきか「天才肌」というべきかは人によって分かれる

曹操の息子という事もあって、曹植も父に従軍して戦場に度々赴いているが、武将としての実績は書かれていない(関羽に包囲された曹仁救援のため、曹操は曹植を向かわせようとしたが曹植が泥酔していたため取り止めになったと書かれるなど、むしろマイナス評価である)ため、軍事面に関しては文武両道だった曹丕とは異なっている。(その割には「男子たるもの戦場で武勲を挙げる事こそが本懐である」と、軍事面に興味を示さなかった事と矛盾する発言をしている

後継者争い勃発

能力的に全体的に優れている曹丕と、趣味や性格的に曹操との相性が最高である曹植のどちらを選ぶべきか、曹操は決めかねていた。

あらゆる面で完璧に見える曹操でも後継者選びで悩むところに人間臭さを感じるが、曹操は後継者争いでボロボロになっていた袁家を滅ぼした過去がある。

万が一、曹操が判断を誤れば同じように内部分裂が起こり、滅亡とは言わないまでも磐石だった曹操一族の権力が大きく衰退してしまう危険性があった。

だが、不安通り曹操の側近は曹丕派曹植派に分かれて権力争いを始めるなど、事態は最悪の方向に向かいつつあった。

もっとも、正史を見ると曹丕と曹植が兄弟同士で争っていたという記述はなく、家臣の権力争いという性格が強かった。

但し、正史は魏、及び曹操一族の行動を正当化させるため、基本的に不都合な事は書かれていないため、正史に書かれた事を鵜呑みにする事も出来ない。

世継ぎ争いの結末

魏の世継ぎ問題

※楊修徳祖

兄弟で世継ぎ争いをしたものの、正史には目立った記述は少なく、曹植側に着いていた楊修(ようしゅう)が曹操から質問される事に対する模範解答を集めたマニュアルを曹植に渡していたという、演義にも書かれているエピソードくらいしか書くべき内容は残されていない。(それが後に楊修が処刑される事になるきっかけの一つになる事は、正史でも演義でも一致している

曹操は軍師の賈詡(かく)に意見を求めたが、賈詡は黙ったままで何も答えない。

何故黙っているのかと聞く曹操に対して賈詡は「袁紹と劉表の事を考えていました」と答える。

それは、彼らが長男を後継者に選ばなかった事が組織の弱体化を招き、最終的に勢力を滅亡へと追いやっていた事を伝えていた。(ちなみに、袁紹と劉表の死後に両勢力を滅ぼしたのは他ならぬ曹操自身である

賈詡からの無言のアピールによって曹操は長男を後継者にすることに決め、217年に曹丕が正式な後継者として指名された。(泥酔した曹植が帝専用の通路を通って曹操を激怒させる事件もあり、それも少なからず影響を及ぼす事になった

曹操死後の曹丕と曹植

※文帝 曹丕 魏初代皇帝

220年に曹操がこの世を去り、後を継いだ曹丕魏の初代皇帝となる。

後継者争いに敗れた曹植は、これまでとは一転して厳しい扱いを受けるようになり、丁儀(ちょうぎ)ら彼の優秀な取り巻きが次々と処刑されている。

曹植が処刑される事はなかったが、僻地を転々とさせられ、冷遇は曹丕の死後も変わる事がなく、曹植は憂悶のまま41歳の若さで生涯を終えている。

後半生を見ると決して幸せな生涯だったとは言い難いが、曹植の詩は人々から愛され、不世出の天才詩人として現代まで語り継がれている。

なお、演義で曹植は七歩歩く間に詩を作り周囲を感動させているが、これはフィクションである。
それでも、後世に「七歩の才」という言葉を残しているのは彼の功績である。

一方、魏を建国した曹丕だが、彼の天下も長くは続かず、建国から7年経った227年に40歳で崩御している。

曹操から引き継いだ充実した国力と人材で、曹丕の存命時は(呉を三度攻めて三回とも敗れる失態はあったが)魏の国内で大きな混乱もなく、これだけ見れば曹操の期待に応えたといえる。

しかし、厳しい世継ぎ争いにより、曹植や曹彰など身内である宗家を警戒し遠ざけた事によって一族の力が弱まり、それが後年の司馬懿仲達(しばいちゅうたつ)による事実上の乗っ取りを許す結果に繋がったため、長期的に見れば曹丕の即位は「終わりの始まり」でもあった。

 

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