実現目前だった周瑜の夢
周瑜(しゅうゆ)には、赤壁の戦いで勝利した勢いのまま蜀を手に入れて、魏との二強になる「天下二分の計」という計画があった。
劉璋が統治していた蜀はいつ滅亡してもおかしくない状況だった。劉備に奪われるほど組織として脆弱で、周瑜が蜀を攻めても同じ結果になっていた可能性が高い、正に歴史を変える一大プロジェクトだった。
天下二分の計は周瑜の死によって頓挫してしまう訳だが、周瑜が蜀を手に入れたら歴史は変わったのだろうか?
今回は、周瑜が蜀を手に入れて天下二分の計が実現した世界線と、呉が魏に勝つためのルートを考察する。
周瑜の天下二分計とは
赤壁での大戦に勝利した周瑜は難なく江陵を奪取すると、劉備を荊南に封じつつ、自ら西進して劉璋を下す。
さらに漢中の張魯を併合し、西涼の馬騰と同盟して大局的に曹操を包囲する。
これぞ周瑜の天下二分計である。
考察ルール
1.周瑜を除いて、勢力図と武将の配置は『三國志14』の『天下二分計』に準拠する
天下二分の計は蜀を攻める前に計画が頓挫したため、呉が蜀を手に入れた後の勢力図は想像するしかない。
以前考察した
曹操が赤壁の戦いで命を落としたら誰が天下を取ったのか?
https://kusanomido.com/study/history/chinese/sangoku/67665/
というifに続き、今回も勢力の動きや領地、武将の所属は『三國志14』のifシナリオである『天下二分計』の勢力図を参考に考察するが、周瑜は例外というルールを設ける。
後で述べるが、周瑜は蜀の平定後は荊州に戻り、襄陽から魏を攻める計画を立てていた。(襄陽は魏の領地である)
このシナリオでは周瑜の初期配置は江陵で、曹仁が守る襄陽を攻める目前の状態になっているが、今回考えているルートはいずれも江陵から離れすぎているため、周瑜だけは江陵以外の都市に配置して出撃させる。
2.正史を参考に、周瑜が攻めたらどうなるか考察する
ほぼ互角の勢力となった魏と呉のどちらが勝つかも気になるところだが、今回の考察は周瑜が蜀を手に入れたらというifの世界線なので、主役を活躍させる意味も込めて、他の人物が行った、もしくは計画したルートを参考に、周瑜が攻めたらどうなるかというifを考察する。
3.周瑜が孫権に語ったプランは除外
正史で周瑜が孫権に語った天下二分の計の内容を簡単に纏めると
孫瑜とともに蜀を手に入れた後は馬超と協力関係を築き、蜀は孫瑜に任せる。
周瑜は荊州に戻り、襄陽から魏を攻める。(ゲームでは馬騰が君主だが、正史では事実上の人質として馬騰は曹操の元にいたため馬超がトップだった)
簡単な説明になってしまったが、孫権は天下二分の計に賛同しており、蜀を手に入れるところまでは実現の可能性は高かった。
周瑜が準備を進めている最中に病死したため幻となってしまったが、正史の記述を見ると、周瑜が馬超と涼州の兵の力を高く評価していたのは間違いない。
今回の考察でも馬一族と共闘するルートは考えているが、ifとして周瑜が計画していないルートを考察するため、正史で周瑜が孫権に語ったルートはあえて除外とする。
ルート1.馬騰と組んで北伐
正史の周瑜が馬超との関係を重視していたので、まずは馬騰との北伐ルートを考察する。
第二勢力としての地位を磐石にした呉だが、魏の兵士236000人に対して呉の抱える兵士は154000人とやや差を着けられている。
一方、馬騰は43000人と一勢力としては心許ないが、呉と連合すれば197000人となり、魏と肉薄した戦力になる。
馬騰にこの誘いを断る理由はなく、周瑜率いる呉軍とともに曹操も苦戦した精鋭を引き連れて長安を攻めたら、更に曹操は厳しい戦いを強いられたはずだ。
現実とゲームは全くの別物であり、大都市を落とせただけで有利になる訳でもないが、蜀も馬超も出来なかった北伐を周瑜が果たした世界線は是非とも見たい。
ルート2.川を下って荊州を攻める
正史では蜀の蔣琬(しょうえん)が、川を下って魏(上庸)を攻める計画を立てていた。
残念ながら蔣琬の病気の悪化に加え、「川を下る=一方通行」であるが故に撤退が困難という作戦の穴を危惧した費禕(ひい)の反対によって頓挫したが、水上戦に慣れた周瑜率いる呉軍がこのルートで戦ったら歴史は変わっただろうか。
上庸から荊州主要都市の襄陽まで400キロもあるが、まずは上庸を拠点に足場を固め、周瑜は川から襄陽を攻め、江陵から出した軍と挟み撃ちをするように襄陽を攻め、正史で受けた矢傷のリベンジをしたい。(正史で周瑜は曹仁と戦い江陵を奪っているが、戦闘中に矢を受けて負傷している。演義では毒矢という追加設定が作られ、演義に於ける死の遠因になっている)
蔣琬のプランに倣って上庸を落とし、その勢いで荊州を手に入れるルートは現実味があるプランだが、蜀には実際に荊州から魏を攻めた人物が一人だけいる。
そう、関羽だ。
関羽が独力で樊城を落城寸前まで追い詰めたのだから、周瑜が同等の戦力を率いていれば拠点の確保及び荊州の制圧は可能だったと想像する。(関羽と呉の関係が良好で、連携を取って共闘していれば更に歴史は変わった可能性を考えると、関羽も呉も余計な事をしたと言いたくなるが、それは後出しである)
曹操が遷都を考えるほどの恐怖を与えたルートを周瑜が攻めたらどうなるか、そして正史と演義で受けた矢傷のリベンジを果たせるか、一人のファンとして純粋に見たい世界線である。
ルート3.合肥攻め
最後に、魏と呉が何度も戦って決着が着かなかった合肥から攻めるルートを考察する。
これまで挙げた2つのルートは、実際に呉が攻めたり周瑜が計画したルートではない事もあってifとして考察して勝ち筋を探するのも面白かったが、合肥のルートはどうしても勝ち筋が浮かばなかった。
このシナリオの落とし穴として気付いたのだが、蜀を手に入れた事によって呉の戦力が強化されたのであって、魏が弱体化した訳ではない。
ターニングポイントの一つとして語られる赤壁の戦いでも、魏の主力となる武将は一人も戦死しておらず、以降も一強状態は変わらなかった。
また、益州や荊州から攻めるルートでは馬超との連携も出来たが、合肥は遠すぎるためそれも出来ない。
リアル三國無双をやってのけた張遼vs周瑜の戦いは非常に見たいが、万全の状態で待ち構える魏に対して、周瑜が長生きしても呉が完全に勝つのはほぼ不可能だろう。
上手く劉備を取り込んで関羽と張飛を借りて連合軍を組めば小説や漫画として熱い展開だが、正史になぞって考察するとゲームのように現実は甘くないという結論に至った。
ifはゲームのように甘くない
今回は呉と周瑜の立場で、天下二分の計が成功した後の世界線と進攻ルートを考察したが、魏と呉で天下を二分する勢力になってはいるものの、デフォルトの勢力図では劉備が背後から江陵を狙える位置にいるため曹操と組んで挟撃する事も可能であり、意外と穴が多い事が判明した。(劉備が孫権を裏切って周瑜を討ち取る世界線はそれはそれで見たいが、周瑜は関羽のように油断して本拠地をがら空きにする事はないだろう)
歴史を知っている事がある意味では柔軟な発想の邪魔になっている事は否定出来ないが、歴史の考察をするとゲームのようにはならないのが、難しい反面また面白いと思った。
そして、人材コレクターと呼ばれる曹操の集めた戦力と、魏の強さと底力を実感した。
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