三國志

曹仁の実像 「過小評価された曹操一族最強の名将」

魏の名将は徐庶の噛ませ犬?

ゲームのシステムを理解するまで苦労する『三國志』シリーズだが、どのシナリオも共通して難易度が低いのが曹操)だ。

ifシナリオなら別だが、官渡の戦い以降は、優秀な武将と広大な領地というアドバンテージを最大に活かした「数の暴力」で領土を広げ、初心者でも中国統一の夢を実現させてくれる。(難易度普通以下なら領土が一つしかない劉備でも武将の力で何とかなるが、高難易度にしたら苦戦は免れない

三国志屈指のエリート一族という事もあって曹操の親類も軒並み優秀だが、演義などの創作では敵役という事もあって作中では総じて「劉備軍の噛ませ犬」という印象が強い。

特に、単福こと徐庶に手玉に取られた曹仁は、自分のように演義(正確には『横山三国志』)から入った人間には劉備軍にやられるピエロという印象しかない。

演義の記述と印象だけで語るのはフェアではないので、正史では曹仁はどのように書かれているだろうか。

今回は、演義では語られない曹仁の実像に迫る。

官渡の戦いまでの大活躍

曹仁の実像

画像 : 曹仁 wiki c

曹操の同族である曹仁は、若い頃から武芸が得意で、弓術、馬術、狩猟を好んだ。

正確に曹操の元に加わった時期は書かれていないが、豪傑が蜂起した際に密かに手勢千人を集め、徐州を拠点に暴れ回ったという。

その後、曹操の配下となり、別部司馬・行厲鋒校尉の地位が与えられた。

それ以降も参戦した戦に於いて大きな手柄を立てたという記述が目立ち、曹操軍の中でもかなり優秀な武将だった事が分かる。

なお、天下分け目の戦いとなった官渡の戦いに於ける曹仁の活躍だが、当時袁紹に着いていた劉備が攻め落とした領地を奪還し、劉備自身も撃破する戦果を挙げている。

また、袁紹が韓猛を別動隊として使って裏から曹操軍を分断させようとしたが、曹仁が韓猛を撃ち破り、ピンチの芽を刈り取る活躍を見せている。

演義ではやられ役?

ここまでは三国志序盤に於ける曹仁の活躍を纏めたが、官渡の戦いまでの曹仁の活躍は文字通り非の打ち所がなく、曹操軍屈指の名将の名に相応しい。

次に、演義で描かれた曹仁の姿だが、呂布との戦いで活躍した記憶がない(カットしても問題ない)ほどに序盤は影が薄く、官渡の戦いでも劉備を撃退する活躍は見られない。

曹仁の実像

画像 : 徐庶

演義では単福(徐庶)加入後(『横山三国志』では20巻)にようやく主要人物として登場するが、曹仁に与えられた仕事は徐庶の噛ませ犬である。

新野に攻めて来た曹仁は、正しい攻め方をしなければ生きては出られない「八門金鎖の陣」を敷いて劉備軍と戦うが、弱点を見抜いた単福(徐庶)によってあっさりと打ち破られてしまう。

倍以上の戦力差をものともせず、完膚なきまでに叩きのめしてしまった徐庶の軍師としての手腕に読者は感服し、三国志が軍師の時代へと移る象徴の一つとして強く頭に刻まれる事になる。

軍師の重要性を語る上では外せない、蜀のファンの間でも特に人気の高いこのエピソードだが、残念ながら(やはりというか?)正史には描かれておらず、そもそも徐庶が劉備の元で戦闘を指揮した記述も存在しない。

フィクションの戦闘によって武将としての経歴に傷を付けられてしまった曹仁には気の毒という言葉しかないが、この後も罠として劉備が捨てた新野城に入って火計の餌食になるなど、演義で一番盛り上がる赤壁前後の戦いで曹仁はいいところなく敗れ続けている。

樊城の戦い

ここまで気持ち良く負け戦を続けると次はどんな負け方をするのかという変な興味が出て来るが、赤壁の戦いでは正史も演義も目立った記述はなく、曹操が撤退した後に荊州を任され、周瑜と南郡を巡って激しい争いを繰り広げている。

曹仁の実像

夭折した悲運の天才・周瑜

6000の兵で攻めて来た周瑜に対して配下の牛金に僅か300の兵で当たらせる(案の定牛金は包囲される)という自殺行為としか思えない采配もあったが、曹仁は自ら兵を牛金を救い出しており、曹操も高く評価したという。(正史の記述が正しければ曹仁はゲームでもやらない無謀な出撃を牛金にさせて、最終的には自らのミスを何とか挽回したという解釈しか出来ないが、曹仁の活躍によって敵軍を撤退させたのも事実のようである

一年以上の長期戦になった戦闘は周瑜の負傷など呉にも大きなダメージを与えたが、劉備が南郡4郡を降伏させて曹仁の外堀を埋めつつあった事から撤退を余儀なくされる。

撤退中も関羽によって退路を塞がれていたが、李通、満寵らが関羽を攻撃しつつ前進し、曹仁は何とか撤退に成功した。

戦闘の結果だけ述べれば最終的に曹仁は敗走しているが、南陽、襄陽、南郷の3郡は守りきり、荊州を完全に失う事だけは免れた。

211年、潼関の戦い馬超を破る勝利に貢献すると、仮節として樊城に駐屯し、荊州を守る事になる。(三国志に時折出て来る「仮節」は武将としてかなり高い権限を持っていた

218年、宛の侯音が反乱を起こす。

反乱自体は約2ヶ月で鎮圧されたが、反乱に乗じて関羽も攻めて来たため樊城を守る曹仁は勿論、魏全体が大きく動揺する。

当然ながら、関羽は侯音のようなモブではない。

関羽によって樊城が包囲されたとの報告を受けた曹操は于禁を援軍に送るが、長雨による河川の氾濫によって于禁と龐徳の軍は水没し、捕えられた于禁は降伏、一方の龐徳は降伏を拒否して斬られてしまう。

落城寸前の樊城だったが、曹仁は満寵の「山の水は引くのが速く、この状況は長くは続かない」という言葉と、曹操の援軍が間に合う事を信じて耐え続けた。

曹仁の願いは届き、援軍が間に合った事に加え、関羽が樊城攻めに集中しすぎていた隙を突いた呉に本拠地の江陵を奪われたため、包囲を解いて撤退せざるを得なくなった。

こうして、樊城と曹仁の最大の危機は脱した。

過小評価されている荊州の守護神

落城寸前だった樊城を守り抜いた事によって、曹仁の評価は不動のものとなる。

特に、曹操の親類として曹操自身を除けば一番の実績を残したといっても過言ではなく、曹夏侯一族最強の名将の称号も決して大袈裟ではない。

蜀贔屓の演義ではやや不遇な扱いを受けているが、さすがの羅貫中も、樊城を守り抜いた実績を改変する事だけは出来なかった。

演義の影響で過小評価されがちな曹仁だが、正史が伝える実像は演義のようなやられ役ではなく、曹操軍屈指の名将と呼ぶに相応しい存在だった。

『三國志14』のステータスでは

統率 90
武力 87
知力 58
政治 46
魅力 78

となっているが、正史の実績から考えると、知力は後期シナリオの張飛(63)より高くてもいいと思う。

 

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