春秋戦国

『始皇帝を生んだ女性』商人の妾→人質の妻→帝太后 ~波乱万丈の成り上がり劇

乱世を駆け抜けた一人の女性

古代中国の戦国時代(紀元前5世紀~紀元前221年)は、激動の時代であった。

周王朝の権威は地に落ち、秦・趙・燕・韓・魏・楚・斉の七雄が覇権を争う中で、各国は絶え間ない戦を繰り広げていた。

画像 : 紀元前260年の戦国七雄 wiki c Philg88

特に秦は「商鞅の変法」を経て強国へと成長し、中華統一への道を歩み始めていた。

一方で、北方の趙は名将・廉頗(れんぱ)や名宰相・藺相如(りんしょうじょ)を擁しながらも、長平の戦い(紀元前260年)で秦軍に大敗を喫し、衰退の兆しを見せていた。

そんな戦乱のさなかに、後に始皇帝を生むことになる趙姫(ちょうき)の人生は始まった。

趙姫の詳細な出自については史書に明記されていないが、彼女が趙国の出身であったことは確かである。

『史記』によれば、彼女は「呂不韋姬」とされており、商人の呂不韋(りょふい)と関係のあった女性であったことは間違いない。
ただし、「姬」という言葉は単に女性を指す場合もあり、必ずしも「妾」という意味とは限らない。

いずれにせよ、彼女が少なくとも一定の教養を持ち、極めて美しい女性だったことは確かであろう。

画像 : 呂不韋 public domain

この時代、商人として成功を収めた呂不韋は、趙の都・邯鄲(かんたん)で大きな影響力を持っていた。

秦の王族でありながら趙で人質となっていた嬴異人(えいいじん : のちの荘襄王)は、秦国内での立場が低く、趙においてもぞんざいに扱われ、車馬の使用にすら困ることもあった。

そんな異人であったが、呂不韋は彼を「奇貨可居」(価値ある商品として投資すべき存在)と見なし、莫大な資金を投じて支援した。
その後、異人は呂不韋を介して趙姫と出会い、夫人とした。

一説によれば、異人は趙姫を見て一目で気に入り、呂不韋に「譲ってほしい」と願い出たとも伝えられる。呂不韋は最初は怒ったものの、最終的には「政治的計略」として趙姫を献上したという。

また、後世に「趙姫は呂不韋の子をすでに身ごもっていたのではないか?」という噂が生まれた。
しかし、この説を裏付ける史料はなく、『史記』には

姬自匿有身 至大期時 生子政

意訳 : 姫は身ごもっていたが、そのことを隠し、大期(出産時期)になって政を生んだ

と書かれているものの、この文をどう解釈するかには諸説ある。

いずれにせよ、趙姫の人生はこの瞬間に大きく変わったのである。

商人の妾から王族へ 呂不韋が仕掛けた大博打

ちなみに呂不韋が異人に目をつけたのは、彼が単なる王族ではなく「秦の王になる可能性を秘めた人物」だったからである。

異人を王位に押し上げることで、自らも大出世しようと目論んだのだ。

呂不韋は異人の立場を強化するために、秦の王室内の権力構造に介入した。
異人を支持する後ろ盾として、異人の大叔母にあたる華陽夫人に接近したのである。

画像 : 華陽夫人に話をもちかける呂不韋 public domain

華陽夫人は楚の出身であり、当時秦の太子だった安国君から寵愛されていたが、子がいなかったため将来に不安を抱えていた。

呂不韋はこの状況を巧みに利用し、彼女に異人を養子として迎えさせ、将来の秦王に据えるよう働きかけたのである。

こうして、異人は秦王位継承の有力候補となり、趙姫もまた将来の秦王の妃としての地位を固めた。

だが、この時点ではまだ異人は趙国の人質であり、趙と秦の関係が悪化すれば、彼らの運命は風前の灯であった。

「太后」の座を手に入れた趙姫と、宮廷スキャンダル

その後、異人はなんとか秦に戻ることに成功する。

呂不韋の策略も順調に進み、紀元前250年に異人は秦王に即位し、荘襄王(そうじょうおう)となった。

そして、彼の正室であった趙姫も王后の座に就き、息子の嬴政(えいせい : 後の始皇帝)が太子に立てられた。

商人の妾 → 人質の妻 → 王の正室へと、趙姫の立場は劇的に変化したのである。

画像 : 趙姫 イメージ 草の実堂作成(AI)

しかし、荘襄王は即位からわずか3年後の紀元前247年に崩御し、数え年13歳の嬴政が秦王となった。

こうして趙姫は「太后」となり、幼い王を補佐する立場となったが、実権を握っていたのは呂不韋であった。
呂不韋は「仲父(ちゅうほ)」と称され、相邦となり、事実上の秦の最高権力者にまで上り詰めたのである。

この時期、趙姫と呂不韋の関係について、宮廷内外でさまざまな噂が飛び交った。
二人が密通していたという話は後世の創作の可能性もあるが、当時の宮廷では二人の関係は特別なものとする見方が強かった。

しかし、呂不韋はやがて趙姫との関係が危険であると察知する。
嬴政が成長するにつれ、その母である趙姫との結びつきが問題視される可能性が高まったためである。

そこで呂不韋は、自らの食客である嫪毐(ろうあい)という男を趙姫に引き合わせた。

呂不韋は彼の特異な体質(一物がすごい)を利用できると考え、宦官に変装させて宮廷に送り込んだのである。

画像 : 趙姬と嫪毐『東周列国志』 public domain

この策は見事に成功し、嫪毐は趙姫の寵愛を受けて宮廷で権勢を振るうようになった。

趙姫は彼のために莫大な財を費やし、さらには領地まで与えて「長信侯(ちょうしんこう)」に封じた。
さらに趙姫は、嫪毐との間に2人の子までもうけてしまったのだ。

この頃、秦は中華統一に向けて着々と歩みを進めていたが、宮廷内では別の形の権力闘争が渦巻いていた。

呂不韋の影響力がなおも強い中で、太后趙姫の宮廷スキャンダルは、後の大事件へと発展していくこととなる。

幽閉と波乱の最期

こうして権勢を振るい始めた嫪毐だったが、周囲からの評判はすこぶる悪かった。

紀元前238年、嬴政が22歳を迎え、自ら政務を執るようになると、宮廷内の権力構造も大きく変化し始めた。
呂不韋は次第に影響力を失い、趙姫もまた、嫪毐との関係が問題視されていた。

画像 : 始皇帝 public domain

そして同年、秦王に密告が入った。

「嫪毐は偽の宦官であり、太后と密通して子まで作り、さらに王位を簒奪しようと企んでいる」というものであった。

嬴政はこれを決して許さなかった。

追い詰められた嫪毐は反乱を試みたが、軍に鎮圧され、車裂きの刑に処された。
また、彼の一族や関係者も連座し、処刑された。

趙姫と嫪毐の間に生まれた二人の子も許されなかった。秦の法律では王族の血を引く者であっても反逆罪に関与した場合、厳罰を免れることはできなかったのだ。

趙姫自身は命を奪われることこそなかったものの、王室の権威を傷つけたとされ、雍城(ようじょう)に幽閉されることとなった。

嬴政にとって、実母である趙姫を幽閉することは心苦しかったであろう。幼少期から戦乱の中で共に生き抜いてきた間柄であり、その絆は強かったはずである。

しかし、彼女を宮廷に留めておけば、権力闘争の火種となる可能性があった。
さらに、嫪毐との関係で秦王室の名誉を傷つけた彼女を、正式な太后として扱い続けることは難しかったのである。

かつては秦王の正妃として栄華を極めた女傑であったが、晩年はその栄光とは程遠いものとなった。

しかし、そんな彼女の境遇を変えたのは、秦の臣下・茅焦(ぼうしょう)であった。

彼は嬴政に対し「天下統一を目指す王が、母を幽閉し続けているようでは臣下の心は離れてしまう」と進言したのである。
これを受けて嬴政は母を咸陽に迎え戻し、甘泉宮で過ごさせることを決めた。

だが、趙姫にとって、もはや宮廷はかつての輝きを取り戻せる場所ではなかった。
呂不韋は嫪毐事件の影響で失脚して洛陽に流され、その後自害していた。彼女が心の拠り所にできる者は、もはや誰もいなかったのである。

紀元前228年、趙姫は静かにこの世を去った。享年については53とも50とも言われるが、正確な記録は残されていない。

趙姫は戦国時代の乱世を生き抜き、秦王の正妃となり、ついには「太后」の座にまで上り詰めた。

彼女は政治的な道具として翻弄された悲劇の女性だったのか、それとも宮廷の陰謀を生き抜こうとしたしたたかな女傑だったのか、戦国の激流を生き抜いた趙姫の物語は今も語り継がれている。

参考 :『史記』呂不韋列伝、秦始皇本紀 他
文 / 草の実堂編集部

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草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
編集、校正、ライティングでは古代中国史専門。『史記』『戦国策』『正史三国志』『漢書』『資治通鑑』など古代中国の史料をもとに史実に沿った記事を執筆。

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