資治通鑑とは
『資治通鑑』(しじつがん)は、中国の歴史書の中でも特に重要かつ影響力のある書である。
この書は北宋時代に司馬光(しばこう)によって編纂され、戦国時代から五代十国時代までの約1362年間にわたる歴史を※編年体で記録している。※編年体とは起こった出来事を年代順、つまり時系列に並べて記述する方法。詳しくは後述。
その目的は、過去の歴史から政治的教訓を引き出し、後世の政治家や指導者が参考にできるようにすることであった。
『史記』『漢書』『正史三国志』などと並ぶほど極めて評価の高い歴史書でありながら、日本では完成後940年経った現在においても全訳が出版されていない。
その理由としては「あまりにも膨大すぎる文量」「引用された古典などの難解さ」「目を背けたくなるような陰惨な歴史も包み隠さず描写している」ことなどが挙げられるだろう。
つまり、『資治通鑑』を読み解けば、真の中国の歴史が見えてくるのだ。
今回は『資治通鑑』の成り立ちや特徴、そしてその影響について解説する。
司馬光とは
『資治通鑑』の編纂は、1065年に始まり1084年に完成した。
司馬光は北宋(960年-1127年)の政治家であり、歴史家としても高名である。
司馬光は1019年、河南省光山県に生まれた。彼の家族は名門の士族であり、彼自身も幼少の頃から優れた学識を示した。父親の司馬池も高名な官僚であり、家庭環境が司馬光の学問的成長に大きく影響を与えた。
幼い頃から読書好きで、特に歴史書に強い興味を持ち、膨大な量の書物を読み漁った。彼の記憶力と理解力は抜群で、成長するにつれて、歴史的事実を正確に把握する能力を身につけたという。
1038年、司馬光は19歳で科挙に合格し、官僚としてのキャリアをスタートさせている。彼の最初の役職は洛陽の地方官であり、そこでの優れた統治と学識が評価され、徐々に中央政界へと進出していった。
司馬光の政治哲学は、儒教の教えに基づいたものであり、特に礼制の遵守と徳治主義を重視していた。
彼は当時の政治的・社会的問題に対する解決策を過去の歴史に求め、その結果としてこの壮大な歴史書を編纂することを決意したのである。
編纂の背景
司馬光が『資治通鑑』の編纂に着手した背景には、宋王朝の政治的な安定と文化的な隆盛があった。
この時代、宋王朝は経済的にも文化的にも繁栄しており、多くの知識人や学者が集まっていた。
司馬光は多くの助力を得て、大量の史料を収集して整理した。『史記』『漢書』『後漢書』などの正史をはじめ、野史や稗史からも幅広く史料が採用された。
彼のチームには数多くの歴史家や学者が含まれており、その中には有名な学者である劉恕や劉攽、弟子の范祖禹もいた。
こうして司馬光らは、膨大な史料をもとに事実の正確性を確認しつつ、編年体の形式で歴史を記録していったのだ。
『資治通鑑』の特徴
『資治通鑑』は、その編纂の目的と形式、内容の深さにおいて、いくつかの独自の特徴を持っている。
編年体の歴史書 (紀伝体との違い)
『資治通鑑』は「編年体」で書かれており、出来事を年代順に記述している。
これは、同じ時期に起きた異なる出来事が相互に関連していることを理解しやすくするためである。編年体で書かれた歴史書の代表的なものは、『春秋』(孔子が編集したといわれる魯の国の年代記)が挙げられる。
もう一つ代表的な記述方法としては「紀伝体」がある。紀伝体は歴史的な出来事を、本紀(王や皇帝の記録)、世家(列国史)、列伝(個人の伝記)に分けて記述していく方法である。『史記』をはじめ、『漢書』以降の中国の正史は、ほとんどが紀伝体で書かれている。
政治的・道徳的教訓の重視
司馬光は政治的な判断や道徳的な教訓を重視し、歴史の出来事を通じて教訓を引き出している。これは、歴史を通じて現代の統治者が正しい判断を下すための参考とするという意図が込められている。
例えば、天子の職務として礼制の遵守を強調し、各人が異なる分(分際、身分、本分)を守ることの重要性を説いている。
広範な史料の使用
『資治通鑑』は非常に多くの史料をもとに編纂されており、その情報量は極めて豊富である。
司馬光はできるだけ正確な情報を提供するために、複数の史料を比較し、整合性を取る努力をした。このため、『資治通鑑』は信頼性が高く、後世の歴史研究においても重要な参考資料となっている。
文学的要素の排除
『資治通鑑』は純粋に歴史的事実を記録することを目的としており、文学的要素は含まれていない。
この点においても、他の歴史書とは一線を画している。事実の記録に徹することで、読者に対して客観的な歴史認識を提供することを目指した。
『資治通鑑』の影響と評価
『資治通鑑』は、その後の中国の歴史学や政治学に大きな影響を与えた。特に、東アジア全体において、政治家や指導者にとって重要な教訓を含む文献として重視されている。
中国国内では、『資治通鑑』は歴史教育や政治の参考書として広く用いられてきた。歴代の皇帝や官僚たちは、この書を通じて過去の教訓を学び、自らの統治に生かしてきた。
例えば、清朝の乾隆帝は、『資治通鑑』を非常に重視し、自らの統治の指針として用いたことが知られている。
また、毛沢東も愛読していたという。
歴史は繰り返すと言われるが、『資治通鑑』を読むことで歴史の教訓を学び、現代の政治や社会に生かすことの重要性を改めて認識することができるはずだ。
また、日本において人気のある秦の始皇帝や項羽と劉邦、三国志の時代なども『資治通鑑』では違った切り口で描かれているので、機会のある際にここでも紹介していきたい。
参考 : 『徳田本電子版 全訳資治通鑑』
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