和歌山県最古の寺院である道成寺には、ある男女の愛憎にまみれた物語が語り継がれている。
その物語こそが歌舞伎や浄瑠璃など数多の作品のモチーフとなっている「安珍と清姫伝説」だ。
若き僧侶の安珍(あんちん)と、安珍に一目惚れした清姫(きよひめ)の悲恋物語は道成寺に古くから伝わる仏法説話だが、ストーカー殺人など現代でも起こる男女問題に通じる話である。
今回は、いつの世も無くなることのない男女の業をおどろおどろしく描いた、安珍と清姫の伝説について解説していこう。
物語のあらすじ
醍醐天皇の御代、奥州白河に安珍という名の若く非常に美形な僧侶がいた。ある日、熊野詣に赴いた安珍は、旅の途中で紀伊国牟婁郡真砂の庄司の家で宿を借りる。
庄司には清姫という娘がおり、美しい安珍に一目惚れした清姫は、安珍に夜這いをかけて結婚を迫った。
安珍は妻帯を禁忌とする修行僧であることから、清姫の想いに応えることはできない。しかし清姫の情熱を拒めず、熊野からの帰りに必ずまた立ち寄ると約束して庄司の家を後にした。
安珍は旅路の末に熊野大社に無事たどり着いたが、熊野の僧侶に心に迷いがあることを見抜かれ、目を覚ますように諭される。修行中であった安珍は僧侶の説教によって心を改め、清姫を避けるために帰りは違う道を帰ることにした。
清姫は安珍を信じて待ったが、約束の日が訪れても安珍が清姫の元を訪れることはなかった。
通りすがりの旅人に安珍の行方を聞き、安珍が自分を裏切ったことに気付いた清姫は、安珍の意図が分からず混乱しながら安珍の姿を追った。
街道を行き交う旅人の視線を気にすることもなく、清姫は長い黒髪を振り乱し草履を脱ぎ棄てて安珍を追い求める。やっとのことで安珍に追いついたが人違いだとごまかされ、清姫の怒りは頂点に達した。
怒り狂う清姫に恐れおののく安珍は、神仏に助けを乞う。安珍の祈りにより清姫は目をくらまされ、さらに激昂した。
やがて日高川を船に乗って渡る安珍を見つけた清姫は自分も船に乗ろうとするが、安珍に金子を掴まされた船頭に乗船を断られる。それでもあきらめずに日高川に飛び込んだ清姫は大蛇へと姿を変え、川を泳ぎ安珍を追い続けた。
安珍は日高の道成寺に逃げ込み助けを求め、床に下した梵鐘の中に隠れた。蛇体となり安珍を追い詰めた清姫は梵鐘に巻き付いて、口から吐き出す炎で鐘ごと安珍を焼き続けた。
安珍は鐘の中で黒焦げの見るも無残な姿となり、化け物に成り果てて愛する男を殺した清姫は、絶望して富田川に身を沈め自ら命を絶ったのだ。
安珍・清姫の伝説の教え
この物語は、死後に蛇に転生した2人が道成寺の住持の供養により成仏し、住持に実は自分たちは神仏の化身だったことを伝えるという、いわゆる法華経のありがたさを伝える説法なのだが、それまでの話のインパクトが強すぎる。
女性との恋愛を禁じられた修行僧と、その修行僧に恋焦がれて蛇になり果てた女性の悲恋物語というスキャンダラスな内容から、伝説の本編や後日談が歌舞伎や浄瑠璃、能楽や絵画などの題材として好まれ「道成寺物」というジャンルが生まれた。
この物語は、男性視点と女性視点では印象が異なる。
男性から見れば、男の立場も考えず一方的に想いを寄せてきた挙句に男を焼き殺す女など、かなり身勝手な人物に思えるだろう。
しかし女性視点から見れば、果たせもしない約束をした挙句に何も言わずに姿をくらませようとする男の方を身勝手に感じるはずだ。
客観的に見れば安珍と清姫の両方ともが身勝手なのだが、自分の身に置き換えてみれば印象がガラリと変わってしまうのがこの物語の面白いところだ。
安珍と清姫の行動から男女が根本的に分かり合えない理由が読み取れるし、うら若き乙女であった清姫が恐ろしい蛇になり、美しい安珍は真っ黒こげの炭のような姿で死んでしまうことから、若さや美しさの無常を読み取ることもできる。
この物語は男女の業を誇張して描いた、優柔不断な男性の罪深さと女性の執念深さ、そして恋に落ちた女性を欺くことの恐ろしさを教えてくれる話なのだ。
物語の舞台・道成寺
安珍・清姫の伝説の舞台となった道成寺は、現在も和歌山県日高郡日高川町鐘巻に現存している。
広々とした境内には本堂を始め仁王門や三重塔、縁起堂など多数の貴重な建築が建ち並んでいる。
三重塔の前には安珍と安珍が隠れた梵鐘が埋められたと伝わる安珍塚があり、縁起堂では安珍清姫伝説の「絵とき説法」を聞くことができる。
安珍が隠れたのは道成寺の初代の鐘で、二代目の鐘は1585年の羽柴秀吉(豊臣秀吉)による紀州征伐によって奪われ、後に京都の妙満寺に奉納された。以来道成寺に鐘は存在していない。
しかし現存しない道成寺の鐘は、日本でも随一の知名度を誇る鐘といっても過言ではないだろう。
人の情念の恐ろしさ
安珍を恋い慕うあまり、蛇の化け物となり安珍を殺してしまった清姫だが、こういった事件はおとぎ話の中だけで起こるわけではなく、現代でも安珍清姫の伝説に似通った事件が現実で起きている。
近年よく問題となっているホストと女性客にまつわる事件は、その典型と言ってもいいだろう。
自分は恋に溺れたりしないと考えている女性でも、現代の清姫になってしまう可能性は十分にある。もちろん男女の立場が逆転しうることもある。なぜなら人は恋に落ちた時、自分や周りを見失ってしまうものだからだ。
安珍のようになりたくなかったら、他人の好意を軽んじてはいけない。安珍と清姫の伝説は、恋という感情を抱く人間ならではの業を、私たちに教えてくれているのだ。
参考 :
福井栄一『蛇と女と鐘 (福井栄一の十二支)』
片山清司 著、白石皓大 イラスト『道成寺―大蛇になった乙女』
道成寺公式HP
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