平安時代

平家が壇ノ浦で滅びたというのは本当なのか調べてみた

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・「先祖は平家」という人達がいるけれど…

みなさんの周りに「自分は平家の子孫」と言う人はいないだろうか。

「平家は壇ノ浦で滅びたはずなのに、どうして子孫がいるの?」

と疑問を持ちつつも、なかなか当人には聞きづらいものがあるので、調べてみた。

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・そもそも「平家」って?

平家物語巻一『祇園精舎』には、「祇園精舎の鐘の声〜」に続く部分に、清盛の祖先にあたる人たち(桓武平氏)の系譜が述べられている。

「清盛の先祖を尋ねてみると、桓武天皇第五の皇子である葛原親王の九代目の子孫である平正盛の孫であり、また平忠盛の長男である。葛原親王の子である高視王は無官無位で亡くなった。高視王の子である、高望王の時、はじめて「平」という名字を朝廷からいただいて、上総の国の次官になりなさった時から、すぐに皇族の身分から脱して臣下の列に連なった」

この高望王の子孫である人たちが、いわゆる「平氏(武家平氏・地下平氏)」で、伊勢平氏、常陸平氏、房総平氏、秩父平氏、相模平氏などが存在した。

彼らは武士化して、各地で生きていくこととなるが、この中の「伊勢平氏」から出てきたのが、平清盛である。

清盛の一族は武士でありながら貴族化していった。朝廷内で勢力をのばし、藤原摂関家に代わる「家」として、政権の中枢に食い込んで「平家」となったと理解するとわかりやすいだろう。「平家」は京で、それ以外の「平氏」は各地で土着の武士として生きていたというイメージだ。

土着の武士として生きた「平氏」は、いわゆる源平合戦の際に頼朝側についた者も多い。北条氏がその代表である。

彼らとはべつに、「堂上(どうしょう)平氏」と呼ばれる一族も存在していた。高視王の兄弟の、高棟王の子孫にあたる人たちで、公家として生きている。

実は清盛の妻の時子や「平家にあらずんば人にあらず(此一門にあらざらむ人は皆人非人なるべし」と発言したとされる時忠は、こちらの家の出身である。

 

 

1.清盛の一族=政権を担った嫡流。彼らが本来の「平家」。もとは伊勢平氏。

2.堂上平氏=清盛の一族の近くで政権に関わった人達は「平家」と言ってよい。

3.地方の平氏=関東地方などで、土着の武士として生きていた人たち。

 

簡単にまとめると12のカテゴリーに入る人たちが、平安時代末期における「平家」であったといえるだろう。

 

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・壇ノ浦合戦で起こったこと

俗に平家が滅びたといわれる「壇ノ浦の合戦」だが、この戦いはいったいどのようなものだったのだろうか。

以仁王によって平家打倒の令旨が発せられ、全国の源氏が立ち上がる。

真っ先に都へ上洛した木曽義仲に追われるように、三種の神器と幼帝安徳天皇を伴って、平家は西国へと逃れる。いわゆる都落ちだ。

屋島を拠点に、なんとか勢力を盛り返していく平家だったが、一の谷合戦に敗北。さらに本拠地であった屋島での戦いにも敗れ、とうとう現在の下関の方まで追いつめられてしまう。この地での戦いが「壇ノ浦の合戦」である。

この「壇ノ浦の合戦」に臨んだのが源義経

義経は後白河法皇から「三種の神器を取り戻すこと」を命じられていた。三種の神器は帝の象徴である。

この頃、すでに京都では安徳天皇とは別に、後鳥羽天皇が即位していたが、帝の象徴である三種の神器はいまだに平家の手中にあった。三種の神器と安徳天皇がある限り、「平家政権」は崖っぷちで踏みとどまっているということになる。その意味で「壇ノ浦の合戦」は、「平家政権を名実ともに完全終了させること」が目的であったととらえられるだろう。

 

合戦の結果、幼帝安徳は二位の尼とともに海中に没し、三種の神器のうち剣は失われてしまう。神璽と鏡は、京都の政権のもとに取り返される。

この時、平家は自分たちが政権を担う家としての正当性の根拠となる帝と三種の神器を失った。これがすなわち「平家滅亡」ということになる。

 

この戦いで平家の人たちの多くが海中に没したが、生け捕りとなって後に死罪や流罪となった人たちもいた。全員が下関の海で亡くなったわけではなかったのである。

「壇ノ浦で平家滅亡」というのは、あくまでも「平家政権が完全終了した」という意味だったのである。

 

たとえば、安徳天皇の母で清盛の娘であった建礼門院徳子は、出家して京都大原の寂光院で尼としてその後の人生を送る。

平時忠は、能登国(石川県輪島)へと流罪になり子孫も残した。「平家にあらずんば人にあらず」発言した当人が、壇ノ浦合戦後も生きていたということになる。

 

平頼盛は清盛の弟にあたる人物だが、都落ちを逃れ、頼朝のもとで保護される。頼盛自身は1185年に亡くなったが、一族はその後も存続している。

 

現在「自分は平家の子孫」という人たちは、先にカテゴライズした12のうち「壇ノ浦合戦を越えて生き残った者の子孫である」と結論づけられそうだが、実はまだ微妙に面倒な問題が残っているのである。

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