「庭の木が生い茂るのは家運繁盛の兆し」、「ハチや鳥が庭木に巣をかけるのは縁起が良い」といった言い伝えを耳にしたことはないでしょうか。
庭木の生長や枯死は家の盛衰と関連付けられることが多く、各地にさまざまな伝承が存在します。
今回は『魔除けの民俗学』をもとに、日本各地に伝わる庭木の吉凶について解説します。
縁起の良い木の代表「南天」
縁起の良い木の代表は、南天です。
「南天」は語呂合わせで「難転」。難を転じる縁起が良い植物とされました。
また「赤」は、魔除けなどの呪力を発揮すると考えられていたため、冬につける鮮やかな赤い実が、災いを避け、福を招いてくれると信じられてきました。
南天には
・「家が栄える(秋田・山形・愛知)」
・「火事にあわない(福島)」
・「中風にかからない(徳島)」
など全国的に吉木のイメージが強く、石川・和歌山・島根県では「悪い夢をみたときは、南天にその内容を話すとよい」といわれています。
「難転」の力を借りて、悪夢を流してしまうという俗信です。
方位と吉木。鬼門には槐(えんじゅ)がおすすめ
鬼が出入りする鬼門には、南天の他に、魔を祓い、災いを除けるといわれる槐(えんじゅ)も多く見られます。
中国で、槐は「神聖で福徳を呼ぶ木」であり、日本でも吉木となったようです。
槐(えんじゅ)は「延寿」とかけて、縁起が良いと考えられており、槐を植えると
・「家運がよくなる(秋田・新潟)」
・「雷除けになる(秋田・福島・新潟・長野)
・「伝染病に罹らない(岩手)」
など、家運から病まで、その効用は広範囲にわたり、新潟では「南ナンテン北エンジュ」といわれています。
槐以外にも「鬼門には梨を植えるとよい(秋田・新潟・長野・愛知)」と梨を奨励する地域もあります。これは「梨」と「無し」をかけて、災厄を「無し」にする意味だと考えられます。
また節分でおなじみの柊(ヒイラギ)は、とげ状の鋸歯が邪気を払うとされ、鬼門に限らず生け垣や玄関先に植えられる縁起木です。
とげつながりですと、枝や幹にとげをもつサイカチも災厄を祓うといわれています。
一方、縁起の良い方位である乾(いぬい)に植えるのは、榎(えのき)です。
香川県丸亀市では、「戌亥の隅に植えてある榎には、神様が宿っているから伐ってはならない」という言い伝えがあります。
これは、榎には宿り木が多くみられることと、木の股に空洞ができやすく、そこに神霊が宿ると考えられていたためです。榎は神様の依り代であり、信仰と深く結びついていました。
その他、建築儀礼で火伏の呪いに用いられる水木(みずき)は、根から水を吸い上げる力が強く、春に多量の水を含む性質から、「屋敷に水木を植えておくと延焼を防げる(山形)」という言い伝えがあります。
庭に植えてはいけない植物
庭木の吉凶に関する伝承では、吉木よりも凶兆として植えるのを避ける植物の方が多くなっています。
寺や神社、あるいは墓場といった特定の場所でよく見かける植物は、位負けや不吉を連想させるため忌まれてきました。
特に銀杏(いちょう)は、寺や神社に植える木だからという理由で、ほぼ全国的に庭木には禁忌とされています。
同じ理由で、墓地に咲くヒガンバナは、俗に死人花といわれ、不吉であるため人家には植えませんでした。
また、死を連想させるため避けられたのが、枇杷(びわ)です。
枇杷を植えてはいけないという伝承は多く、植えると
・「病人が絶えない(関東以西)」
・「病人のうめき声を聞いて太る(福岡・佐賀・長崎・熊本)」
・「植えた人が死ぬ(愛知)」
・「主人が死ぬ(福岡)」
・「枇杷は早く大きくなって、棺になりたがる(福岡県八女郡)」
など、いずれも病気や死など、不吉な事象が多いのが特徴です。
その理由として、枇杷の葉は葬式の時に飾りとして使うことが多く、枇杷から葬式、葬式から死が連想されるためと考えられています。
また、ザクロを禁忌とする地域は、東北から九州まで広範囲にわたっています。
これは鬼子母神の伝説にもとづいており、鬼子母神が喰らう子どもの代わりに人の味がするというザクロを供えることや、ザクロを手に持っていること、神紋がザクロであることなどが理由のようです。
庭の木が屋根より高くなるのは凶兆
庭木が屋根より高くなると、
・「家が衰える(秋田・福井・佐賀・熊本・鹿児島)」
・「家がつぶれる(秋田・滋賀)」
・「病人が出る(岩手・秋田・群馬・石川・岐阜)
・「家の者が死ぬ(長野・岐阜・広島)」
・「不幸が起きる(新潟・和歌山)」
などといわれ、全国的に凶兆とされています。
対象となる樹木はさまざまですが、屋根を超えることが忌み事となっています。
屋根は他界と接する境界的な空間であり、民俗学者の常光徹氏は、
「庭木がその屋根よりも高くなるのは家の制御の利かない空間との接触を意味し、邪悪なモノが木に取り付くのではないかとの不安があったのかも知れない。」(『魔除けの民俗学』)
と指摘しています。
おわりに
植物の吉凶は、語呂合わせや植物の色や形、性質などから考えられたものでした。地域や家、人によって判断が異なるため、同じ植物でも、その土地土地で解釈が異なり、吉凶が分かれる実態もよく見られます。
たとえば梨は、語呂合わせで「無し」と考え、「財産が無くなる」と禁忌にする地域もあれば、「災厄を無しにする」と吉木とするところもあります。
庭に植える樹木の禁忌について、大藤時彦氏は、
「樹木を単なる植物として考えないで精霊を宿す人格的な存在と見ていることである。つまりこれを植えた者と対立して、何らかの精神的交渉を生ぜしめる存在たることである。」(『山村生活の研究「禁忌植物」』)
と述べています。
庭木の吉凶には、植物とともに生きてきた人々の思いが反映されているのかもしれません。
参考文
常光徹『魔除けの民俗学』.KADOKAWA
柳田国男 編 『山村生活の研究』.民間伝承の会, 昭12.国立国会図書館
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