安土桃山時代

痔に泣いた戦国武将たち 「加藤清正や穴山梅雪も苦しんだ激痛の記録」

画像 : 加藤清正 public domain

痔は「二足歩行をする人間ならではの病」だという。

生活が便利になり、座って過ごす時間が増えた現代では、成人の約3人に1人が痔を抱えるともされ、軽症例まで含めれば成人の2〜5割が経験するありふれた病気とされている。

もっとも、痔に悩まされてきたのは現代人だけではない。
市販薬や効果的な治療法が乏しかった時代、痔は耐えがたい不快感や痛み、出血をもたらし、日常生活を著しく損なう病だった。

戦場では勇猛果敢に戦い、歴史に名を残した戦国武将の中にも、痔の症状に苦しめられた人物がいたという。

特に地位の高い人物ほど、馬に跨って移動することが多かったために、その苦しみは相当なものだったと考えられる。

今回は、人間の宿命ともいえる痔を患いながら、痛みに耐えて戦国の世を生き抜いた武将について、詳しく掘り下げていきたい。

長時間トイレに籠った加藤清正

画像:加藤清正の虎退治(月岡芳年画) public domain

加藤清正は、豊臣秀吉の子飼いとして賤ヶ岳の七本槍の一人に数えられ、のちに肥後国熊本藩初代藩主として治水や土木事業で大きな功績を残し、地元熊本では「清正公(せいしょこ)さん」として神格化された名将である。

その一方で、慢性的な痔に悩まされていたという逸話も伝わる。
朝鮮の役で虎をも退治したとされる勇将ながら、痔に苦しめられ、ひとたび用を足しに入ると長いときには一時間近くも出てこなかったという。

清正は不浄を嫌って一尺ほどもある下駄を履きながらトイレにこもり、個室の中から下駄を鳴らして小姓や家臣を呼び出し、用事を言いつけることも少なくなかったと伝えられている。
この高下駄姿でしゃがむ姿勢も、痔を悪化させる一因になったと考えられる。

ある時、清正が便所にこもったまま家臣を呼び出し、その家臣が熊本城に到着したときにも、まだ中から出てこなかったという逸話もある。

痛みのために長時間便所にとどまれば肛門への負担は増し、結果として症状をさらに悪化させる。

清正も知らぬ間に、その悪循環に陥っていたのかもしれない。

悪化した痔が死因となった榊原康勝

画像:『大坂落城大戦圖』、木村重成、後藤基次ほか public domain

榊原康勝は、徳川四天王および徳川十六神将の一人として名高い榊原康政の三男で、父の没後に上野館林藩を継いだ武将である。

前述の加藤清正の娘を正室に迎えており、清正の娘婿にもあたる。

康勝は館林藩二代藩主として、家督を継いだ時点で既にひっ迫していた藩財政の再建に努めた。
大坂の陣では徳川方として冬の陣・夏の陣の両方に参戦し、果敢な戦いぶりを見せたが、夏の陣直後の1615年5月27日、持病の悪化により26歳で急逝した。

この持病が痔であったと考えられている。

詳細な症状の記録は残っていないものの、『難波戦記』などによれば、死の約半年前に参陣した大坂冬の陣の最中、長年患っていた痔による腫れ物が破れてしまい、大量に出血したという。

それでも康勝は戦列を離れず、冬の陣では佐竹義宣隊を救う働きを見せ、翌年の夏の陣では若江の戦いで豊臣方の木村重成隊と交戦。
翌日の天王寺・岡山の戦いでも、激戦地となった天王寺口で二番手大将として奮戦した。

夏の陣の頃には痔がさらに悪化し、鞍にまたがると血が溜まるほどだったとされるが、それでも戦い続けたという。

徳川方が勝利した後、康勝は大坂から京都へ引き上げたが、病状は回復せず、無念にも地元には帰れず京都の地で命を落としたのだという。

穴山梅雪

画像:穴山信君(梅雪)肖像、1583年(天正11年)作、静岡県静岡市・霊泉寺所蔵。 public domain

榊原康勝のように痔が直接の死因となったわけではないが、甲斐武田氏の御一門衆にして武田二十四将の一人、穴山梅雪(信君)も、痔が遠因となって命を落とした人物とされている。

梅雪は武田氏時代、三河徳川氏との最前線に位置する駿河・江尻城代という要職を担っていた。

しかし信玄の没後、家督を継いだ武田勝頼と対立し、徳川家康を通じて織田信長に内応。
結果的に、甲斐武田氏嫡流を滅亡に追いやる一端を担った人物として知られている。

勝頼の死後は家康の与力となり、安土城訪問後に堺を遊覧していたが、その最中に明智光秀の謀反(本能寺の変)で信長が横死したとの報を受け、家康とともに畿内からの脱出を図った。

もっとも、実際には家康とは別行動を取っており、落ち武者狩りや一揆勢に襲撃されて逃げ場を失い、自害あるいは討たれたと伝えられる。

一説には、梅雪は痔の激痛で馬にまたがれず、そのため逃げ遅れたという。

この説を裏付ける史料として、武田方の村松藤兵衛に宛てた「痔の薬」を求める書簡が残っている。

近日痔病再発、以之外相煩候、去々年再発之砌も、其方薬相当候キ、只今此飛脚に越可給候、并薬付候模様、養生之次第懇ニ注之可給候(略)

意訳 :
最近また痔の病が再発し、それ以外にも体調がすぐれず困っている。おととし再発した際にも、そなたの薬がよく効いたので、今すぐこの飛脚で送ってほしい。また、薬の使い方や養生法についても、詳しく書き添えてほしい。

『五月二十二日付穴山信君書状』『戦国遺文武田氏編〈第6巻〉』3852号

この書状が、本能寺の変直前の1582年5月に書かれたものであれば、梅雪は自らが離反した武田家の旧臣に対して、必死の思いで痔の薬を所望したことになる。

もし梅雪が、自らが裏切ったかつての仲間に薬を求めるほどの痛みを抱えていたのであれば、馬にまたがっての山越えなど到底無理だったことは想像に難くない。

痔を侮ってはいけない

画像:宇喜多直家の木像 public domain

痔はデリケートな部分の病であるため、心理的な負担で病院への足が遠のき、重症化するまで放置してしまう人も少なくない。

現代では痔が直接の死因となることは稀だが、宇喜多直家の死因とされる「尻はす」が、痔瘻に伴う悪性腫瘍であったとする説もある。
痔が感染症を引き起こしたり、癌化したりすれば、命に関わる危険性は十分にあるだろう。

人間が二足歩行を続ける限り、痔のリスクは常に身近にある。
昔の戦国武将から現代の私たちまで、多くの人々がこの病に悩まされ続けている。

もし自覚症状があるなら、早期の治療を心がけた方が良いだろう。

参考 :
酒井シヅ『戦国武将の死亡診断書
若林 利光 (著)『戦国武将の病(やまい)が歴史を動かした
日本博学倶楽部 (著) 『戦国武将の意外なウラ事情
文 / 北森詩乃 校正 / 草の実堂編集部

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北森詩乃

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