信長に関わる女性が、お市の方オンリーの演出

画像 : 織田信長 public domain
NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』では、織田信長(演:小栗旬)の身近な女性として、お市の方(演:宮崎あおい)がたびたび登場します。
冷酷無比なイメージが強い信長ですが、このドラマではふとした瞬間に優しさを見せたり、藤吉郎(演:池松壮亮)と小一郎(演:仲野太賀)の兄弟愛が丁寧に描かれたりと、「情」に重きを置いた人間味あふれる描写が魅力になっています。
多くの視聴者が思わず感情移入してしまうのも、うなずけるところでしょう。
信長とお市の方の関係も、兄妹の絆を軸にしつつ、どこか今後を予感させるような演出で、とても分かりやすく描かれています。
ドラマとして見れば、実にうまい見せ方だなあと感じます。

画像 : お市の方像(福井県福井市)public domain
ただ、歴史好きとしては、ちょっとだけ引っかかる部分もあるのです。
というのも、信長に関わる女性が、ほぼお市の方オンリー。
これだと、まるでお市の方が信長の正室、あるいは人生で一番大事な伴侶だったかのような印象を受けてしまいます。
しかし実際の信長には、正室の濃姫(帰蝶)をはじめ、複数の側室がいたことが知られています。
そして、その女性たちは単なる脇役ではなく、その後の織田家の行く末にも少なからず関わっていく存在でした。
お市の方を前面に押し出す理由はさまざまあるのでしょうが、「いやいや、信長の女性関係はそんなにシンプルじゃないんだけどなぁ」と、ついツッコミを入れたくなってしまう視聴者も多いのではないでしょうか。
桶狭間当時、信長にとって最も重要な女性は濃姫だった

画像:濃姫之像(清洲城模擬天守横)public domain
現在放送中の『豊臣兄弟!』(2026年1月末現在)で描かれている時代、つまり、物語の中心となっているのは、1560年(永禄3年)前後、あの「桶狭間の戦い」の頃です。
さて、この当時の織田信長には、いったいどれほどの女性の存在があったのでしょうか。
正妻や側室といった“夫人関係”を見ていきましょう。
正室といえば、もちろん斎藤道三の娘・濃姫(帰蝶・鷺山殿)です。
1549年(天文18年)に信長と婚約し、ほどなくして輿入れしています。
ただし、濃姫の没年については諸説あり、「桶狭間の戦いの頃にはすでに信長のもとを離れていた」「もう亡くなっていた」など、さまざまな見解が存在します。
しかし筆者は、そのどちらでもないと考えています。
というのも、1569年(永禄12年)7月27日条の『言継卿記』には、はっきりと「信長本妻」という記述が登場するからです。
この記録が事実であれば、この時点でも濃姫は生存していたことになります。
細かく語り出すとそれだけで紙幅が尽きてしまうので省きますが、少なくとも桶狭間の戦いの頃、彼女がすでにいなかったと考える必要はないでしょう。
つまり、濃姫は清洲城で暮らし、信長の正室として側にいた、そう考えるのが自然なのです。
一方、正室・濃姫に対抗し得る側室として知られているのが生駒氏(吉乃・久菴桂昌)です。
彼女は1557年(弘治3年)に嫡男・信忠、翌1558年(永禄元年)に次男・信雄、さらに1559年(永禄2年)には徳姫を出産しています。
この流れを見るだけでも、桶狭間の戦い当時、彼女が健在だったことは明らかですね。
ちなみに生駒氏は、1566年(永禄9年)に亡くなりますが、最期の頃には信長の希望で、実家の居城・小折城から小牧山城へ迎え入れようとされていました。
つまり、彼女は清洲城内に住んでいたわけではなかった、という点も押さえておきたいところです。

画像 : 織田信雄画像 public domain
側室としては、このほかに、1558年(永禄元年)に三男・信孝を産んだ坂氏がいます。
さらに、ほとんど知られていませんが、1554年(天文23年)、信長がまだ那古野城にいた頃、後の織田信正となる於勝丸を産んだ、塙直正(はなわ・なおまさ)の妹にあたる直子もいました。
ただし、この二人が清洲城で信長のそばに暮らしていた、という確かな証拠はありません。
むしろ、城内にはいなかった可能性のほうが高そうです。
というのも、直子については、濃姫の嫉妬があまりに激しく城内にいられなくなり、村井貞勝の手配で古渡城へ移されたという史料が残っているのです。
こうして見ていくと、桶狭間の戦いの頃の信長にとって、いちばん重要な女性はやはり正室・濃姫だったのでしょう。
ドラマのようにお市の方だけでは、決して語りきれない世界がそこにはあったのです。
なぜ、お市の方以外がほぼ省略されているのかを考察する

画像 : 豊臣秀吉と秀長 public domain
では、なぜ『豊臣兄弟!』では、ことさらにお市の方が強調されているのでしょうか。
考えられる理由のひとつは、このドラマの主役があくまで豊臣兄弟の弟・小一郎(のちの秀長)だからでしょう。
小一郎が生まれたのは1540年(天文9年)、亡くなったのは1591年(天正19年)の52歳…。
歴史の表舞台で本格的に活躍し始めるのは、兄・藤吉郎(秀吉)の家来となった1561年(永禄4年)、22歳の頃からでした。
一方、信長が命を落とす本能寺の変は1582年(天正10年)。
このとき小一郎は、43歳(藤吉郎は46歳)です。
つまり、豊臣兄弟が信長のもとを離れ、天下人へと駆け上がっていくのは、人生の後半戦ともいえる本能寺の変以降なんですね。
『豊臣兄弟!』がこの長い時代をどう配分して描いていくかはまだ分かりませんが、お市の方は信長の死後も豊臣兄弟と深く関わり続けます。
さらに、彼女の三人の娘たち(茶々=淀殿・初・江)も豊臣政権の中で重要な存在になっていく。
そう考えると、物語を分かりやすくするためにお市の方に役割を集約した、というのは十分あり得そうです。

画像 : 『伝淀殿画像』 public domain
とはいえ、大河ドラマを観ている人の多くは、やっぱり歴史好き。
史実を知っている側からすると、「いやいや、信長の周りにはもっといろんな女性がいたでしょ」と、感じてしまうのも正直なところではないでしょうか。
もちろんドラマとしての演出と承知したうえでの話であり、作品の面白さを否定するものではありません。
ただ、「実際の信長は、もっと複雑で多面的な人間関係を築いていたんだな」と知っておくだけでも、戦国時代の見え方はぐっと深まります。
ドラマを楽しみつつ、史実にも少し目を向けてみる、そんな楽しみ方もアリかもしれませんね。
※参考文献
横山住雄著 『斎藤道三と義龍・龍興』中世武士選書
文/高野晃彰 校正/草の実堂編集部






















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