大正&昭和

真の豪傑に酒など要らぬ!「アジアの巨人」頭山満が酔い続けた天下の大志

私事で恐縮ながら、日ごろ筆者はをほとんど呑みません。

別に嫌いでもないし、呑んで呑めないこともないのですが、カネはかかるし好きなバイクは運転出来なくなるし、何よりも、いざ有事に不覚をとるリスクを高めてまで呑みたいとは思わないのです。

(まったく、素面の時でさえ不覚をとってしまうと言うのに……)

そんな訳で、付き合いで呑み会など参加しても乾杯などはお気に入りのジンジャーエール(なければお茶)で済まし、

「とりあえずビールくらい付き合えよ」

と言われようが、大人なんだから、自分の口に入れるものくらい、自分で決めさせて欲しいもんだと馬耳東風。

「男なんだから、お酒くらい呑めないと恥ずかしいわよ?」「いや、誰が決めたんですかそれ。そもそもバイクで来てますし」

すると、つまらぬ連中が口々にのたまい始めます。

「お酒、呑めないの?」

「男のくせに」「軟弱」「空気を読め」「大人だろ」……などなど、何の根拠があるのか好き放題。

まったく、どいつもこいつも他人の飲み物なんぞに興味を持って、一体何が面白いのでしょうか。

まぉ、近ごろは少なくなった(※)ようですが、一昔前はこういうアルコール・ハラスメントが花盛りでした。
(※)と言うより、つまらない連中との付き合いを片っ端から断るようにしたので分かりませんが。

この「酒を呑む=大人+男≒カッコイイ」的なしょうもない価値観がいつから生まれたのかは知りません。

ただ、歴史をひもとけば酒など呑まなくても偉大な働きをしたカッコイイ大人の男たちはたくさんいます。

そこで今回は、酒を呑まなかった豪傑の一人で、後に日本国内外より「アジアの巨人」と恐れられた頭山満(とうやま みつる)のエピソードを紹介したいと思います。

幕末から昭和まで、激動の89年を駆け抜けた「アジアの巨人」

若き日の頭山満。Wikipediaより。

頭山満は幕末の安政2年(1855年)に福岡藩士の子として生まれ、腐敗した藩閥政府を正すべく第二の維新(士族反乱)に身を投じますが、武力による世直しに限界を感じると、言論を武器に換えた自由民権運動を主導。

板垣退助(いたがき たいすけ)や中江兆民(なかえ ちょうみん)らと言った志士と交流し、時に内閣総理大臣たる伊藤博文(いとう ひろぶみ)さえ震え上がらせるなど、近代日本の指針を大きく左右します。

その後は世界、特にアジアへ目を向け、欧米列強によって植民支配を受けていた各民族が連携・団結して独立を勝ち取るべきとする「大アジア主義」を提唱しました。

中華民国の孫文(そん ぶん)やインドのラス・ビハリ・ボースら各地の運動家を支援し、彼らが次々と独立を勝ち取ったことは、現代広く知られる通りです。

頭山らが世話した中には亡命中の蒋介石(しょう かいせき)もおり、後に日中戦争が勃発した際、昔のよしみで和睦の道を模索したものの、残念ながら成功には至りませんでした。

その晩年は大東亜戦争末期の昭和19年(1944年)、趣味の囲碁を楽しんでいた時に斃れ、89年の生涯に幕を下ろします。

「俺の一生は大風の吹いた後のようなもの。何も残らん」

日ごろからそう語っていた通り、現代ではその偉業を知る者もほとんどいませんが、頭山らが日本の近現代史に与えた影響は計り知れないものでした。

「飲んだ酒は醒めるが、わしの酔いは醒めることがない」

そんな頭山は大のお菓子好きとして知られ、仲間と会っても酒など呑まずに菓子ばかり食っているものだから、中には頭山が来ると家じゅうの菓子を隠した者もいたそうです。

およそ豪傑のイメージとは程遠く思われる振舞いですが、そんなつまらぬ事を気にするような頭山翁(〜おう。敬称)ではありません。

豪傑に酒は要らない。呑みたければ勝手だが。

「五合くらい放り込めぬこともないが、一向飲みたいとは思わんね」
酒を飲まんで豪傑が出来んくらいなら、豪傑をやめたがよいと考えて、わしは酒をやめたのじゃ」
「俺は酒を飲まんでもいつも愉快だ。ほかの者が酔うとるくらいは、わしは飲まんでも酔うとる。飲んだ酒は醒めるが、わしの酔いは醒めることがないよ」

……などなど。

呑んで呑めなくはないけれど、酒に酔って気が大きくならないとモノが言えない体たらくでは、豪傑の風上にもおけません。

そもそも酒なんか呑まなくて(頼らなくて)も、自分の大志にワクワクしているから、決して醒めることがなく、いつも愉快に暮らしている。それでこそ真の豪傑じゃないか……そんな頭山翁の心意気は、今なお痛快に響きます。

終わりに

酒などなくとも、豪傑は務まることを体現した頭山翁。Wikipediaより。

古来「夜は人を英雄にする」などと言いますが、それは暗闇が演出する底知れないムードと非日常感に、アルコールのもたらす酩酊効果が相まって大胆になるのでしょう。

しかしこの言葉には「朝は英雄を見極める」という続きがあって、夜は誰もが大胆であったのに、朝になったとたんに魔法が解けて(現実に戻って)しまうことを示しています。

酒の力で「英雄」になっていた者は素面に戻ってしまっても、義勇奉公の大志に酔っている者は決して醒めることがなく、また人生に飽きることもない……そんな頭山翁らの心意気を、私たちも見習いたいものです。

※参考文献:
小林よしのり『大東亜論 最終章 朝鮮半島動乱す!: ゴーマニズム宣言SPECIAL』小学館、2019年6月

角田晶生(つのだ あきお)

角田晶生(つのだ あきお)

投稿者の記事一覧

フリーライター。日本の歴史文化をメインに、時代の行間に血を通わせる文章を心がけております。(ほか政治経済・安全保障・人材育成など)※お仕事相談は tsunodaakio☆gmail.com ☆→@

このたび日本史専門サイトを立ち上げました。こちらもよろしくお願いします。
時代の隙間をのぞき込む日本史よみものサイト「歴史屋」https://rekishiya.com/

✅ 草の実堂の記事がデジタルボイスで聴けるようになりました!(随時更新中)

Audible で聴く
Youtube で聴く
Spotify で聴く
Amazon music で聴く

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事

  1. 江戸時代の築地・豊洲市場。 あらゆる食材が集まった日本橋魚河岸
  2. 『実践女子学園の創設者』 下田歌子 ~日本女子教育の礎を築いた生…
  3. 橋本佐内 ~26才で処刑された幕末の天才
  4. からゆきさん ~「海外に売春婦として売られ、陰で日本を支えた少女…
  5. 戦前の怖い社会の裏側を教えてくれる『社会裏面集』 〜インチキ広告…
  6. 「坂本龍馬を暗殺したとされる剣豪」~ 佐々木只三郎とは
  7. 安政の大獄について調べてみた【斉彬と西郷の別れ】
  8. 日清戦争について調べてみた【近代日本初となった対外戦争】

カテゴリー

新着記事

おすすめ記事

二・二六事件とはどのような事件だったのか? 【元総理暗殺事件】

1936年(昭和11年)2月26日未明、降り積もった雪を踏みしめながら、約1400名の陸軍の青年将校…

19歳で双子パンダを初出産した香港のパンダ 盈盈(インイン)※人間なら57歳相当

人気者のパンダパンダは世界中で人気者であり、日本でもその存在は常に注目の的である。…

レムリア文明について調べてみた

古代には、現代を生きる我々の想像をはるかに超える知識と技術を持つ文明があったと、一部の専門家…

食べて開運!福を呼び込む縁起物とは 「フォーチュンクッキーの起源は日本だった?」

お守りや達磨、七福神に招き猫。開運や家内安全、商売繁盛など、さまざまな福を招きよせてくれる縁起物は、…

武田信虎 ~暴君とされた信玄の実父の功績

巷説での不行跡の数々武田信虎(たけだのぶとら)は戦国期において最強の名を欲しいまにした甲…

アーカイブ

PAGE TOP