幕末明治

【娘と馬が夫婦になって父が激怒】東北地方に根ざした「オシラサマ信仰」とは

オシラサマとは

オシラサマは、日本の東北地方、特に青森県や岩手県に深く根付いていた民間信仰の一種です。

蚕の神、農業の神、馬の神など、地域や家によって様々な役割を担い、人々の暮らしに密着した神様として長らく信仰されてきました。

ご神体

画像 : Oshira-sama-replica wiki c うぃき野郎

オシラサマのご神体は、男女の顔や馬の顔を書いたり掘ったりした木の棒に、布きれで作った衣を何枚も着せた姿をしています。

地域ごとにその形態は様々で、桑の木以外にも、杉・竹・ヒノキから作られているものもあります。
また、包頭衣(ほうとうい=頭から布をすっぽりかぶっているもの)のものと、貫頭衣(かんとうい=首を出しているもの)のものがあります。

ご神体は家ごとに祀られ、普段は家の神棚や床の間などに祀られています。
オシラサマは男と女、馬と娘、馬と男など2体1対で祀られることが多いといわれています。

オシラサマの中には作られた時の年号が書かれているものがあり、最古のものは種市町で見つかった大永年間(1521-28)のものがあります。

少なくとも、今から約500年前にはオシラサマは信仰されていたと考えられています。

由来

画像 : 柳田國男 public domain

東北地方に古くから伝わるオシラサマのお話は、柳田國男(やなぎだくにお)の『遠野物語』(1910年)によって広く世に知られるようになりました。

オシラサマのお話は地域ごとに諸説ありますが、ここでは、『遠野物語』のお話をご紹介します。

・馬娘婚姻譚

昔、あるところに貧しい農家がいました。妻はおらず、美しい娘と一匹の馬がいました。

娘はこの馬を愛して夜になると馬屋で寝るようになり、ついには夫婦になってしまいました。
ある夜、娘の父親はこのことを知り、娘に知らせないまま馬を桑の木に吊り下げて殺してしまいました。娘は、これを聞いて嘆き悲しんで桑の木の下に行き、死んだ馬の首に縋り付いて泣きました。

すると父親はさらに怒り、馬の首をはねました。すかさず娘が馬の首に飛び乗ると、そのまま空へ昇り、オシラサマとなりました。

画像 : イメージ 草の実堂作成

『遠野物語』は、柳田國男が岩手県遠野地方に伝わる伝承などを記した説話集ですが、この話の起源となったのは、中国の『捜神記』(中国六朝時代、東晋の歴史家・干宝が編纂した怪異譚)や『神女伝』という説があります。

中国六朝時代は、西暦220年~西暦589年ですが、このお話が日本の東北地方まで伝わり、今日までのオシラサマ信仰につながっているとしたら、とても興味深いです。

『神女伝』とそっくりのお話を、林道春(羅山)が馬頭娘(ばとうろう)というお話でまとめていますので、簡単にご紹介します。

・馬頭娘

昔、蜀という国に、ご主人が遠くへ出征してしまった家がありました。
さみしさのあまり食事をとらなくなった娘を哀れに思った母は、「だれか主人を連れて帰ってくれたら、娘をやろう。」と言いました。

すると、それを聞いた馬は縄を断ち切って立ち去り、ついに父親のところにたどり着きました。父はその馬にまたがって無事に家に戻ります。
しかし、家に戻った馬が食事をとろうとしなくなったので、母は馬との約束を父に話して聞かせました。

すると父は怒り、「人に約束はしても馬には約束はできない。いくら功績があっても約束が守られるわけがない。」と言い、馬を弓で射殺し、皮を剥いで庭にさらしました。

しかし、風が吹くと馬の皮が舞い上がり、その皮は娘を包んでどこかへ飛んでいってしまったのです。

その10日後、皮はまた戻ってきて桑の木の上にとまりました。そして娘は蚕に変身し、桑の葉を食べて糸を吐きました。
この糸を使って織物をしたのが、絹のはじまりです。

ある時この娘は、その馬に乗って天に昇っていきました。

残された人々は、毎年この娘の姿をつくって馬の皮を着せて、馬頭娘と名付けました。

オシラサマの祭日

オシラサマの祭日は、多くの場合、旧暦の1月、3月、9月の16日に行われます。
この日は、家の神棚などからオシラサマを取り出し、お供えをして新しい衣を重ねて着せます。

これを「オセンダク」と呼びます。

この日には、その家の主婦がオシラサマの由来を伝える祭文(おしら祭文)を唱えたり、子供がオシラサマのご神体を背負って遊んだりします。

その後、オシラサマを両手でもみ、その年の吉凶を占いました。また、盲目の巫女であるイタコがこの儀式に参加することも多くありました。

このようにしてオシラサマを祭ることを「オシラアソバセ」と呼びます。

オシラサマの禁忌

すべてのオシラサマは、二足四足の動物の肉や卵を嫌うとされています。
これらを供えてしまうと、「大病を患ったり、祟りで顔が曲がったりする」と言い伝えられています。

また、祟りは必ずしも本人にだけ影響するとは限らず、家族や親類、縁者にまで及ぶことがあるとされています。

一度オシラサマを拝むと、それ以降も継続して拝まなければならず、拝むのをやめたり、祀り方が粗末であったりすると、家族に祟りがあるとも伝えられています。

関東のオシラサマ

全国的に見ると、秋田や山形の一部では、岩手とほぼ同様の性格を持つオシラサマが存在します。

また、群馬県をはじめとする関東地方にも「オシラサマ」と呼ばれる民間信仰が見られます。

しかし、関東地方のオシラサマは蚕の神様を描いた「掛け軸」であり、東北地方のオシラサマとは全く異なるものとされています。

現存するオシラサマを見学できる場所

オシラサマ信仰

画像 : 遠野伝承園 wiki c z tanuki

岩手県遠野市の観光施設「伝承園」の御蚕神堂(おしらどう)には、1,000体のオシラサマが展示されています。

100円で布に願い事を書いて、オシラサマに着せることができます。

興味のある方は、是非一度足を運んでみてください。

伝承園アクセス:遠野駅より早池峰バスで約25分、 足洗川バス停下車、徒歩3分(約1時間に1便)

参考文献:柳田國男『遠野物語』
今野円輔『馬娘婚姻譚 : いわゆる「オシラさま」信仰について』
文 / 草の実堂編集部

 

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草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
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コメント

  1. アバター
    • 名無しさん
    • 2025年 2月 21日 2:25pm

    滝川馬琴の「南総里見八犬伝」に出てくる犬の「八房」はオシラサマの伝承か林道春(羅山)の「馬頭娘」を参考にしているのではないかと思われます。
    犬と馬の違いはありますが、娘を与えるとの約束を破り娘を失うが、そのことにより幸運を授かるというパターンと適合します。

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